2009年11月28日土曜日

入院経験①

今日5日間の入院から戻ってきたのでその日程を残しておこうと思う。
24日
検査と手術の為に入院。元気なので何もやることなし!明日の手術の為に体力を温存する。夜9時頃担当医から病気と手術の説明が私と両親になされる。夜9時まで手術でたてこんでいたらしい。大変だあ。極めて珍しい腫瘍だという事を写真を見せて親に説明する。私はそれほど親に説明していなかったので、改めて癌の可能性が多少なりともあることを親は初めて知ったと思う。でも可能性がいかに低いかをちゃんと説明してくれたので大して心配もしていなかった。私の場合、膀胱がんの可能性は皆無だったけど腺癌の場合は検査結果でそう出てしまったので説明しなければならない。でも症状からみても腺癌の可能性もなさそうだと。夜は下剤を飲まされ就寝。夜は食べ物はおろか水分も取ってはダメ。
25日
下剤の効果なし。なんとなくお腹痛い?いや痛くないか?ってなくらいで便通もなし。どっちにしろ下剤の後に浣腸もやらなければならなかったので、心配はしていなかった。ただその頃ひどい便秘だったので浣腸の威力により苦しむだろうなあ・・・と懸念。今日は新人の男の看護師がついた。
「あの・・、浣腸は男でもいいでしょうか・・・?」逆にそんなにかしこまれるとこっちも身構えてしまうけど、もう尿道さえ何度も男の先生に見られているので何も恥じる事無くOKだよ。いやー久しぶりに浣腸したけどあの威力はすごい!された後5秒ともたなくトイレへ直行でした。
その後もちろん何も口にできないので栄養補給の為の点滴、事前の抗生剤を投与。新人男看護師A君が私の細い血管に点滴針を刺さなければいけない時がきた。だいぶ探したけどなかなかなくて、私も難しいから他の人に変わった方が・・と言いそうになったけどそこは彼のプライドもあるだろうと思って黙っていた。
「あの・・・ここで一度挑戦したいのですが、あの、もしダメだったら上の者に変わってもらうので、僕新人なのでうまくいけるかわからないんですけど、それでもいいですか?」
ああ、もちろんいいさ。君の勉強の為にひと肌脱がせてもらうよ!まあ、案の定ダメでした。その後、A君がまた部屋に来て、
「あの・・・手術2時10分からになりました。・・・不安・・・ですよね?」
何かしゃべらなければと思ったんだろうなあ。でも別に不安じゃなかったので
「いや、別に大丈夫ですよ」と答えた。そんなA君にストレッチャーを押してもらい、手術室へ。そこでは担当のO先生が待っていた。うん、いつもより凛々しい。っつーかちょっと怖い。
台の上に寝て、背中を3回消毒。しかも広範囲。なんでだろうなあ。そのうちに、背中を丸めてくださいの合図。ああ・・・一番恐れていた腰椎麻酔だあ・・・・昔盲腸でしたことあって、その時は痛い記憶がなかったんだけどその後みんながあれは痛いあれは痛いといらねー情報をくれるもので、ちょっとおびえていた。先生も、ちょっと痛いですが耐えてくださいねと言っている。助手の人も、頑張ってくださいねとか言っている。えーそんなに痛いのかよ・・・と思ったけど、結果的には刺されていたことさえ気づかなかったという痛みのなさ。なんでだ!?やっぱ麻酔って嫌ですなあ。ムワーンって感じが。しかもちょっと効きすぎてしまって鎖骨あたりまで感覚がなくなっていた。だからしゃべることも辛かったし、呼吸もちょっとだけしづらかったので意識して深呼吸した。麻酔中は寒い。本当に極寒に裸で放り出されたように寒い。
1時間で手術は終わり、O先生が内視鏡で切った腫瘍を入れた容器を見せてくれた。
「あーこれは大丈夫、癌ではないですよ。結果は難しいものなので2週間はかかるかもしれませんが内膜症で間違いないと思いますよ」やったー!と、内膜症で喜ぶ自分もおかしいが、うれしかった。ただ、
「しかし膀胱子宮内膜症の傾向の一つでもある、膀胱の深部からやはり腫瘍が根付いているので、全部とることはできませんでした。とると穴をあけてしまうのでね。なので、薬で様子を見ながら、もしできるなら開腹手術で膀胱を一部切ってしまうのが一番いいと思います」とのこと。
まあ、その辺はおいおい状況を見てやることとします。まだはっきりしたわけではないしね。
手術後20分の安全の為の待機、そしてA君に私の身柄は渡され、病室へ帰る。ひどい寒さに震えながらその日は山のような点滴と一緒に就寝。
ちなみに手術中の血圧は上が70まで下がった。麻酔で機能をとめてるから当たり前なんだけどね。血圧70なんてなったことなかったので。

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