2009年12月30日水曜日

米軍基地移設問題

さきほどヤフーニュースを見たら、なんと今問題になっている米軍基地移設の場所の候補に、下地島があがっているという。
下地島と言えば宮古島の隣にあるとても綺麗な海を持ち、自然たっぷりのとても綺麗な島だ。
ダイビングスポットもたくさんあり、島の近くにある海底洞窟などはダイバーにとても人気のある場所。
私も宮古島が好きなので何度も訪れ、あの場所でタイビングを楽しんだ一人として言いたい。
移設反対!!!
誰があの場所を候補にしたのか!?地図上だけで決めてんじゃねーのか?
ちゃんと訪れ、あの自然を見て、それでもそこをコンクリートにしてしまおうってんなら、日本の未来は暗い!ニュースを見たとたんに怒り心頭。
普段否定ばかりして改善策を出さない社民党党首がやっと何かについて考慮すると言ったかと思ったらそれかよ!!!
綺麗な海や自然が少なくなってきている事に心を痛めている人が多いなか、そんな意見が出るとは悲しい。
まあ結局小沢一郎が忘年会で発した事らしいのだが、唯一救いなのは「あの綺麗な海を埋め立てるのはダメだ」という意見も言っている事。
忘年会で「使ってない空港がある」と発言した事が発端らしいけど、日本の未来を忘年会で話すのはいいさ。でもそれを本気で「考慮する」ってのはちょっと違うのではないかと。
あの綺麗な海や環境を変えてはいけない!
昔、移転先候補の海上に、ジュゴンとウミガメが一緒に遊んで泳ぐという非常に珍しい姿が発見され、これは自然からの警告なのではないかというニュースを見た。ほんと、そう思う。
沖縄の本島の海は悲しい事に昔ほどの綺麗さが失われつつある。それは人間が汚してしまったもの。シャンプーや日焼け止めなどに入っている防腐剤のパラベンはサンゴを死なせてしまうというし、綺麗な海を見たいなら自ら使用しているものにも配慮したい。

あー・・・宮古島、下地島の綺麗な海が汚される事なかれ!
これが採択されるような事があればめったに選挙に行かない私だが、ぜひ別の党に入れる事だろうよ。

2009年12月23日水曜日

夕日に真心ブラザーズが身にしみる

病院からの行き帰り道、職場へ退職願いを出しに行く時の走行時、
どちらも夕方。
車にかかる真心ブラザーズが胸を打つ。
あれ?私こんなに好きだったっけか?と思うが、夕日に真心が非常に合う。
特に「流れ星」という曲が好き。特に
「寂しい、苦しい、どう思われようともう一度会いたい」
っていうところ。まるで今私が向かっているのは泌尿器科ではなく、残業を強制する
職場でもなく、恋人の所なのではないか?と錯覚する。
あの歌は、別れた恋人にまた会いたいという歌。
別にそんな経験ないけれど、落ちてきた太陽が私にそんな経験があるかのような
思いにさせる。
そして、退職願いの後の帰り道、流れてきたのは
♪人間はもう終わりだ、バカばっかりでどうしようもねえ♪
ヨーチ!見てたのか?私の心境を!

あ、今はYO-KINGか。

2009年12月21日月曜日

最近思う事

家にいることが多いせいかどうも考えてしまう。
春までに手術をしなければいけないのだが、
それは悪い事なのだろうか。
どうせ辞めようと思ってるけど、そのバイト先からは早朝から深夜まで働けないのは困ると言われるし、体調に配慮するのは不可能だという事だし、
配慮してくれるかもって思ってた自分が甘かったのだろうか。
配慮っていうか、普通に元々の契約上の時間通りに働くのなら全く問題ないんだけど。深夜までの残業をなしにしてほしいって事が無理と言われるだろうなとは、この職場の場合思ってた事だけど、やっぱり本当にそうなのかと現実になるとちょっと冷たく感じる。
膀胱子宮内膜症という、絶対に早期に手術しなければいけないってものでもないし、(医者は腫瘍が大きくなる前に手術しないととは言うけれど)ほっといても死ぬようなものではないっていうところに罪悪感を感じてしまう。
もちろん激痛は毎回あるわけで、全く苦しみがないわけではないんだけど。
今日親に辞めるかもという事を伝えた。
父親は、そんなくだらない場所は辞めちまえと言ってくれた。
母親も、そんな場所なら長くいる場所ではなかったんだねと言ってくれた。
膀胱腫瘍という事から、水分をいつも以上に取るようにしてたんだけど、事務所からトイレまでは非常に遠いし、3時間に一度トイレに行くようにしてた私に、上司は悪気なく「トイレ行きすぎ」という言葉を放った。私の症状を知っていたにも関わらず。
そういう言葉の積み重ねが私に小さな罪悪感を積もらせた。
病気になる事は悪い事なのだろうか。
手術を受ける私が悪いのだろうか。
誰も文句が言えないような大病だったらこんな罪悪感持たずにすんだのだろうか。
ま、今は夜なのもありここまで考えてしまってるけど、多分明日になれば「言いたい事言って辞めてやるわ!」って位になっているだろう。
なんか、会社ってこんなんでいいのかなあ。。。

2009年12月19日土曜日

仕事

仕事を辞めようかと思っている。
今回手術するにあたり、復帰後体調を考えたシフトにはできないからという理由で、2週間休めばいいところをその倍与えられていた。しかし、春までに今度はお腹を切る手術をしなければならないので、それでもまた長期休暇をもらうのが心苦しいのもあり。
私が働いている場所には人権なんて言葉はない。早朝から深夜まで働いたって残業代も出なければ、元々の給料も低い。フレックスにできるほど暇でもないので、みんなそのような状況でも休みを返上して働いている。なかには3カ月休みはとってないですという女の子もいる。
でも休日に出勤するのは社長が怒るので、休みの日に隠れて出勤している。もちろん社長以外は周知、というかみんなそのような状況。
人が足りないから入れてもいいかと社長に言うと、能力が低いからできないだけだと一蹴されたらしい。私から見たら相当一生懸命前向きにやってる人達なだけに、かわいそうでならない。
私は一回目の手術が終わって、今は通常に働ける。でも、そのような過酷な状況で働く事に疑問を持ってしまっているので、そういう理由で働きたくないと思っている。
近々上司と話をするので、うちの会社の良くない点も全部話してこようと思っている。
従業員のプライベートも全てお構いなしで、体調も考慮できない、早朝から深夜まで働いてもねぎらいの言葉なんて当たり前のようになく、むしろそのあともずっとそのような状況で働かせられる事に対し、いつか死人が出てしまうのではないかと恐れている。少なくともその厳しい労働条件のせいで体調を崩す人は必ずいるだろう。
私は、決められた拘束時間で、普通にトイレが行ける場所であれば難なく働ける。
でもそれができないっていうならもうしょうがない。辞めるしかない。
残された人がかわいそうなので、言うべき事は言って辞めようと思う。

2009年12月12日土曜日

検査結果

検査結果が出た。結果、悪性の可能性はなし。膀胱子宮内膜症で決定した。
摘出した腫瘍の細部にまで内膜が入りこんでいるとのこと。全部を取りきっているわけではないのでしょうがないのかもしれないけど、退院した後も排尿痛は続き、排尿時でないときもずっと座っていると痛みが増してくる。そのこともあるし、結局とりきれていないからまた腫瘍はそこから出てくるだろうとの事もあり、お腹を切って膀胱の一部切除をすることになりました。
10センチ位切るらしい。。。。。嫌だなあ。。。。
その前にまた膀胱鏡検査を行い、状況を見て入院時期を決めて手術。
なげえ。初めて病院へ行ったのが7月。完治までで一年たつんじゃないかという勢い。意味のわからないものができるとやっぱり病院と長い付き合いになるんだな。
先生も一生懸命に勉強してくれてるみたいだし、それはうれしい限り。ほんと先生だけが頼りです。

2009年12月7日月曜日

ストレスとアトピー

神奈川に高校まで住んでいたころ、私は顔にはアトピーはなかった。東京に来て友達の化粧水を使用し、柔軟剤入りのタオルで拭いたところ、はれあがってひどくなってからずーっと何かあれば顔に出るようになった。長い間顔からアトピーが消える事はなく、一進一退を繰り返した。
けれど10年いた会社を辞めた時に顔のアトピーが一気に改善された。まさしくそれはストレス。そして睡眠がちゃんととれたことによるだろう。
今でも睡眠がちゃんととれない日が続くと顔に出てくる。ストレスは前の仕事ほどはないので、それで出てくる事は無いけれど。
本当にアトピーを良くしたいなら、
1.睡眠をちゃんととる
2.食べ物を和食にして改善する。食べ物の原材料もちゃんとチェックする。
3.衣料石鹸も含め、シャンプーや石鹸は原材料のシンプルなものを使用する。化粧水も同じく。

私の場合はこれを厳守することにより改善される。私はむしろアトピーで良かったと思う。体に悪いものが素直にわかるから。普通の人はそれがわからないのでいきなり病気として現れたりするのだろうけど、幸い私は自分に合わないものは皮膚が反応してくれるのでそれがわかる。これでかなり内臓への負担も軽減されているのではないだろうか。
最近気付いたのは、ヨーグルトが体に合わないということ。今まで好きで食べてたけど、最近どうも見ただけで体がNGサインを出してきているようで食べてなかった。先日退院してヨーグルトを食べたところ、肌はカサカサでちょっとかゆみをおびてきた。働いてる頃かなり悪化してたアトピーの原因の一つにひょっとしたらヨーグルトはあったのかもしれない。ほぼ毎日食べてたし。
あまりにも要因が多いと何に反応してんだかわからなくなるけど、一つ一つ試していけばなんとかわかる自分のアトピー事情。おそらく個人個人それぞれに事情が違ってくるので、なんともしがたいけど、私の場合は前に掲げたものなどで改善できる。もちろん直りゃーしないんだけど。
今一つ悩んでいるのは、今回膀胱子宮内膜症にかかり、(まだ診断出てないけど)ホルモンを抑える薬を治療として摂取するかどうか。ホルモンバランスの崩れでアトピーは悪くなるので、そこが心配。多分薬飲まないな。ホルモンを左右するのはちょっと怖い。

2009年12月5日土曜日

White water rafting!




ニュージーランドの事を書くこと復活。


ニューカレドニアから帰ってきた数日後、今度はラフティングへ。
日本にいたころからやってみたかったラフティング。ここアウトドア天国である
NZでできるとはなかなかうれしい。どうせやるからには激しいものをやりたい!
と思い、クライストチャーチから車でやく1時間半の所にあるランギタタラフティングへ。


クライストチャーチからの送迎、ラフティング1日、朝ごはん、終わった後のバーベキュー、
諸々のレンタル合わせてやく一万円ってところだろうか。
男の子2人、女性私ともう一人の2名で出発!
最初にサンドイッチをくれる。パンの中にはさみ放題のもので、でかいソーセージやら
野菜やらを入れる。もちろんコーヒー紅茶も飲める。


スタッフに日本人が2名いたので、私たちのボートの担当になった。
同じボートには他にスェーデン人の女性1名、イギリス人の男性1名。


最初はボートから落ちるのにおののいていたけど、慣れてきたら全然!落ちても対処できるスタッフがいるし、転覆したボートの下に顔が出てしまっても呼吸できるという事さえ知ってしまえばなんてことない。


しかし、ここランギタタは、ラフティングのレベル5の場所。このレベル5までしかないのにその5をマークしている。White Water Raftingの意味は、水が波しぶきで白くなるほど荒々しいラフティング、という意味。普通のラフティングよりもちょっとスリリングだよっていう場所。これは一般的にそう言われているので、ここだけの名前ではない。


少し訓練をしたあと出発!いやーもう溺れてるんだか進んでるんだかちょっとわからない所もあったけど、楽しいなあ。途中停まって、岩の上からダイブできるよと言われ、とりあえず挑戦してみた。岩に登り約5メートルの上からジャンプ!!!そのままライフジャケットに体を任せてプカプカ川を下った。


さみーさみー・・・でも気持ちいいなあ。


ランギタタのいいところは、川が氷河から流れている影響でクリーミーブルーでとても綺麗。ラフティングなどでないと見られないとても素晴らしい景色がたくさんで、それだけできた甲斐あるってなもんで。


ラフティング終わるころには同船していた二人ともちょっと仲良くなった。


最後バーベキューを食べながら撮ってくれた写真を見て歓談。
写真はCDROMなので、1枚買ってみんなでデータを分けた。


NZに来たら一度はやってほしいラフティング。しかも南島でやるとこのように川がとても綺麗なので、非常にオススメ。


北島と南島は景観が違うので、やはり両方に訪れる事を薦めます。

2009年11月30日月曜日

入院経験②

26日
麻酔が切れるとえぐった所がじわじわ痛くなってくる。おまけにカメラを入れた尿道もじんわり痛い。
普段検査の為に行う膀胱鏡よりも太いもので手術するので、そのせいだろうなあ。なんか、ごめんと膀胱と尿道に謝りたくなってくる。
麻酔が切れると尿道に管が入っている事にきづいた。一日半日はベッドから動けないので、床ずれ起こさない為に寝がえりを打たなければいけないのだけど、慣れてないせいか動くたびに管があたって痛い(泣)この日の昼から起き上がる事はできたのだけど、どう動いても痛い。看護師さんがたまった尿タンクを他の容器にあけるときもチューブを伝わってビクっと痛い。
私は泌尿器科病棟だったからみんなこの管をしてるんだけど、平気な顔をしている。男の人の方が楽なのかなあ?私が根性ないだけなのだろうか。
ガスが出ないと水も飲めないっていうが、いたって出ない。浣腸で出すだけ出したのにどうやって出すんだよぉ。昼にちょろっと担当のO先生がきたので、
「先生、全然ガス出ないんですけど大丈夫なのでしょうか」
「大丈夫ですよ。あ、今日はもう起き上がっていいですから動いたら刺激されて出ると思いますよ」
「先生、水も飲んではいけないんですよね?」
「あー、別にいいですよ。出るまでダメって言われるかもしれないけど僕言っておきますよ」
やっぱ救世主だ。結局この日の昼から食事再開。おかゆが出る。
27日
膀胱をえぐったわりには熱も出ない。痛みもない。経過は良好すぎるほど良好。周りから
「やっぱり若いからよ。いいわねぇ」
と言われる。(周りは90歳)食事ができるようになれば体力の回復も早い。やはり点滴よりは食べた方が断然力が違う。同じ日に手術を受けた隣のおばあさんと世間話をする。というか、話を聞いていた。どうやら嫁が鬼らしく、孫に会わせないとか言ってるらしい。それをきいている旦那も旦那でどうなのか?自分の母親なのだからもっと大切にしなさいよ。だって私がいる5日間の間誰もお見舞いに来ないんだよ!!!手術の時は誰か身内が立ち会わなければいけないのに、お世話になっている行政書士の人が来ている始末。いくら神奈川にいるとはいえ、自分の親が癌の手術を受けるってのに全く見舞いにも来ないってのはどうなのよ?どうやら嫁は、子供がいるからとか、犬がいるからとかわけわからない理由を言ってたらしいが、せめてどっちか来てもいいだろうに。子供ったって、大学生だよ?来れるだろ。
おばあさんは、「こんなになるまで生きていて申し訳ない」と何度も看護師さんに言っていたが、何を言っているんだい。90でこんなに元気だなんてすばらしい話じゃないか。私は自分のおばあさんにもっともっと長生きしてもらいたかったよ。
おばあさんの今までの人生についてはそのうち書くけれど、こんな思いをさせてしまう息子も嫁もダメだ。
27日
O先生がひょっこりまた病室へきた。
「明日、帰れますから。週末帰りたいって言ってましたよね。大丈夫です。」
わーい!なんにもやることないんだもの・・・
尿の管も抜け、点滴も今日で終わり!手錠がとれた!両手が動かせる!心おきなく体が動かせる!
しかし人間すごいもので、あんだけ痛かった尿の管、3日目であるこの日になんと慣れていた。痛みも消えていた。そりゃ動かすたびに少しはあたってる感じあるけど、痛みはない。
夜にまたO先生が来る。(ちなみに回診は別の先生。入院時の担当と実際の担当は違うらしい)
「明日、退院ですよね。」
「はい。そうですね。」
「あとは外来ですね。聞いてますか?」
「はい聞いています。」
「血尿はありましたか?」
「いえ。痛みもないです」
「何か聞きたい事とかありますか?」
「うーん、別にないですけど・・・あ、横になるとお腹が痛いです。」
「それはしょうがないです(バッサリ)。他にありますか?」
「いえ。。。」
手術の時とはうってかわった優しい声。周りが寝てるような時間だったのもあり。
夜8時半だったのだけどそんな時間まで外来診察してたとは・・・
医者って大変だ。
28日
退院!!!腫瘍はなんなのか、はっきりした結果は2週間後になった。しょっちゅうある病気でもないため、診断が難しいとのことで。

結果が出たらまた書くかな。

2009年11月28日土曜日

入院経験①

今日5日間の入院から戻ってきたのでその日程を残しておこうと思う。
24日
検査と手術の為に入院。元気なので何もやることなし!明日の手術の為に体力を温存する。夜9時頃担当医から病気と手術の説明が私と両親になされる。夜9時まで手術でたてこんでいたらしい。大変だあ。極めて珍しい腫瘍だという事を写真を見せて親に説明する。私はそれほど親に説明していなかったので、改めて癌の可能性が多少なりともあることを親は初めて知ったと思う。でも可能性がいかに低いかをちゃんと説明してくれたので大して心配もしていなかった。私の場合、膀胱がんの可能性は皆無だったけど腺癌の場合は検査結果でそう出てしまったので説明しなければならない。でも症状からみても腺癌の可能性もなさそうだと。夜は下剤を飲まされ就寝。夜は食べ物はおろか水分も取ってはダメ。
25日
下剤の効果なし。なんとなくお腹痛い?いや痛くないか?ってなくらいで便通もなし。どっちにしろ下剤の後に浣腸もやらなければならなかったので、心配はしていなかった。ただその頃ひどい便秘だったので浣腸の威力により苦しむだろうなあ・・・と懸念。今日は新人の男の看護師がついた。
「あの・・、浣腸は男でもいいでしょうか・・・?」逆にそんなにかしこまれるとこっちも身構えてしまうけど、もう尿道さえ何度も男の先生に見られているので何も恥じる事無くOKだよ。いやー久しぶりに浣腸したけどあの威力はすごい!された後5秒ともたなくトイレへ直行でした。
その後もちろん何も口にできないので栄養補給の為の点滴、事前の抗生剤を投与。新人男看護師A君が私の細い血管に点滴針を刺さなければいけない時がきた。だいぶ探したけどなかなかなくて、私も難しいから他の人に変わった方が・・と言いそうになったけどそこは彼のプライドもあるだろうと思って黙っていた。
「あの・・・ここで一度挑戦したいのですが、あの、もしダメだったら上の者に変わってもらうので、僕新人なのでうまくいけるかわからないんですけど、それでもいいですか?」
ああ、もちろんいいさ。君の勉強の為にひと肌脱がせてもらうよ!まあ、案の定ダメでした。その後、A君がまた部屋に来て、
「あの・・・手術2時10分からになりました。・・・不安・・・ですよね?」
何かしゃべらなければと思ったんだろうなあ。でも別に不安じゃなかったので
「いや、別に大丈夫ですよ」と答えた。そんなA君にストレッチャーを押してもらい、手術室へ。そこでは担当のO先生が待っていた。うん、いつもより凛々しい。っつーかちょっと怖い。
台の上に寝て、背中を3回消毒。しかも広範囲。なんでだろうなあ。そのうちに、背中を丸めてくださいの合図。ああ・・・一番恐れていた腰椎麻酔だあ・・・・昔盲腸でしたことあって、その時は痛い記憶がなかったんだけどその後みんながあれは痛いあれは痛いといらねー情報をくれるもので、ちょっとおびえていた。先生も、ちょっと痛いですが耐えてくださいねと言っている。助手の人も、頑張ってくださいねとか言っている。えーそんなに痛いのかよ・・・と思ったけど、結果的には刺されていたことさえ気づかなかったという痛みのなさ。なんでだ!?やっぱ麻酔って嫌ですなあ。ムワーンって感じが。しかもちょっと効きすぎてしまって鎖骨あたりまで感覚がなくなっていた。だからしゃべることも辛かったし、呼吸もちょっとだけしづらかったので意識して深呼吸した。麻酔中は寒い。本当に極寒に裸で放り出されたように寒い。
1時間で手術は終わり、O先生が内視鏡で切った腫瘍を入れた容器を見せてくれた。
「あーこれは大丈夫、癌ではないですよ。結果は難しいものなので2週間はかかるかもしれませんが内膜症で間違いないと思いますよ」やったー!と、内膜症で喜ぶ自分もおかしいが、うれしかった。ただ、
「しかし膀胱子宮内膜症の傾向の一つでもある、膀胱の深部からやはり腫瘍が根付いているので、全部とることはできませんでした。とると穴をあけてしまうのでね。なので、薬で様子を見ながら、もしできるなら開腹手術で膀胱を一部切ってしまうのが一番いいと思います」とのこと。
まあ、その辺はおいおい状況を見てやることとします。まだはっきりしたわけではないしね。
手術後20分の安全の為の待機、そしてA君に私の身柄は渡され、病室へ帰る。ひどい寒さに震えながらその日は山のような点滴と一緒に就寝。
ちなみに手術中の血圧は上が70まで下がった。麻酔で機能をとめてるから当たり前なんだけどね。血圧70なんてなったことなかったので。

2009年11月17日火曜日

平和について

FACEBOOKというMIXIみたいなSNSに参加している。そこは世界中の人と友達になれる場所で、全然知らない人からも友達依頼が結構くる。世界中の人と友達になってみたいという希望もあり、簡単なプロフィールなどは全開にしている。
すると、なぜかインドネシアからの友達依頼が殺到し、依頼があった人に関しては断らないようにしているので、かなり友達が増えた。日本の文化(主にアニメ)に興味のある人や、風景や季節に興味のある人、10代の人も。もちろんインドネシアからだけではなく、トルコ、アラブ、フランスからもいる。
なぜか英語がわからず、ましてや日本語もわからない香港人からのオファーもあったが、なかなかコミュニケーションが取れず苦労しているけど、でもそれはそれで面白いかな。
そのFACEBOOKに、今回入院することを載せた。インドネシアの友達がコメントを書いてくれた。なんかそれがとてもうれしくて、海を越えて、国境を越えて、励まされてるのがとても尊いものに思えた。
もちろん私を良く知る日本人の友達、韓国の友達も励ます言葉をくれてるので、それもとてもうれしい。
友達に国境は無い、と本気で思う。はたしてFACEBOOK上の友達を真の友達と呼べるかどうかという事においては疑問もあるかもしれないけど、でもつまらない差別感情や、敵対意識や、そういう情報が氾濫している中で、個人においてはこうやって優しい付き合いが交わされている。それがとても意味をなすのではないかと。
実際、日本に対して全然印象良くなかった人が、私が丁寧に対応すればその印象を変えてくれたりすることもあった。私も、今までイスラム教の事を全然知らなくて、テロの巣窟とまではいかないにしてもあまりいい印象を持つ事もなかったけれど、イスラム教の人と宗教の会話をすることによりその印象は別のものになった。
かっこよく世界平和を願って何かしたいと言っても、何をやっていいのか全然わからないという人もとても多いと思う。地道だけどこういうところから日本にいながら世界を知り、色んな人といい関係を築く事で、少しずつ平和というものに近付けるものではないかと思う。一人の力は小さい。でもそれがたくさん集まれば、平和というのはそれほど遠いものではなくなるのではないか、と、最近思う。
今回英語の語学留学を決意した理由。「世界の飾らない情報がほしい。」まだまだつたない私の英語だけどなんとかその目的に適うものにはなっているようだ。

2009年11月10日火曜日

病気という体験から

自分が今回病気になって、改めて感じる事が多い。
それは誰かの優しさだったり、自然の素晴らしさだったり、食事の大切さだったり。
自然から遠ざかるとその分病に近くなると言う。まだ私の食事は自然に近い方だと思うので、もしそれが本当だとしたら、今回の癌の疑いも怖くない。
野菜は母親が天塩にかけて畑で育てられた野菜だったり、父親がどこかの山で採ってきた山菜や釣ってきた魚だったり。大地のエネルギーが入った野菜を食べるからこそ健康は維持できるのではないかと思う。今回、癌にせよ膀胱内の子宮内膜症にせよ、なってしまったのには私の生活が良くなかったのだろう。私はアレルギー体質なので悪いものを肌に付けたり食べたりすると顕著に体に現れる。それが皮膚ならわかりやすいし、今回はひょっとしたらそのようなものが内臓に出てしまった結果ではないかと思える。
子宮内膜症に関して言えば、痛くなり始めた数年前まで私は市販の生理用品を使用していた。痛くなり、婦人科へ行った時に、原因がわからないけれどもそういうもので陰部から内臓にかけて荒れてしまったのではないかという事を指摘された。それをきっかけに生理用品は布製のものに変えた。
確かに子宮内膜症は生理用品からおこるという話もあるらしい。データがあるわけではないかもしれないけど、布製にして生理痛が減ったという人が格段に多い。幸い私は内膜症の主な症状である月経困難症には全く陥っていなく、正直自分が本当に内膜症なのかどうかも信用できないほど生理痛はない。
ただこれをひどくさせない為に、私は布製のものの使用を徹底して続けていこうと思っている。かぶれもおこらないし、臭いもほとんどしない。洗う手間がある、という欠点以外は何も不都合はない。
話は多少それたけれど、病気になって気づくことが多い事に驚く。
病気で苦しんでいる人の気持ちに敏感になる。どうにかしてあげたいと思う。医学を学んでいないので何もできることはないのだけど、早く良くなるよう必死に願う。ガンバレと心の中で応援する。
病気になると、季節の変化や自然の大切さなどが心にしみる。なぜかはわからないけど、そういうのを感じられる場所にいるとほっとする。少しだけ病気が和らぐような気がする。
昔とある芸能事務所の社長と話す機会があり、その人が言っていた。
「人間土や木に触れないでいると気がおかしくなるらしいよ」と。
土に触れると精神的に落ち着くのだそうだ。土や砂には解毒作用があると言われているが、それは体の毒素だけではなく、精神的なものにも効くのだろう。
自然には頭が下がる。

2009年11月9日月曜日

近況

とりあえず、先に報告。
月末あたりから1週間入院することになりました。手術をするためです。結局膀胱鏡までやって細胞を採取したのに、その量でははっきりした診断が出せなかったそうです。ただその細胞には「腺」が含まれていて、おそらく膀胱内子宮内膜症か、膀胱の腺癌ではないかという診断でした。どっちに転んでもとてもレアなケースです。腺癌とは、普通膀胱癌になった人が、そこから腺に移り腺癌となるのが多いのですが、ごくまれに腺から癌ができる場合もあるのだそうです。
膀胱内子宮内膜症は、私は卵巣に内膜症を持っているのだけど、そのように他の場所に内膜症が出ている人が、どのような経路をたどったのかはわからないけど膀胱にも内膜が飛び散り、そこであたかも生理が起きてるようになってしまうことです。日本ではまだ150件ほどしか例を見ないのだそうです。
先生は若くて、とてもいい人です。だから救われてる部分もあります。
「一緒に頑張りましょう」
と言ってくれた。先生もこの全く見当もつかない症状に、一生懸命に勉強してくれた。癌の可能性を言われてさすがにショックを受けた私になんとかしようとしてくれる。
腫瘍が2倍の大きさになったって言われた時に気晴らしに行った神社、昔おばあさんと一緒に行った神社でおみくじ引いて大吉が出たのを心のよりどころにして、おばあさんが見ていてくれてるんだと思って頑張ろう。
「病 信心すれば治る」
って書いてあったからね。

2009年11月1日日曜日

一体、体には何が。

私の体は、どうなってしまったんだろう。
前にも書いたけど膀胱にある腫瘍の検査を行うべく、1か月の経過観察のあと、またもや膀胱鏡で内部をのぞいた。前にあった腫瘍とは形を変え、大きさは2倍になっていた。
本当は、この内視鏡で変化がなかったら、このまま取る事もせずに数カ月に一度検査をする程度におさめるつもりだった。腫瘍の種類がわからないし、何より痛みの周期がどう考えても婦人科器と重なってくるからだ。でも婦人科で私が持っているのは、小さい子宮筋腫とそれほど悩むほどでもない卵巣嚢腫。MRIなどの結果から、膀胱の腫瘍と婦人科器は無関係と出ている。しかし、なぜ痛みに関連性があるのか?
そういう理由もあり、取る事はやめにしようかと思っていた。でも、経過観察を1カ月し、内視鏡的には3カ月間をあけたわけだけど、そこで2倍の成長、そして腫瘍内で内出血していた前の腫瘍とは違い、大きな肉の塊のような腫瘍ができている。
しかし、膀胱の悪性腫瘍の症状の特徴と言える血尿はなく、尿検査の細胞診を何度やっても全くひっかからない。
医者も困っている。
しかし、2倍になっているのに目を背けられないので、新たに婦人科にかかり、それが問題ないとなった後手術することになった。今回の内視鏡で膀胱内を2か所切り、それを検査に回しているので、それの結果がわかるのだが、悪性ならなおのこと、良性でもこの成長の度合いをみると切ってしまうしかないのではないかということ。何せ前にあった腫瘍が内出血していたのもあり、切除中の大量な出血に備える為、入院して行う事になった。
膀胱の腫瘍はほとんどがガンだと言われる。そして、膀胱は非常に反応が出やすい為、ガンであれば即座に痛みや血尿でわかるので、非常に早期発見しやすい個所の一つなようだ。
だから私は安心していた。大きくなるわけなんかないと思っていた。数少ない両性の腫瘍なのだろうと思っていた。
まだ悪性と決まったわけではないけど、いったいなんでこんな事になってしまったのだろうか?
私の体で腫瘍が成長している。何か異変がおきている。それに非常に悲しくなった。
検査の為に膀胱内を切ったあとの、血尿を見て、更に悲しくなった。
体に申し訳ないと思った。

2009年10月22日木曜日

New Caledonia from New Zealand3 ILES OF PINE











「天国に一番近い島」イルデパンにやってまいりました。イルデパンとはフランス語で、英語ではILES OF PINEです。ヌメアの国際空港から小さい飛行機に乗り、イルデパンへ。約30分のフライトです。




空港着いたはいいけど、空港以外はジャングルしかない。ホテルまで建物一軒もない。ずーっとジャングル。




車で15分でホテル(というかコテージ?)に到着。一つの部屋が一つの建物という、ハネムーンにうってつけのホテルだった。ホテルコジューと言います。中に入ると天蓋付きの大きなベッドがある。




もちろんそこにアラサーの女が二人。




目の前には綺麗な海が広がっててまさにこれはプライベートビーチ。




でもアラサーの女が二人。




目の前の海はなんといおうか、久米島の海の色に似ているとでも言おうか。エメラルドグリーンとかではなく透明な白っぽく、淡い水色の海。さすが離島は綺麗だなー。




本当はそこでダイビングをやりたかったのだけど、フロントの日本語少しできるフランス人にお願いすると、




「ワタシカクニンシマシタ。オキナワからタクサンヒト、キテマス。ダイビングノフネ、20ニンデス。オキナワノヒトアシタダイビングシマス。17ニンデス。ダカラアナタダイビングデキマセン。」




。。。。。できるやんけ。。。。




そう思ったけど、まあいいや、友達はダイビングできないしと思って、次の日はシュノーケリング三昧、その次の日はニューカレドニアの事を知りましょう!!!ツアー!!!にしました。伝統的な船に乗り、伝統的なものを食べ、イルデパンで一番綺麗な場所でシュノーケリングするというツアー。名古屋からきた面白い元看護婦のお姉さんと一緒に3人でツアー参加。




6000円のツアーだったけどまる一日楽しめたな。船に乗ること2時間。景色も綺麗だし。食事はバナナの葉で蒸した野菜とか鶏肉とかそういうやつにフランスパン。結構これおいしい。




そして一番綺麗な海へ。




これぞザ!ニューカレドニア!!!という、ニューカレの底力を見せてもらいました。浅瀬でプールみたいになってるから沖に出る事はできないんだけど、海は透明度バッチリ。魚もバッチリ。でっかいチョウチョウウオの白っぽい透明な感じのも泳いでいる。




いやーこれは満喫した。




(かばうわけではないけど、沖縄の底力もすごいよ)




イルデパンはニューカレ屈指の観光地の割に、本当に人がいない。建物もない。だから海が綺麗なんだなあ。




船乗り場までホテルの車が送ってくれたんだけど、ドライバー色々外にあるものについて説明してくれる。(カタコト英語とカタコト日本語でね)




「これはパン屋です。朝8時に開きます。これは役場です。町長は愛人3人います」




ほー。なかなかやりますあ。




夜はもちろん天蓋ベッドに二人で寝た。お互い、初の天蓋ベッドがなぜ・・・私たち・・・という話をしながら。

2009年10月14日水曜日

New Caledonia from New Zealand2











ニューカレドニア2日目。友達は乗馬をやりたかったのだけど、前日までに予約を入れなければいけなかったらしくできなかった。多くのアクティビティは前日までに予約が必要なので、行く人は気をつけたほうがいい。




でもホテルの前から小さな無人島へ行ける船が出ていたのでそれに乗る事にした。無人島へ行き、帰り、そのあとグラスボートに乗るコースを選択し、約3000円くらいだろうか。無人島と言っても前に見えてる位なのでかなり近い。本島のヌメア付近の海も綺麗でないわけではないが、無人島のが綺麗だろうとの期待を持って渡船に乗る。




5分で島に到着し、パラソルを借りる金をけちって砂浜に陣取った。バーカウンターはあったのでそこで水を買うと、なんと店員は日本人。ここにもいたか!日本人!と言いたいところだが、日本の中でニューカレドニアは下火なのか、あまりヌメアの街では見なかった。




ビーチでシュノーケルをし、楽しむ。




結構大きな魚も泳いでいるし、綺麗な魚や大人気のクマノミなども見られる。




波打ち際には何かの稚魚の大群がいて、それを這いつくばって水中眼鏡で見たり・・・。




水中で撮れるようにデジカメのハウジングを持っていったので、それもデジカメの動画機能でばっちり収録。




正直、綺麗は綺麗なのだが、さんざんダイビングで沖縄などに行った私としてはさほど驚くレベルではない。これなら同じ無人島である沖縄のチービシの方が綺麗かな。




というのも、ニューカレドニアの本島の砂は真っ白ではない。ちょっと黄色がかっているので、その分海の色が沖縄とは異なっている。ただ、日本人は本当に見かけないので、海外へきた!という雰囲気は存分に楽しめる。




ほとんどがフィリピン系の現地の人。その他はフランス人が多い。




そんなこんなで、本土に戻り、そのままグラスボートでまた海に出る。




遠浅なので、10メートル未満のところを延々走った。ウミガメなども見られた。




あるところで船を止め、オジサンがフランスパンをくれた。これを海に投げてみろというのだ。




ちょいちょいちぎって投げると、いやーカンパチみたいな魚がだーっと寄ってきて食べる食べる!




養殖場みたいな光景にちょっとひいてしまった。今度はちぎらずに長いまま海に浸してみると、下からおびただしい数の魚が私のフランスパンをバクバク食べている。




思わず悲鳴が出てしまう。




約30分のグラスボートを終え、満足でホテルに戻った。




今日は充実だ。しかし明日のアクティビティも予約していない。




なので、明日はレンタサイクルでサイクリングをする事になった。




意外と大きいニューカレドニアの本島。地図上では自転車で行けたのはほんの少し。あんなに必死に暑さと戦い、山を越えて行ったのに・・・・・・。




ヌメアの中心街から山を越え、反対側の海に出ると、そこは南国パラダイス!水上コテージのホテルにたどりついた。ああ、これパンフレットで見たことある。。。




そのコテージの横にあるバーでジュースを飲みしばし女二人でまったり。




人は少なく、目の前で遊んでいるフランス人の子供などを眺めながらその雰囲気を楽しんだ。








まだ続く。




2009年10月5日月曜日

New Caledonia from New Zealand


NZで出会った友達が、

「わし、天国に一番近い島いきてーっす」

というので、ニューカレドニアへ女二人で行ってきた。

NZにはあまりツアーパックという考え方がない。なので、

航空券からホテルから一つ一つ予約した。

まずクライストチャーチからオークランドの航空券、オークランドからニューカレドニア(ヌメア)までの航空券、ヌメアからイルデパン(天国に一番近い島)、そして7泊分のホテル。

帰りの航空券やら全て入れてやく13万円。お安い。

早朝クライストチャーチの空港で待ち合わせをし、チェックインしようとするがうまくいかない。オークランドまでは国内なんだけどその先は国際便なので、どっちのエリアでもチェックインできず、特別にあるカウンターでやっとチェックイン。うーん、なんか、どっちかで統一してほしいような・・・。

そんなこんなでオークランドで乗り換えをして、そこから2時間半でヌメアについてしまう。

日本で言うなら沖縄ってところだろう。

ニューカレドニアへ行く人は気をつけた方がいい。国際空港から都市まで70キロ離れている。普通の交通手段などないので、ツアーで申し込むなら問題ないだろうけど個人手配は必ずバスの予約を確認したほうがいい。

まあ時刻なぞあるようでない国だから、発車時間なんか軽く1時間過ぎてようやく出発。

ジャングルの中をバスはおそらく時速50キロ以下であろうと思われる速さで走る。

2時間半かけて都市へ到着。

海岸沿いにあるサーフホテルに到着。うん、なかなかいいホテルだ。もう疲れたので、外でたいしておいしくもないパスタを食べて終了。

ニューカレドニアはフランスの植民地だった為言語はフランス語、通貨はパシフィックフラン。

そして物価は・・・・・高い・・・・・・でもスーパー行くと多少安いので、スーパーのデリカで買い物してホテルや海岸で食べるのもいいと思う。

とりあえず1日は終了。また続く。

2009年9月30日水曜日

酔っぱらいの心理学

先日心理学の本を読んでいたら面白い事が書いてあった。
酔っぱらって記憶を失くす、そんな人も多いだろう。
その記憶ないから何をやってしまってたんだか心配になる人も多い。
その記憶がよみがえる方法があるらしい。
それは、また記憶無くなるまで飲むということ。
今ある通常の顕在意識と、酔っぱらった状態での意識、
その間は壁生まれているけれど、同じ意識同士は繋がっているらしい。
酔っぱらったら前回なくした部分の意識が呼び戻されるという。
ただ残念な事に、呼び戻された記憶と更に酔っぱらった記憶は
次の朝、また無くなっているんだけど・・・。
私の友達で、酔っぱらいずっと意味不明の言葉を言っていた人がいる。
「今チマチョゴリがはやってるのは何でなのかってことをほんと、言いたいのよ。
(今もだけど別にはやっている気配は全くない)
チェッカーズの武道館でのライブで、(彼女はチェッカーズファンだった)
武道館の入り口に皇族が来て、みんな皇族に入りたいもんだけど
そんなのは無理な話なのにみんなずうずうしいから皇族に入ろうとするんだよ。
そんで、アンコールでずーっとフミヤコール(フミヤファンだった)してたら
出てきたのはタカモクで、なんでフミヤコールした後にタカモクなのかと」
と、何がなんやら全然わからない言葉を延々20分述べていた。
脳の回路のあらゆる場所からちょいちょい情報が出てきて
そういう事になるんだろうなあ。
ちょっと面白いけど。

2009年9月22日火曜日

仕事

最近色々勉強しようと思い、勉強しているあいだも今までの貯金を食いつぶすのもどうかと思いバイトを始める事にした。
最初に受けた期間限定で週3日の行政法人での事務は、応募期間が終わってたとかで、ぜっかく履歴書出したのにダメだった。(職安で電話してもらったときに担当者がいなく、代わりに出た人が状況を把握してなかった為、まだ応募が大丈夫だと勘違いしたらしい)
その後、ホテルのフロントも綺麗そうでいいなーなんて思って送ってみたが、ダメだった。これは年齢な気がするなあ。履歴書だけで落とされたので。
そんなこんなで、なぜか他のホテルの企画をすることになった。
やたらフレンドリーに求人には書いてあったので、バイトだし気楽にやればいいのかなと思って応募したけど、面接の時点でそれはそうではないことに気づいた。
かなりのブレーンな扱い。
なんのノウハウもない私に、というか見ず知らずの人間にそれをやらせるこのホテル、ただもんじゃないと思った。
ブライダルに力を入れているホテルなのだけど、結婚したこともなければ結婚式業界でなんぞ仕事したことないので、何にもわからない。右も左もわからない中、人見知りも手伝い最初の3日間は本当に辛かった。精神的にまいって朝ご飯を食べる事もできない。
ようやくそれも慣れてきたけど、うーん、今まで働いてたところといる人種が違うとでもいおうか、初めてサラリーマンとはこういうものかと知る事が多くて、戸惑う。
私は意外と今までいい場所にいたのかもしれない。
人間の表と裏。これをかるーくだけど感じるこの場所。
親切な人はたくさんいる。だけどどうも裏を感じてしまうこの場所。
うーん・・・・。
みんな大変なんだな。自分を守ることで精いっぱいなんだな。
私は元もと嫌われても平気だったりするんだけど、それって非常に強い事なのかもしれない。怒られるのも意外と平気だし、だから自分の思った事は言える方だし。
ほとんどの人は周りの評価も気になるし、怒られるのもまいってしまうものなんだなあ。
まあでもまだ頑張ろう。せっかく一生懸命に教えてくれているのだし。
その恩に報いなければ。

2009年9月12日土曜日

NZ人の気質?


NZに来て、本当に心から思う事がある。

日本人は几帳面。

ある時、バスに乗っていると、降りるときにならすボタンなぞ、上下さかさまになっていた。これをこのまま納車する会社もすごいが、そのままにするバス会社もすごい。

NZは服のほとんどは中国製と言ってもいい。日本も中国製は多いけど、その同じ中国製であってもここまで違うか!と思ってしまう。

首にあるタグには「M」と書いてあったパーカーを購入。着てみるとどうも小さい。少し小さめにできてるんだなあくらいにしか思わなかったが、ある時、素材を見ようと思って下にあるタグを見てみると、そこに書いてあったのは「S」

おや!?と思って首を見ると、やっぱりM。

もうこんな事が意外と多い。日本では全くそんな商品お目にかかった事がないので、ほとんど無いに等しいはず。

NZでは、リンゴを日本に輸出する時もかなり気をつかって出荷するという。

形を揃えたり、傷があると外されるからそれを入念にチェックする。

そこまでしても日本に輸出するという事は金になるからなのだろうけど、日本に輸出ってのはほんと、大変なのだそうだ。

NZはいい意味でいい加減な気がする。その分日本ってすげーなーって思う事もたくさんある。

国民性って面白い。
あ、NZを体感できるイベントが10月末から11月頭まで東京タワーで開催されるのだそうです。
巨大なラグビーボールが東京タワーのふもとに出現し、その中でNZの素晴らしい景色などが360度の画面で流され、まるでそこにいるかのような体験ができるらしい。無料なので、近くまで行った人はどうぞ!NZの自然は本当に綺麗です。
詳しくはここまで。

2009年9月1日火曜日

最近の経過

先日最後かと思われた検査が終わり、検査結果を聞きに病院へ行った。
尿検査を最初にするように言われたので、その用紙を読みながら不安で不安でしょうがなかった。
婦人科系の異常が膀胱に影響しているのかもしれないという疑いがあったため、尿検査の用紙の「細胞診」という言葉をわけもわからず恐れ、先日行った検査結果が実は悪い結果だったのではないかとびくびくしていた。
もう2カ月以上も検査を繰り返しているけれど、なかなか原因がつかめないままだったので、どんどん不安は募るばかりで、何をしてても頭からは私はガンなのではないかという疑いが消えなかった。
膀胱にあるならまだいい。膀胱鏡でとればいいから。でも婦人科で見つかったらどうなるかがわからなかったのもあり、ずっとそればかり考えていて、胃も荒れてくるし、本当に精神的には辛かった。
結果的に、いまだ原因はわからず、膀胱に腫瘍はあるままで、その腫瘍も切っていいものかどうかの判断がつかないのでまた膀胱鏡をやり、腫瘍の組織を採取して調べる事になった。私が一番恐れていた婦人科系は筋腫はあるものの、なんら異常はなかった。
症状がどう考えても子宮の影響を受けたものだったので、婦人科が異常ないとすればどうしてその痛みがくるのかが今度は説明ができなくなる。それもあって、医者は、子宮に異常がなかった事に頭を抱えていた。
医者は頭を抱えたけど、私は本当にほっとした。膀胱だけの異常でよかった。とりあえず1か月の経過観察ということになり、そのあとに膀胱鏡で大きさの変化を見て、細胞を採る。悪性であるばあいは血尿があるのでわかりやすいらしく、膀胱の悪性腫瘍(ガンだけとは限らず)わかりやすいらしい。なので、膀胱の悪性腫瘍で亡くなる人は極めて少ない。私は全く血尿がないので、悪性ではないでしょうとの事だった。ただ今まで医者が見たことのない腫瘍な為に、決断はできず、細胞を採取するという事になった。
今はほっとして、気持ちも楽になっている。少し前は本当に辛くて、何をしてても頭から離れないし、この不安をわかってくれない友達にいらつきさえしたものだ。今は、それがいかに自分勝手かわかる。自分が苦しくたって、相手がそれを察せなくてもそれは責めるべきことではないのだということ。
でもそういう中で、心配してくれる友達の存在は本当にありがたい。
この経験をもって、私は病気の人を精神的に支えてあげたいと思う事ができたし、目に見える以上にその精神状況はひっ迫しているものだということがわかったので、少なくとも昔よりはそれを感じてあげられる事ができるようになったと思う。
とりあえずまだいくつかの検査は残っているけど、何も心配なく過ごせる事はこんなに素晴らしい事かって思う。

2009年8月25日火曜日

ネルソン~アベルタスマン旅行







一体私はいつ学校へ通ったのだろうか?と言いたいくらい旅行に行った。
パンフレットにあったアベルタスマン国立公園の写真が綺麗で一度行ってみたいと思っていたのもあり、3連休に友達3人と一緒にドライブ。
クライストチャーチからネルソンまでは約7時間、ネルソンで一泊し、アベルタスマンまでは2時間ってところだろうか。ネルソンはアートの町として知られているが、なんせあんまり出歩いてないので何がアートなのか全然知る事ができないまま。それより食い気!ネルソンを含めた南島の北にあるマールボロ地方はワインで有名でもある。そのため一面のぶどう畑を通る。NZにきてちょっとおいしいワインの味などわかるようになってしまったので、帰り道ブレナムでワイナリーにてワインを購入。甘いのより渋めの味が好きです。
アベルタスマンは、NZの中では透明度のそこそこ高い海と、金色の浜辺が有名です。一番堪能するなら本当はトレッキングをするのがいいんだろうけど、結局海で小学生のように遊びました。
シービスケットという、大きな浮き輪をジェットボートにつけて高速で引っ張ってもらうのを見て面白そうだったのでそれを予約し、しばらく浜辺で待っていると店の人が難しい顔で話しかけてきた。
「さっき警察のアナウンスで聞こえたかもしれないけど、海にサメが出てしまったからできなくなってしまったの。」
ガーン!!!っつーかできないことよりあそこで子供のようにはしゃいでた事が怖く感じる・・・。
・・・でもやりたかった(泣)でもお店の人も言ってました。
「これはよくある事ではなくて非常に珍しい事なのよ」
うん。まあ日本でも静岡でシュモクザメが発見されたりしているからしょうがない。海は一つでつながっているからそりゃサメもでるだろう。
蛇足ですが、サメ=危ない という方程式はあまり成り立たない。ダイビングを趣味としている私は、性格がビビリな為サメについても結構調べた。海中で出会ってしまったときの対処法とか。ジョーズに出てくるようなホオジロザメは今や絶滅危惧種だし、出会っただけで食らいついてくるようなサメは意外と少ない。じゃあなんでオーストラリアなどでサーファーがサメに噛まれるなんて事が時々あるのかと言ったら、板からの転倒などでびっくりするということと、パドリングしているのを水中から見ているとカメに見えるという事かららしい。最初っから海に入っているダイビングなどではそこまでサメを警戒する必要はないのです。ただシービスケットからいきなり転倒したら噛まれるかもしれないけど・・・。
できないものはしょうがないので、コーヒー船なるものに乗船。コーヒーや紅茶、クッキーなどを食べながらゆっくり海を回れるという優雅な船。スプリットロックという、まんまるな岩がバッサリ割れたような岩を見る事ができる。やはりビーチから少し離れると海も奇麗になってくる。
そんなでアベルタスマンも堪能し、帰りは行きとは違うコースで帰った。途中ハベロックというムール貝で有名な小さな漁村に泊り、ブレナムを通り、海岸線をずーっと南に行きカイコウラを通り、クライストチャーチへ。
実はネルソンで車をこすってしまった私。事前にそのことは電話してあったのでなんら問題なく次の日車を返し、保険も入っていたので追加料金もなく終了!返す時に店のお姉さんに
「フルカバーの保険入ってて良かったわね」
となぜかニヤリと不敵な笑いをされ、その場所をチェックされることもなく終了。
やっぱ海で遊ぶっていいことだー!

2009年8月20日木曜日

スポーツから学ぶ事

最近、甲子園、バレーボール、少し前は世界水泳とスポーツをよく見ている。元々ソフトボールを6年やっていたので、少なからず甲子園球児の気持ちはわかる。(私はぐーたら部員だったけど)
昨日見た試合で、試合終了と共に負けた学校のピッチャーが崩れるようにマウンドで泣いてしまった。ああ、必死で今までやってきたんだなあとこっちまでもらい泣きしてしまった。
昔仕事で、なぜかただの単なる異動による送別会に同席し、50人いる中たった一人で泣いてしまったことがある。送別される人も泣いていないのに、私のみ号泣というなんとも情けない状況だった。その時に当時の社長が、
「今まで一生懸命にやってきた人が涙を流すもんなんだよね」
と言ってくれた。私の場合もともと涙もろいだけの気もするが、そう言われてみればそうかもしれないなあと思ったものだ。
この甲子園球児もそうなんだろう。泣いてない人が一生懸命やってないって事ではなくてね。
とあるスピリチュアルの本で、宇宙人と対話したとかオーストラリアのアボリジニのある民族と旅したという本があるんだけど、(フィクションで書いてあるけど実話だと本には書いてある。どっちだい!?と言いたくなるけど)アボリジニも宇宙人も平和を愛し、愛を一番尊ぶのだとその本には書いてある。もちろんそのことは素晴らしいものだとわかる。ただひとつ全く納得できない事がある。
それは、愛に溢れた宇宙人もアボリジニも、人間がスポーツで人と競うという事に疑問を感じ、否定気味にいるという事。同じ人同士で順番を競ってどうするの?優劣をつけてどうするの?そもそも人に勝手嬉しいの?
言いたい事はわかるが、申し訳ないけどそれは必死でスポーツをやったことのない人の言葉、としか受取れなかった。
スポーツは相手を憎むものではないし、負けたからといって憎しみが生まれるものでもない。負けたら必死で負けないように自分の能力を高めようとする所に精神的にも素晴らしい成長があるのであって、愛にあふれた素晴らしいスピリチュアルの世界にそういうものが認められないというならそんな世界に住みたくもないやい!とさえ思ってしまう。
バレーボールを見ていても、勝とうと、チーム一丸となって支えあってしている姿を私は美しいと思うし、私も一生懸命に生きたいなあと思う。
どうなんだ?本当に人にスポーツで競うというのはそんなに愛から反する事なのだろうか?
こう地球もなるべき(宇宙人の本において)とするのは少し安易な気がする。
うーん、そう思うのは私が曲がってるのだろうか?

2009年8月18日火曜日

ドイツの爆弾爺さんin New Zealand

前にも書いた同じホームステイのアディ。
私は学校からテニスラケットを借りてハグレーパークでテニスを時々していたのだけど、そのテニスラケットを見て、自分も参加すると言いだした。昔テニスをやっていたようで、私はもちろんOkだったのだけどママがそれを許してくれない。
「72歳なのにテニスしてけがしたらどうするのよ!私は責任とれないわよ!自分が年寄りなのを自覚しなさいよ!」
とこれまたやんややんやうるさい。本人だって自分の体がどこまで動くのかはわかっているでしょうが。結局まーうるさく反対されたもんだからできなかった。でも感覚が若くていいなと私は思ったけどね。
家にいるとアディが映画を見ようと行ってきた。DVD持ってるから自分のPCでそれを見よう!アメリカのだから英語の勉強にもなるよ!と。そうかそれもそうだなと思ったけど、それに対してもママは反対してくる。映画なんていつでも見られるじゃないの!なんで見る必要あるのよ!でもここはアディが勝った。しぶしぶママも見るはめになり、アディの部屋で映画が上映された。その映画は「ショーシャンクの空に」下に訳が付いてたけどドイツ語だったし、もともと話が英語をあまり理解していない私には難しすぎた。全くわからない。これ解読できたら面白いんだろうなあと思いながら眺めてただけだ。
1時間過ぎたのち、ママが私をこづいてきたので、見るとニンマリしている。まるで魔女のような笑み。
「そっちみてごらん」
というから見てみたら、アディ・・・寝てるし・・・・
終わったあと、いやーよかったねと言ってるアディ。そうだね、面白かったね。結局内容理解できてたのはママだけだったね。
ドイツのお爺さんてみんなこんなに若くておちゃめなのだろうか。72歳でショーシャンクを見ようと言う事もやはり若いよなあ。
学校から帰ってきてもいつもすぐにシャワーに入り、着替えてから夕飯を食べる。ワインが好きでワインを片手に楽しそうにしている。NZはワインが非常においしく、スーパーで1000円のを買ってきてもおいしい。おかげで私も舌が肥えてしまった。アディがいつもおいしいワインを買ってきてくれるので私も毎晩飲んでいた。そしてお互いの国の事とか、よく話し合った。ママは毎回、なんでここで他国の話をするのよ!NZが世界一いいのよ!と反論するが。
結局アディは1か月滞在し、ドイツへ25時間かけて帰っていった。どうして英語を習うのにイギリスに行かないの?と聞いたら、NZの方が安いのだそうだ。ドイツからNZへの渡航費を考えたとしてもそれでも安いらしい。去り際にお手製の名刺をくれた。私も「友情」と感じで書かれた友人からもらった絵葉書にメッセージを添えて渡した。(ありがとうミッチイ。あれアディに渡した)
年齢が違っても国が違っても友達。アディありがとう!今度はドイツへ遊びに行くよ!

2009年8月11日火曜日

戦争  the war

原爆投下の日であるため、NHKでは戦争の番組が数多く放送されている。
目をそらしてはいけない。
たくさんの死体の写真や、ゼロ戦が炎を出しながら海へ墜落する映像が流れても、目をそらして逃げようとしてはいけない。
ましてや関心を持たないということもいけない。
知ろうとしないことはよくない。
どうして戦争をおこしてはいけないのか、番組を見てるとひしひしと伝わってくる。こういう事なんだって思う。
過去の戦争についてどの国が悪いとか、もうそういう鬩ぎ合いは意味を持たない。
もちろんそれは過去の罪を償う必要がないとかそういうことではなくて。
勝利した国にだって苦しみはたくさんある。
どこにも幸せなんて存在しない。そんな戦争の中には。
たくさんの死体が綺麗な海岸に無数にある写真を見て思う。
この一人ひとりには人生があった。お母さんが妊娠して、生まれて、色々な事を思い経験しながら成長して、そうして学んできた事が一瞬で無くなった。
人間は武器ではないし、コマでもない。人を殺す為に生きているわけでもない。
この死を無駄にしないために、ちゃんと正面から事実から目をそらさずに知ろうとする事が大切だと思う。
we wish world's peace.
we hope that every war vanish.
and we believe to make a piece for all over the world.
Atomic bombs fell down to Japan twice.
We have also recognized Japanese killed people in other countries.
Therefore we wish peace strongly.
The war can't make us happy.
If you love familly,friends,country,the earth,nature
and every creatures,
we wish peace.
The anniversary of the end of a war is coming soon.

2009年8月9日日曜日

爆弾爺さんがホストファミリーにゲストで追加。


写真はママ自慢の庭です。
1月になるとホストファミリーのママがどうもそわそわしている。ドイツから友達が来るのよ、彼は前にもニュージーランドに来た事あって、もう72だってのに英会話学校通ってたのよと、何度も何度も、毎朝、毎晩私に教えてくれた。おー、また一人年寄りが増えるのかとそれくらいにしか思わなかったが、どうも夫婦二人とも歓迎というよりはそわそわしている。

その人が到着する日。私は家で空港まで迎えに行った二人とそのドイツ人を待っていた。庭から一人おじいさんが入ってくる。あ!彼か!と思い、あいさつすると、こころよく

「HELLO!nice to meet you!I’m Adolf.you can call me ADDY!」

と自己紹介してくれた。ドイツのゲルマン系とでもいうのだろうか、彫の深い、丸みを帯びた鼻のアディ。しかもその名前アドルフって・・・。ナチスドイツのアドルフさんですか?と聞きたくなる。

ドイツでは昔アドルフという名前は一般的だったのだけど、ヒットラーが亡くなり、その悪行の影響でアドルフという名前はあまりつけられなくなったのだそうだ。なので、アドルフ=お爺さん、と思っても大丈夫らしい。

しかもアディ、ファミリーと違ってパソコンも使いこなす。ノート型を持ってきていて、しきりに会ったばかりの私に、写真を見るか?と誘ってきた。ドイツの家の写真とか、誕生会の写真とか色々見せてくれ、二人で見ていると、ママが、「何そんなの見てんのよ!ナイスなポテトが冷めるから早くしまって!」と言い、普段なら私だけなので、しまうところなのだろうけど、頑固なドイツ人のアディは、全く聞かぬふり。

「ママもみなよ」と誘っている。

そう、このママとアディ、全く会話がかみ合わない。個性の強い二人なので、お互いがお互いの要求を話すだけで先へ進まないのだ。さすがの強靭なママもアディの前では屈服気味。

前も、ドイツの話をするアディにママが怒り、「ニュージーランドが世界一最高なのよ!ドイツなんてなんなのよ」と言いだした。こうなっちゃアディだってヨーロッパの意地を貫きとおさなければならない。結局喧嘩。でもアディはちょっと大人で(っつーかお爺さんなんだけど)、今日は酔っぱらってるからまたねとすり抜けた。ママはまだずーーーっと怒っている。その声が部屋の中にまで聞こえる。

アディは私の学校と近所の所に通ってたので、一緒にバスに乗って毎朝でかけた。バスの中でアディは、

「あいつはナイスポテトとナイストマトしか言わねえ。何かってーとナイスポテトだ。ふざけんな、ニュージーランドなんかテレビだって全然面白くないし、ドイツはチャンネルがいっぱいあるんだ!」

70を超えた二人がする会話とは到底思えないけれど、私は面白かった。確かにママはかなり強制的な人だったし、本当に毎日ナイスポテトと言っている。私の食事はナイスだと、あんなに普通言うものなんだろうか?日本人は謙遜の文化なので、特にそう思うのかもしれないけど、それにしてもママはすごいと思う。多分ママは今まで言われるがままのパパと一緒にいたので、こんなに反論される人には出会ってないんだと思う。

余談だけど、ママは本当に極論を言う人で、前に、

「なぜニュージーランドには野良猫が少ないんだと思う?この辺だってたくさんいたのよ。でも全くいなくなったの。なぜだと思う?中国人が猫を食べちゃったのよ」

ほんと、内心そりゃねーだろと思って聞いていた。だって、うちによくくる猫いるじゃんか。中国人が猫を食べるのかどうかは知らないけど、食べてたとしてもそこは文化の違いだからどうこう言うべきものではないと思うが、だから野良猫が減ったって・・ねえ?バードアイランドの異名を持つNZですから、むしろ良かったんじゃないの?って言ったら怒られるかな。

アディはNZ生活を謳歌してて、毎週末に学校に来るツアー会社のツアーで旅行に行っていた。一日で帰ってくるものがほとんどだったが、時折宿泊することもあった。こういうツアーってほとんどがバックパッカーに宿泊なので、BBHに泊る72歳ってすげーなーと感心。ほんと、人間何歳になってもチャレンジ精神は忘れちゃいかんって思った。

アディ話はまだ続く。

2009年8月7日金曜日

アトピーの原因(私の場合)

今まで一度だけアレルギー抗体検査を行った事がある。それで反応が出たのはハウスダストと、杉、ダニ表皮、猫だった。ハウスダストは主に鼻やのどに出て、体がむずがゆくなるけどハウスダストが少なくなればおさまるという出方。杉は全く自覚症状なし。花粉症でもないし。ダニもまあわからないけどハウウダストと同じかなあ。猫は喘息。


でもはっきり言ってそれらが全部なくならすことができれば治るのかというとそれはまた違う。症状は治まるだろうけど治りはしない。アトピーは自律神経、ホルモン、生活環境、胃腸などとも密接にかかわっている。


最初は環境の事を考えて、洗剤は粉せっけんにしたのと、体を洗うのは石鹸にしたということ。服は顕著に反応に現れるので、綿と絹以外は身につけない。まずはこうした。変えてみると実感できるんだけど、まずボディソープは本当に使用をやめたほうがいいと思う。もともと使用してなかったけど、医者が使用しないようにというので、余計に使用はしていない。ボトルなどのゴミが出るのが嫌で石鹸を使用してたんだけど、どうやらそれが良かったらしい。液体にする時点で添加される材料に良くないものが入るらしく、優しいと言われているものでも使用は避けた。それでも数回使用したことはあるけど、体の表面がカサカサになって、やはり状態は悪くなった。石鹸は今はフランスのマルセイユ石鹸、マリウスファーブル社のものを使用している。原材料はオリーブ油と塩のみ。顔にも使用できるので、洗顔もこれにしている。


洗濯洗剤は、もともと川を汚すのが嫌で、粉せっけんにした。合成洗剤は川を汚すし肌にもよくない。粉せっけんは川で99%微生物分解されるということ。洗い方も変わらないし、洗い上がりも何も変わらない。私はダイビングするので余計川や海を汚したくないので、みんなに粉せっけんを勧めている。


あと私が変えたのは食べ物である。アトピーは食べ物から来るものもある。実際私は蟹味噌を食べて死ぬ思いをした。でも、何も食物アレルギーの人ばかりが食べ物を改善しなければならないわけではない。アトピーは胃腸の健康を表しているとも言われている。東洋医学でいうと、胃腸の不調は皮膚に現れるという。


では何がいいのか。アトピーの人は胃腸が弱い人が多いので、消化不良をおこす人も少なくないと思う。私もその中の一人で、3日に一度胃痛はあるし、消化不良など日常茶飯事だ。消化にいいものを食べようと心掛けたのと、日本食にこだわった。粗食の本を買ってきて試してみる。粗食って作り方も簡単だし、調味料も醤油、味噌、酒、みりん、塩、砂糖(きび砂糖、三温糖)酢を使用する。油はゴマ油。


日本人はもともと農耕民族なので、主に穀物と野菜を採ってきた。なので、昔から食べられているものに絞って、極力肉や油ものは食べないようにしてきた。もともと好きな方でもないので、自分の好きなものを食べていけばそのままそういう食事になったのは幸運だと思う。

人間は人種によって違うのは外見だけではないらしい。胃腸にある消化酵素も多少の違いがあるらしく、日本人は肉や牛乳を正しく消化はできないというのを本で読んだ事がある。本当かどうかはかなり昔に呼んだ本なのでわからないけど、確かに普段日本食を食べていて久しぶりに肉を食べると消化不良になる。
古代からずっと育んできた食生活にふさわしい体にちゃんとなっているんだと思う。だからそれに逆らわずに食事をするのはとても大事。


食事を変えてももちろんすぐ効果などはあらわれない。でも続けると、体が何を欲して、何がいらないか自然とわかってくる。いらない食べ物を目の前にした時、なんとなく体が拒否しているような感覚がわかるようになる。


とにかく、環境にいいものを探し、日本人の昔からの食事に従って食べていくことを続けた。





また時間があったら続く。

2009年8月1日土曜日

イルカの群れに遭遇











クライストチャーチから車で3時間のところにカイコウラというクジラが見られる事で有名な町がある。小さな、ほんと商店街がひと区画あるだけの町。そこにホエールウオッチングをしに行った。ここでクジラを見られる確率は90%以上だと言われる。クジラはさすがに見たことがないので、楽しみ!




港の上にある小屋でまず受付。140ドル位なので、大体7000円強。酔い止めが売ってたので、一応買って飲んでみた。天然成分のみのものらしいので、そっちへの興味もあって。




そこからバスで少しだけ移動して、早速ボートへ!思ったより小さなボートだった。船内でクジラの説明のVTRが流れる。もちろんクジラといったら日本の捕鯨ですよ。その内容が流れた。どーもすんませんと思いながらそれを見ていたが、マオリ族だって捕鯨してたじゃーん!と開き直る。開き直るっつーか、伝統の違いだしなあ。




脱線するけどどうして日本の捕鯨はあそこまで反対されるのでしょうか。数の少ない種類のを捕えているとかそういう理由なのかなあ。前にそれに対するデモのニュースで見たのは、クジラを捕まえるのはかわいそうだから、というものだった。それを言ったらなにかい、豚はかわいそうじゃないんかい、牛は?鳥は?魚は?植物は?と言いたくなるけど、きっとほかに理由があるのだろうな。意見の相違だと思うので、どちらが正しいとかはよくわからないけれど。




まあとりあえずVTRも終わり、ボートの動きが停まった。お!これはもしや!外に出ろの号令がかかり、外に出てみると、まるで潜水艦のようなクジラがイターーー!潮吹くところもちゃんと見られました!もちろん尻尾あげて潜っていくのもね。いやーこりゃすげーや!クジラが潜水して見えなくなったところで船酔いしているのに気づく。あー・・・あの薬効かないじゃん。




結局クジラは3頭見られ、港へ帰る事に。そうしたらまたボートが停まった。




「DOLPHINES!」と声が上がったので、外に出てみると、まーーいるわいるわ、とてつもない数のイルカ達が。水面にかかる鱗のようにすらみえる。ボートの人が言うには、ざっとその数200は下らないだろうとのこと。そして、ここにいるイルカの種類はダスキードルフィンというもので、アクロバットなイルカとして知られる。前にAKAROAで見たのは世界一小さなかわいいものだったけど、こっちのはそこそこ大きい。そして跳ねる跳ねる!船の下にもぐりこんで泳いでみたり、波に乗ってみたり、すごい。ほんと、楽しんでるのがわかる。




結局終わってみたら、最後のイルカの遭遇により、クジラの印象は全てぶっとんだ。終わった後も、あーイルカ見られて良かったねーという感じだったし。




そして、カイコウラはクレイフィッシュ、伊勢海老でも有名です。なので、ちゃんと伊勢海老食べてきました!重さによるけど、日本で食べるのと大体同じくらいの値段かな?私は日本人だからそこまで高いとも思わず食べたけど、NZの物価は日本よりだいぶ安いから、現地の人は高いわーと思うんだろうなあ。うん、でもおいしかった。




NZでのドライブは楽しい。市街を抜けるとすぐ牧場やら海やらが見えてくる。何もない幸せ。同じ島国でも景色はこんなに違うもんだ。




あ、もちろん日本の田舎の風景も大好きです。成田へ到着した後、家まで帰る間の田園風景、涙が出そうだったよ。

2009年7月26日日曜日

私はアホかと最近思った事。

もう長年痛みを抱えていたけどほっておいた下腹部痛を、この暇をいいことに検査してみようと思った。こんだけほっておいたのだから痛くて我慢できないということではないのと、その痛みは2か所あり、なんとなく痛い時もあるかな?というものと、毎月決まって痛くなる週があるけど治るというもの。実は1年前に勇気をふりしぼって婦人科へ行き見てもらったのだけどその時は全然異常が見られなかった。なのでそのままにしてNZへ行った。なぜそのままにしていったかというと、泌尿器科へ行くのが怖かったからだ。いわゆる逃げたのです。婦人科じゃなければ絶対泌尿器科でしょう!という痛みなのに、婦人科で無理やり自分を安心させて留学へ。もちろん日常的に痛みは来るのでたいして気にもせず5カ月NZで暮らし、帰国。そこで、やはり調べようと思い、内科へ。(ここでも泌尿器科から逃げている)
エコーで見てみると、なんやら膀胱に腫瘍のようなものがある。即効紹介状が書かれ、大きな病院へ移されました。
何が嫌って、膀胱鏡検査が嫌だったんだ。絶対にそれをやりたくないと思ってたから手変え品変えで病院へ行ってたのだけど、どうやら年貢の納めどき・・・。大きな病院なのに次の日に予約が入ってしまった。
病院の泌尿器科で、早速宣告。
「これから、造影剤を使用したCTと、腎臓レントゲン、膀胱鏡検査をしていきます」
あーーーー、恐れていたことが・・・・・。その時もエコーで見たんだけど、やっぱりそこそこ大きな腫瘍というかでっぱったものがあり、でも先生曰く、
「膀胱の中から来ている感じはしないですね、子宮からの影響のような。でも女の人はよくあるんですよ、子宮と膀胱は隣り合ってますから子宮の形によって膀胱がでっぱったように見えるって事が。」
くーっ!安心させる事を言ってくれるじゃないか!じゃあ膀胱鏡しなくてもいいのでは?と思ったのが悟られたのか、
「膀胱鏡は必ずすると思っていてください」という手厳しい言葉。
結果的に、やりましたよ。恐怖の膀胱鏡。詳細は書きません。怖がるから。でも画像は鮮明です。膀胱の腫瘍の9割は癌だそうです。癌の症状の一つに血尿がありますので、血尿が出たら即膀胱鏡検査で調べることをお勧めします。膀胱炎も血尿が出る事があります。膀胱はすごく反応が出やすいし、手術しやすいので、膀胱ガンでの死亡率はかなり低いのだそうです。安心して膀胱鏡検査してください。私は事情があって信じられない体験ではありましたが、普通の女性は多分大丈夫です。
そう、それで私の膀胱内をこの内視鏡で見たのですが、なんと、腫瘍が2つ。しかも先生も一体これがどういう腫瘍なのかなんやら見たこともないということ。子宮から何かが派生してこういうふうに影響が出てしまってる可能性もあるということで、次の検査ではMRIを撮り、そのあとに婦人科で検診です。それが何もなければ内視鏡にて腫瘍の切除となります。その時は麻酔をします。
ガンがどのように見えるかは知らないけれど、私のは黒いものでした。大きさもちょっとあるかなあ?
今までに血液検査、尿検査、CT、腎臓レントゲン、膀胱鏡検査とやってきましたが、CTと膀胱鏡に腫瘍が映ってただけで、他は異常がありませんでした。尿検査でさえ。
長年の痛みがこの腫瘍のためにおこっているのであれば、おそらく悪性のものではないと思われる。痛みと戦ってきた年月が本当に長い。しかし、それに終止符が打たれる日が近付いている。
そこで、思った。もしこれが悪性ではないとはっきり言えるのなら、取らなくてもいいのではないか?痛みとともに生活するのはもう慣れてしまった。
それは取るのが怖いとかではない。膀胱鏡ではっきり腫瘍を見てしまった今、ちょっと愛情を感じてしまっているのだ。もう何年君は私の体にいたんだい?なんとなく、離れたくないというテレパシーを感じているような気がして、どうも名残惜しい。盲腸の手術の時はそんなこと全く思わなかった。あれは手術しなきゃしょーがないからだったし、何より小学校3年という若さの為。
私は本やらカバンやら、今まで使ってたものを簡単に捨てる事ができない。そこに愛着を感じるからだ。
そして!今!なんと腫瘍にまで愛着を感じるとは!!!切り取った腫瘍を持っていたい気もする。
もちろん、これが悪性ともなれば
「さっさと出ておいき!!」
なんだけどね。
ちょっと最近感じた、私はアホなのではないか?と思う出来事でした。検査はまだまだ続く。

2009年7月25日土曜日

南島ツアー⑥マウントクックとLAKE TEKAPO







いよいよ国立公園をめぐる南島8日間ツアーも最終日。TWIZELでの宿泊を終え、NZ最高峰マウントクック国立公園へ。富士山とほぼ同じ標高のマウントクック。雨が多い事でも知られる。そしてこの日も雨。私は以前行った事があるのでいいけど無い人は残念だなあ。しょうがないので車で1時間ほど移動しLAKE PUKAKIへ。ここはTEKAPOと同じ氷河の水が流れてきている湖なので、色がクリーミーブルーでとても綺麗。TEKAPOよりも大きいけれど、家は全く見つからず、もちろんお土産を買う場所も無ければ、勝手に来て見てってってなくらいの場所。そこでティタイムをとり、ガイドのエリックがお茶を入れてくれた。



記念撮影なども撮って、LAKE TEKAPOへ。ここでまた有名な「良き羊飼いの教会」を訪れる。TEKAPOには日本料理屋があり、そこでは特産である鮭のどんぶりなどが食べられる。TEKAPO近くに鮭の養殖場があり、そこでは餌付けができる。エリックはそこで鮭の切り身を買っていたけど、はたしてそれをどうしたのやら。



TEKAPOを出て、クライストチャーチまで約3時間強。途中小さい観光牧場があり、そこに立ち寄ってアルパカを見た。もちろん他にも羊とか馬とかいるんだけど、アルパカにしか目がいかない。かわいすぎる!!!その観光牧場では毛糸のセーターとかシープスキンのブーツなどを購入できます。



そこを出ていよいよクライストチャーチへ戻るのみ!何もない道を延々走る。荒野の一本道のような場所で車が止まった。まさかここで写真タイムじゃないだろうし?はて?と思っていると、どうやらガス欠らしい。え!ここで!!!!エリックは車を降りて一本道をひたすら走った。その間バスで待ってたのだけど、サウジアラビアの男の子達が、



「みんな、!死にたくなかったら一緒に走るんだ!」



と叫ぶ。みんなで行ってもしょうがないじゃーんって思ってたので、そのまま座ってると、



「じゃあみんな!もう永遠に会えないかもしれないけどさようなら!」



と言って走り出した。ああ、青春。しばらくしてエリックが誰かの車にのって戻ってきた。親切な通りがかりの人が手伝ってくれたらしい。その車にサウジの男の子達の姿は無い。



バスのエンジンがかかり、走り出した。すると何もない道の途中でサウジの男の子達が力尽きた感じでトボトボ歩いている。思わず笑ってしまったけど、ああいい子達なんだなあと感心した。



そんなこんなでクライストチャーチに到着し、ホストファミリーが迎えに来てくれてたので一緒に路線バスで帰った。



とてもいいクリスマスホリデーとなった。南島の要所をほとんど回る事ができたし、あの経験があったから次の観光はここがいいとか、こういう体験ができるとか知ることができた。個人旅行では絶対にわからない事もたくさんあったし、多国籍のみんなと仲良くできる事も本当に楽しかった。



この8日間で日本円に換算して約5万円ちょっと。ほとんどの夕飯と、全ての朝食が付いている。安いもんだ。



NZはこういう現地でのツアーが数多くあるので、日本から全てを申し込んでいくのもいいけどこういうのを利用するのも面白い。ぜひお試しあれ!

2009年7月22日水曜日

南島ツアー⑤DUNEDIN
















クイーンズタウンからダニーデンへ。なぜか前からダニーデンへ行ってみたかった。留学をダニーデンとクライストチャーチとで迷ってたくらいで、別に何がそこまで興味をひくのかは自分でもわからなかったし、大学都市っていう事しかしらなかったのにどうも惹かれる。

ダニーデンはスコットランド移民の町です。そのせいかクライストチャーチとは違った建築様式の建物が目立つ。古い建物が多く建っていて、装飾も綺麗なものが多い。個人的な印象としては、クライストチャーチよりも洗練された、よりヨーロッパの雰囲気を感じる場所という感じ。

そのダニーデンで年越しを体験した。夜10時頃になると広場にどんどん人が集まってくる。数件のテキヤが並び、ステージができている。私も飲み物片手に年明けを待った。ステージではおそらくNZでも無名だと思うけれども色んなミュージシャンが来て、色んな曲のカバーを演奏していた。みんな一斉に盛り上がり、カウントダウンの頃には最高潮にその辺の人と騒いだ。他の都市でも同じように年越しライブが繰り広げられていたよだ。クイーンズタウンでは雨だったらしく、
「ダニーーデーーン!クイーンズタウンは雨だけどダニーデンは晴れてるぜーーー!!!」
と大盛り上がり。

そんなこんなで年越しライブも終わり宿へ。次の日に、ギネス認定世界一急な坂を上った。ダニーデンの中心から車で15分ほど。見てるのもすごいけど上ったらもっとすごい。半端じゃあない。よくこんな場所に家を建てて住もうってな人がいるもんだ。強靭な足腰でも作りたかったのだろうか。車で上がるのだって大変なのに。少し太めのドイツ人の16歳の男の子はとてもつらそうだった。その姿を見て勇気づけられなんとか上った。
次の日は前から行きたかったOAMARUへ。ここはペンギンが生息することで有名な町です。昼間だったのでその辺には歩いていないけれど、海沿いの崖をエリック(ガイド)が調べながら歩いていくと、巣穴を発見!イバラみたいのにさされながらものぞいてみると、





「いた!」





おそらくYELLOW EYED PENGUINだと思われる子供が!野生のペンギン初遭遇!ここの海岸にはオットセイなども多く訪れる。普通に海岸にそういう動物がいるのってすごい。私は日本でずっと海からそこそこ近い位の所に住んでいたけれど、打ち上げられたイルカ(すでに死亡)しか見た事がない。関東地方だからという事もあるんだろうけど。

OAMARUの他にもこれも私が日本にいるときから見たかったMOERAKI BOULDERSへも行った。海岸にまんまるい大きな岩がいくつもある風景。なんとも不思議。この岩は地中から出てくるのだそうです。てっきり地上で波に洗われて出てくるのかと思っていたけど違うらしい。世の中不思議な風景ってあるもんだ。神様の遊び心としか思えないような風景が。

その日はNZ最高峰、マウントクック近くの町で宿泊。最後の宿泊です。

2009年7月18日土曜日

困難があって思う事


一つ何か障害や不安などがあって気づく事がある。必死に前向きになる事がすごく難しいとわかる時もあり、今まで前向きにいられたのはそれほどの困難が私の前に立ちはだかってはなかったんだということだと気づく。

恐怖は今まで体験したことのないものに多くおこり、体験したあとにはそれは恐怖ではなくなる。特に私はそういう時ばかりイマジネーションが発達してしまうから、体験する前の恐怖はそれはそれはすさまじいものがある。それでも、あ、こんなものだったのかって思える事は幸せ。

健康で、生活費もあって、好きな事ができている時には気付かない事って山ほどあって、それはいいことも悪い事もたくさんあって、私の場合はそういう時って停滞しているに過ぎない。

だから、今、不安が多くあるなかのこの時間は貴重なものだと思っているし、そう思いたい。今できない事があるって事に気づけば、できる時期になると明確に何がやりたいかがわかってくる。

大丈夫って周りに言う。それは本心というより、自分への励ましの言葉。大した事はないと、最悪の場合があったとしてもそれでも大丈夫だと、そう本心から思っていたい時の自分への励まし。

あー本当に、なんでこんなに心配性なのか!!!大丈夫だって!!!

でも、こういう時にわかる事がたくさんあってそれは興味深い。それとともに、あの平気そうな顔の後ろにはどれほどの辛い気持を抱えているのだろうかとわかった事も私にとっては本当に貴重な事。表で見えている顔と、気持ちは必ずしも一致するものではないということ、頭ではわかってたけど今回の事で肌身にしみた。みんなすごい。

いざ私の前にある心配事が来週なくなったら、それこそ羽を得たように動きだせると思う。もしなくならなくて更に進んだ事になったら、それはその時で更に学ぶ事ができると信じよう。

多分、大丈夫。人間は越えられる分の障害があるって言う。越えられる分の器があるって信じよう。
頑張れ!自分!
来週これが大したことないことだってわかるさ!!!

2009年7月15日水曜日

南島ツアー④クイーンズタウン





ルピナスの写真はクイーンズタウンへ行く道中のものです。

NZ最大の観光都市と言えるか?ROTORUAに匹敵すると言えるか?それはわからないけれど、とにかくNZでできるアクティビティは全てここで体験できるというQUEENS TOWNへ。女王が住むにふさわしい街ということからこの名前になったのだそうです。ど真ん中に綺麗な湖があり、その周りは山に囲まれている。近くには綺麗な川が流れていて、小さな町もそこそこ栄えている。ケーブルカーに乗って山の頂上へ行くと、リュージュに乗れたり、パラグライダーができる。



が、しかし、私はその二つを全くせず、自らの足で山頂まで登り、山頂から見る景色を堪能し、また一人で下山した。上りは1時間半、下りは40分。そのコースの途中の森の奥に、誰かが積み上げた石があった。なんとなく人の形に似ている。ちょっと不気味にも思えるその石。何の意味があるのだろう?日本で石を積むというと、亡くなった人へのメッセージだとか、供養だとかそういう意味になるのだけどはたしてNZでは?



湖の周りには公園がある。その公園を歩き、バラ園を見ながら街に戻ってタイ料理屋で夕飯を食べた。なぜタイ料理!って思うけど、やはりここはアジア人、アジア人にはアジアの食べ物がほっとする。それが国が違ってても、アジア料理ってやっぱりあっさりしてるものが多い。だからNZで一番食べたのはたぶんタイ料理。日本料理はクライストチャーチの場合ほとんど韓国人が経営してて、味が違うのであまり行かなかった。もちろんちゃんと日本人が料理している日本料理屋はあります。そういうところはやっぱりウマイね。



あ、クイーンズタウンで一つだけアクティビティやりました。ジェットボートを。



川を時速80キロで下ったり時々ターンしたりするボート。迫力満点。一緒に乗ったドイツ人の16歳の女の子は



「I wanna kill you!!!」



とドライバーに叫んでいたよ。



私はやらなかったけど、他にもキャニオニングや、スカイダイビング、バンジージャンプなど色々できます。



クイーンズタウンに3日いて、そのあと私の大好きなDUNEDINへ!

2009年7月12日日曜日

南島ツアー③







3日目はニュージーランド屈指の観光地、ミルフォードサウンドへ。森林の中をずーっとバスで走る。ミルフォードサウンドへ近づくにつれ滝が多くなってきた。そのたんびに停まり、滝を見る。川の水が透き通ってて綺麗だった。そして、途中とまったBLUE POOL TRACKという30分ほどで到着できるトレッキングコースを歩く。なんでここ選んだのかなあと思っていたら、いきなり細い吊り橋が。なかなかの高さにかかっている吊り橋。私は高いところが大好きなので喜んで歩いたけど、大体の人は怖がっていたと思う。そこを渡りきり。15分ほど歩くと、それはそれは綺麗な川の出現!まるで南国の海の色。現地の人はここでフライで魚釣りをしていた。うーん、サマになってるなあ。魚を水上から一発で見つけられそうな位透明。ただ一つの難点はサンドフライという吸血小蝿がたくさんいたこと。サンドフライさえいなければここでテントはって一日中遊んだっていいのになあ。



ミルフォードサウンドとは、入江の海に高くそびえる山々が見事なコントラストとなって絵葉書のような風景が見られるところ。ここには落下距離が世界一長いという滝がある。ミルフォードサウンドに近づくと、山と小さな無数の滝がそのへんに見られ、壮大な景色になってきた。正直言えば、私はミルフォードサウンドよりこの行くまでの道中の景色の方が好きです。



ミルフォードサウンドに到着し、そこそこ大きな船で2時間のクルーズ。入江を一周し、途中岩の上で休んでいるアザラシなどが見られた。海におちている滝の所で停まり、できる限り船を近付かせ、滝のしぶきを存分にあびる事ができるけれど、その日は寒かったので私は遠慮した。他の人たちはここぞとばかりに水着になり、凍えながら楽しんでいた。あー、みんな若いわ。自分の年齢を感じる。



ミルフォードサウンドを出て、その日は近くのフィヨルドランドに宿泊。宿の前に湖があり、夕方そこで一人でのんびり。周りには何もなく、草原と道が一本果てしなくあるだけ。ああ、これこそニュージーランドだなあ。






正直な話、ミルフォードサウンドにはそれほど感動しなかったけれど、そのことを学校の先生に話したら、頭がおかしいと言われた。それは日本でいうなら富士山全然良くないって言ってるのと同じだと。現地の人にNZで一番綺麗なところは?と質問するとかなり高い確率でミルフォードサウンドの答えが出てくる。もちろん見て損したとは言わないけど、行くまでの道中がそれはそれは綺麗だったので、そっちに感動した後に着いてしまったというのが原因かなあ。



ちなみに、ミルフォードサウンドは雨が多い。景色が綺麗に見られる天気ランキングは、1位、晴れ、2位、雨、3位曇りなのだそうだ。私が行ったのは曇り。だからかな。



でもミルフォードサウンドのトレッキングはかなり綺麗らしい。友人が行ったので感想を聞くと、滝の内側を歩く道とか、滝を上から見る道とか、なかなかバリエーションがあるらしい。なのでここの山小屋はいつも混雑していて予約をとるのに苦労するほど。ミルフォードサウンドに行くならクルーズだけじゃなくてトレッキングをするのが本来の楽しみ方なんだろうな。






続く。

2009年7月11日土曜日

自分のアトピーについて。


写真は、全く関係ない、ニュージーランド南島の都市、BLENHEIM の住宅にあった巨木。NZに行って完璧巨木マニアと化す。

私はアトピー性皮膚炎を小学校3年位からもっている。そのおかげでだいぶ悩んだ日もあったし、眠れない辛さを体験して、精神的にギリギリになったこともあった。またそういう日が来るのかもしれないけど、私はアトピーや他のアレルギーを持ってよかったと思う。


自然や環境の事とアトピーを考える事は似ている。結局のところ、環境にいいものは自分にも優しい。そんな観点から改善法を考えるようになった。発症してから20歳くらいまで、どうしておこるのかもわからなかったし、症状を改善させる方法も、せいぜいやさしい基礎化粧品をつけるとかそんな程度しか考えてなかった。でも色々経験して、自分なりになんとなくわかってきた。人それぞれに症状は違うから一概には言えないけど、私の場合においてを書いてみようと思う。


まずは私のアトピーについて。


10歳から18歳まで神奈川県に住んでいたのだが、その頃は関節にしか発症してなかった。どんな服を着ても平気だし、化粧水などもコンビニなどで売っているものを使用してたけど全く問題なかった。18歳で専門学校に入る為、東京に引っ越してもまだ同じような症状。でもあるきっかけで顔全体に出てしまう。それは、友人の家に泊りに行った時に使用した友人の基礎化粧品と、柔軟剤を使用したタオル。これを使用した直後から約20分で顔はみるみるただれはじめた。目はものもらいのようにふくれあがり、顔全体に熱を持ち始めた。顔の腫れは一日でなんとかおさまったものの、それから約15年間、顔に出続けた。今も気を抜くと出るけれど、ほとんど一見したくらいではわからないほどにおさまっている。そして、今度は背中、お腹や胸、首など全体に発症し始めた。首は少し肉がえぐれたようになり、体は常にカサカサして、胸はジュクジュクして下着につき、脱ぐのにてこずった事もある。体のアトピーは歴史が浅い(笑)せいか、表面に出ている感じがする。他はもう少し深くから出ている感覚。


そのうち、外に出ると目の周りが真っ赤になり、まるでパンダのようになる日々が続いた。夜になるとそれはひいて普通の色に戻る。なぜそうなるのかが全くわからないし、そんなアトピーは体験したことがなかった。なんとか体質から変えようと漢方薬を飲んだ事もあったけど全く改善ならず。漢方薬は最初に体にたまった毒素を出すため、症状はいったん悪くなることがある。まさしくその状態になり、両目の中に合計10ものものもらいができるわ、症状はひどくなるわで、そんな状態が1年以上続いた為に漢方薬は私に合わないと判断し止めた。


仕事が忙しくなり、責任のある仕事についたせいもあってひどくなった。痒さで夜も眠れない日々が数週間続き、精神状態もぎりぎりで、一人で泣く事もあった。さすがにこれでは仕事にも影響が出てしまうと思い、大学病院へ。


アトピーの人には理解頂けるとは思うけど、病院にいって塗り薬をもらったところで完治しないことはわかっている。塗らないとまたひどくなる状態に嫌気がさし、根本的に治らないのなら薬も塗りたくないと思って長い間病院には行ってなかった。それがステロイドであろうとなかろうと。


でもそんな事を言ってられなくなり、大学病院へ行き、処方してもらうけれど、ある時を期にそれもまた止めた。


長年働いていた会社を辞めた時、顔の症状がほぼなくなった。顔に症状が出るきっかけは大手化粧品メーカー(しかも優しさをうりにしている)の基礎化粧品と柔軟剤だったけど、最終的には顔にでているアトピーは8割ストレスによるものだったと判明した。体は今も出ているけど、昔ほどはひどくない。


アトピーは体質。ずっと付き合っていかなければいけないもの。でもどうしてそれがおきるのか、どういう場合にひどくなるかを考えていったら、私なりに出た結果は非常に興味深いものだった。


次は、ここまで自分で改善できた理由などを参考までに書いておきたいと思う。

2009年7月10日金曜日

南島ツアー②











パンケーキロックの近くに泊った次の日、今度はWEST COAST沿いを南下してFRANTZ JOSEF 氷河を目指す。こっちのツアーは行く道すがら色んな所に立ち寄る。綺麗な公衆トイレの情報もかなりあるし、景色のいいところでティータイムをとってハイキングのような形でお茶を飲む。綺麗な景色の時は必ず泊り、写真タイムになったり、滝があるたびに立ち寄ったり。いやー、エリック(ツアーガイドで、運転から夕食作りから全てこなす)もう滝いいや・・・って言いたくなるほどだった。




2日目最初に立ち寄ったのはHOKITIKAという小さな町。秋にはゲテモノ食材祭りなるものが開催され、何かの幼虫などを食べる事ができる。エリックが言うには、ここで作られるマオリのシンボルであるGREEN STONEはニュージーランド産のヒスイを使用した本物なので、買う予定のある人はここで買った方がいいとのこと。帰国する前にひとつはほしかったので、ここのを買った。形によって意味が異なるということは知ってたけど、その詳細をしらなったのでデザインで渦巻きのようなものを買った。この意味は、悪魔から身を守るというものだった。他、魂の再生を意味するようなものとか、食糧に困らないというような意味のものとか、色々伝統的な意味をもった形のものがある。ちなみにJADEとGREEN STONEは品質が異なるものだそうです。GREEN STONEはちゃんとヒスイでできているもの。だからJADEより高い。私が買ったもので50NZドル。(当時で3000円弱)




ここを過ぎ、いよいよFRANTZ JOSEF氷河へ。氷河から溶けだした水の川が流れていて、そこを渡らなければならない。手前で裸足になり、みんなで渡るが、とんでもなく冷たい!!!冷たさで足が動かないとはこのことだったのか!でも負けてはいられぬ!根性の見せどころだぜ!と意気込んでなんとか到着。氷河を見たのは生まれて初めて。できることなら氷河トレックをしたかったのだけど、残念ながらこのツアーではそれはできない。しかも夏だったので(といっても寒い)氷が溶けだして倒れる危険性もあるのでふもとまでは行けなかった。








続く。

2009年7月9日木曜日

南島ツアー











学校にはツアー会社が来るので、それに一人申し込んだ。8日間で南島の半分より南を回るというもの。ずっとホストファミリーと一緒に2週間すごすのもどうかと思い、クリスマスホリデーはそれに費やす事に決めた。コースは、CHRISTCHURCHからARTHURS PASSを通ってWEST COASTでPANCAKE ROCKを見る。なんやらわけわからん、かもしれませんが、要するに日本横断みたいな感じ。東京から長野通って新潟!っていうコースと一緒。CHRISTCHURCHをバスで出発し、最初に停まったのはナルニア物語の撮影地。壮大な景色が広がる。これぞザ!ニュージーランド!NZで思うのは、そういう土地が観光化されていないということ。駐車場と小さいトイレがあるだけで他はどうぞ!ご自由に!日本だとまずナルニア饅頭なるものが売られているだろう。それはそれで面白いけどね。




ドカーンとした山と、広大な野原、下を流れる清流、たくさんの花。まるでそこだけで小さなアルプスのような表情。ハイジが出てもおかしくない?かな。その後ARTHURS PASS国立公園へ。ここはNZでも有名な観光地です。短いトレッキングコースを歩いて滝を見た。クライストチャーチはカンタベリー地方の中にあるのですが、このカンタベリー、非常に乾いているので森が少ない。大木はあるものの、雑木林はほとんど見ない。なので、この国立公園に着いた時は、ちょっと日本に似てるなあと思った。ここでは川で遊ぶアクティビティなどが楽しめます。私のツアーではトレッキングと昼食だけだったけど。




そして夜7時ごろWEST COASTへ。PANCAKE ROCKといういく層にも重なったように見える海岸ぞいの岩を見る。ホットケーキの皮をいくつも重ねたようにみえる事からこの名前がついたそうです。ミルフィーユのが近い感じがするかな。日本でいうなら、宮崎の千畳敷海岸の岩を縦にしたようなイメージ。ここでなんと、遠くからだけど波打ち際で遊んでいるイルカ2頭を発見!




そして、貸し切りのドミトリーで宿泊。このツアーでは半分は日本人、他サウジアラビア数名、台湾1名、韓国1名、ドイツ3名、ブラジル1名が一緒だった。夜はみんなで夕飯を作り、ワインを飲んで騒いだ。ブラジル人からサルサを教えてもらったり、楽しかったなあ。結局学校の友達が別口でこのツアーに申し込んでたから、全く一人ではなかったんだけど、国境を越えてここで友達ができた。




もし留学するなら、こういうツアーにはぜひ参加したほうがいい。そして、色んな国の人と話したらいいと思う。自分の中で知らない間に固まってしまった日本人の持つ感覚や、海外から見た日本という発見とか、色んなものを学ぶ事ができた。




続く。

2009年7月8日水曜日

いきなり座間味







NZの体験記を書いている最中ではありましたが、いきなり先日行った座間味について書きたいと思います。過去の仕事でためたマイルでいざ沖縄へ!本当は宮古島に行きたかったけど、座間味で開催されたサバニレースに参加する友達がいたので座間味に行き先変更。綺麗な海があればそれでいいっす。サバニとは沖縄の伝統的な舟で、なんとそれで約40キロ離れた那覇まで行こうってんだから半端じゃーない。



まずは那覇に到着。まだ梅雨があけてないので雨。ものすごい湿気の中ゆいレールにのってホテルへ。夜はサバニ関連の友達と会い、久しぶりに飲みに行く。そして次の日、知り合いの人に教えてもらった占い師の所に、今後どのような職業がいいかを相談しに行く。しかしそこで言われたのは、



「とりあえず今年、いいやせめて来年までに結婚しろ」



ということでした。仕事どうこう言ってんじゃない、結婚だよ結婚!と言って、職業の事はものの2分で終わりました。一応合う職業は教えてくれたけど、具体的なものではなくてひとところに落ち着かない職業に着いた方がいいということ。今までも確かにそう。もちろん会社に通ってたけど週1で地方へ行ってたし、都内でもウロウロ打ちあわせだなんだでしてたし。とにかく今年、結婚します!自分の人生にそれを入れたまへというので、入れますよ(泣)



まあそんなこんなで次の日、那覇の泊(とまりん)港から座間味へ!高速船はいっぱいなのでゆっくりフェリー座間味に乗り、途中阿嘉島へ停まって、座間味島到着!予想してたよりはるかに田舎。港周辺が一番の都会だろうけど、食堂が数えるほど、民宿数えるほど、小さなスーパー一軒。



田舎の方が海は綺麗。なので、ダイバーの私には無問題です。その日の晩に友達と飲みに行く。やっぱ久しぶりに会うと飲んだくれてしまいますなあ。



次の日から完全一人旅スタート!原付を借り、島を一周。楽しかったー!島には展望台がたくさんあるので、それをいちいち回って写真撮影したり眺めたり。やっぱ海綺麗だわー。座間味着いた日に梅雨もあけて、素晴らしい快晴!晴れ女の本領発揮!です。やっぱり一番綺麗なのは一番有名な古座間味ビーチなんだけど、座間味島はほとんどが山なのでビーチって呼べるのはここくらいなのです。屋久島の地形に近いかな。夜はペンション星砂で夕飯。地元の食材をフルに使った家庭的で量も多い、とてもおいしいものでした。紅芋ダンゴなんか最高!



そして、次の日、よっ!待ってたよ!ダイビング!今だからこんなこと言えるけど、前回の別のところでのダイビングでしにそうになったのでちょっとビクビクしている。そんな相談にのって私一人に一人ガイドをつけてくれたてぃーだマリン様、ありがとうございました!



一緒のボートに他のお客さんがいるけど、みんな海女さんみたいだった。年配の女性3名と、まるで映画でもとるような機材を持った中年の男の人。この4名は俗にいう魚派のしかもマクロ派。ダイバーは大体魚を見るのが好きか、地形をみるのが好きかに分かれるけど、そのうちの魚派のしかも小さいものをカメラに撮影するものが好きな人たち。こういう人たちの特徴は一か所からなかなか動かないという事だろうか。



私は断然地形派。でもこの座間味、世界有数のサンゴの種類の多さを誇る慶良間諸島ですから、それはそれは海中の景色は綺麗だった。ばーっと一面のサンゴ礁、それに群がる魚たち。ペンションを出る直前にカメラが壊れたのはほんと、なんつー不幸。



ちょうど産卵期にあたってたので、ピリピリしているクマノミ達からクマノミアタックを数回受けた。別に君らの卵を取って食おうなんてしてないんだけど、ちょっと凝視しすぎたかな。しかしこっちのクマノミは大きい。伊豆で見るのの3倍はありそうだな。小鯛かと思ってしまうよ。



大体透明度は25って所でしょうか。コンディション良かったら30はいくとのこと。それを次回見るのが楽しみです。



大体深度15位までだったのと、陸に近い場所という事で大物とかはあまり見なかった。透明度がいいので、15メートルといっても実感としてはせいぜい7メートルってところでしょうか。ゆったりのんびり、移動はゆっくりのダイビングで楽しませて頂きました。

綺麗な海を守りたい私としてはほんと、切に願う。

みんな、日焼け止めはパラベンの入っていないものにしましょう。パラベンでサンゴは死ぬそうです。オニヒトデばかりじゃなく、人間もサンゴを殺してしまっているのです。いつまでもこの座間味を含めた全ての海が守られますように。
I was going to Zamami island in Okinawa.Zamami is belong to Kerama islands.There is known for its beautiful sea.I enjoyed going diving and touring by motor bycicle round island.there were many tropical fish and nice coral in the sea.When I was in the sea 15meters deep,I felt there was more shallow because there was clear.NIMO hits me to protect his(her?)eggs.I'd prefer to see dynamic topography than watching fish.but Zamami had huge coral area so I was abusolutely amazed by many kinds of fish.
we must save the sea with our effort.
英語があっていることを願う。間違ってたら教えてくださいませ。

2009年7月5日日曜日

christmas holiday







12月20日から年末の休みに入った。約2週間。こっちのクリスマスってどんななんだろーと期待しつつ。学校ではクリスマスパーティが催され、みんなで安いプレゼントを持ち寄ったりした。うちの学校には卓球台があったので、卓球大会が始まり、私はなかなかいい線までいくことができた。しかし、ワイン飲み放題のこのパーティ、そりゃ酔っぱらう人も出てくるわけで、酔っぱらい同士の卓球なぞなかなかの見もの。本人たちは試合してるつもりなんだろうけど、はたから見たらまるで漫才。クリスマスは明るくみんなで楽しく!ってのがやっぱりいいな。



NZの家庭ではクリスマスツリーはイミテーションではなく、本当のモミの木が飾られる。モミの木屋さんがあって、畑からのこぎりで切って買ってくる。うちのママは「うちのは小さいの。でも小さいのもいいのよ」って言ってたけど有に2メートルはある。そこに色々飾り付けして、それぞれに渡すプレゼントをふもとに置いておく。恥ずかしながらこの習慣は知らなかった。日本だとクリスマスの朝に子供の枕元にプレゼントを置いておくのが通例だけど、NZでは木の元において、その日が来たらそれを開いてみるといった形。私も二人用にアルバムを買っておいておいた。



クリスマスになって、プレゼントを開ける時が来た。私のプレゼントを見て、「ま!こんな事するなんて生意気な!」と言って笑った。しかしその後、パパからのプレゼントをママが見て怒った。パパは洗顔フォームを買ったのだけど、ママは固形の石鹸しか使わないらしくて、「ふざけんな!私は固形のしか使わないのに!なんでこんなの買ってくるのよ!今すぐ店に返しに行きなさいよ!」パパもちっちゃくなってる。



・・・いやーこっちの女性は強い。その洗顔フォーム終わるまで使えばいいのに・・



でも結局は洗面所においてあり、「yatty、これはすごくいいものだからあなた使いなさい」と勧めてきた。一連の流れを私が見ていることなんて全くお構いなしだ。



せっかくのクリスマスなので街に出て、大聖堂を見学した。それといって飾り付けなどはなかったけど、クリスマスに教会行くなんてやっぱり雰囲気あっていいなあ。季節は日本の春位。北半球で生まれたせいかクリスマスには雪が降っててほしい、寒くあってほしいって思ってしまったけど。



気のせいかもしれないけど、日本みたいにクリスマスは恋人が会う日っていう感じは全くしない。みんなで楽しくパーティか、家族で祝うか、みんなそんな感じなのではなかっただろうか?



クリスマスの次の日はBOXING DAYといって、出したおもちゃなどを箱にしまう日だとパパは教えてくれた。この日に街はバーゲン一色となり、3割4割当たり前~!になっている。



でもNZではクリスマスは何もこの数日間だけではない。約2週間クリスマスは続くらしい。年末年始の休みをクリスマスホリデーというんだけど、その期間はクリスマスという扱い。日本ではすぐそのあと正月が来るけどNZではそのままクリスマスが続く。やっぱりキリスト教の場所でクリスマスを迎えるのはいい。CHRISTCHURCHっていうキリスト以外考えられない名前がついている名前だけあって。



関係はないけど私は数多くあるクリスマスソングのうち、ジョンレノンのHAPPY CHRISTMASが一番好きです。恋人に重点を置いたクリスマスってのはどうも好きではない。そもそもキリストの生誕を祝うのだからそこはそれ相応の意味をつけたい。その点でこの歌は素晴らしいと思う。



ジョンレノンは歌う。クリスマスなのだからみんなで楽しく過ごそう、人種も全て越えて、若い人も年をとった人も、弱い人も強い人も、喧嘩や闘争を止めて楽しく過ごそう。あなたが祈れば戦争は終わる。



この歌詞の意味を翻訳ではなくダイレクトに感じる事ができたこと、これが私の留学の一番大きな成果だと思う。

2009年7月3日金曜日

LAKE TEKAPO







NZに行く前から話に聞いてて行きたかったLAKE TEKAPOへゆく。ミルキーブルーの湖なんて日本でめったにお目にかれないからこれは見ておかないと!と日本にいるときから入念に調べていた。なんでも氷河の水が流れてきてそんな色になっているとか。そのせいかNZの南島にある川もいくつかはそんな色をしている。青い色が大好きなのでもうこれは行くしかないわー。それだけで南島に決めたと言っても過言ではないくらい。(あとツチボタル見たいから。でも結局北島のWAITOMOが一番有名だったけど)



友達が車を出してくれたのでクライストチャーチを朝出発!約3時間でTEKAPOに着く。あいにくの霧雨でかなり寒い。天候のせいもあって湖もちょっと暗い色。でもせめて有名な「よき羊飼いの教会」だけは見ようと言ってみた。とても小さい教会で、中は撮影禁止。石が積まれてできている教会はこの綺麗な湖にとても合っている。湖際にあるユースホステルに宿泊。日本ではユースに何度か泊まった事あるけど海外は初めて。入ってみるといろんな国籍の人がいる。韓国人グループは外でさすが、焼肉を焼いている。日本のユースは食事を追加料金で出してくれるけどこっちは自分で作る。食事のあとラウンジにいたらドイツ人の若者にからまれる。ワイン飲みすぎだってー。あんまり近寄るからちょっとよけたら「she don’t like me」と間違いのある英語で言われた。やっぱり外国の人もヨレヨレになるんだーと思ったらおかしかった。そこで韓国人の男の人1人と、ヨレヨレドイツ人と3人でトランプをやって夜をすごした。



次の日、快晴!なので湖綺麗!NZ最高峰のマウントクックまで車で1時間半なので足を延ばす。途中のPUKAKI湖もTEKAPOと同じ色をしていてとても綺麗。



その日の夜、世界遺産登録に挑戦している星空を見た。ここテカポでは綺麗な星空が見られる。こちらの夏は日がものすごく長いので、夜11時過ぎに真っ暗になった。周りには何も明るいものはない。流れ星なんて数え切れないくらい流れるし、天の川ももちろん見られる。あと、日本では波照間でしか見られないという南十字星も見られた。(たぶん。。。あってれば)



星って不思議だなー。見てると懐かしく思える。昔自分の祖先が星空見て過ごしてたのかなあとか考える。スピリチュアルの人に私の前世が宇宙人だと言われたので、それかもしれないけど(笑)



星を見て夜12時過ぎにTEKAPOを出る。途中ウサギが出る出る。野兎かわいいーーーー!!!子ウサギもわんさか出てきて車で轢きそうになるけど、そこはぐっと道に集中してもらってなんとかひかずにすんだ。



しかし自然はすごい。自然が作り出す色には驚かされる。輝くばかりの水色に草の緑、花の紫、赤。この景色が壊されることなく、いつまでも星空が綺麗に見られるように、切に祈るばかりです。