2009年7月26日日曜日

私はアホかと最近思った事。

もう長年痛みを抱えていたけどほっておいた下腹部痛を、この暇をいいことに検査してみようと思った。こんだけほっておいたのだから痛くて我慢できないということではないのと、その痛みは2か所あり、なんとなく痛い時もあるかな?というものと、毎月決まって痛くなる週があるけど治るというもの。実は1年前に勇気をふりしぼって婦人科へ行き見てもらったのだけどその時は全然異常が見られなかった。なのでそのままにしてNZへ行った。なぜそのままにしていったかというと、泌尿器科へ行くのが怖かったからだ。いわゆる逃げたのです。婦人科じゃなければ絶対泌尿器科でしょう!という痛みなのに、婦人科で無理やり自分を安心させて留学へ。もちろん日常的に痛みは来るのでたいして気にもせず5カ月NZで暮らし、帰国。そこで、やはり調べようと思い、内科へ。(ここでも泌尿器科から逃げている)
エコーで見てみると、なんやら膀胱に腫瘍のようなものがある。即効紹介状が書かれ、大きな病院へ移されました。
何が嫌って、膀胱鏡検査が嫌だったんだ。絶対にそれをやりたくないと思ってたから手変え品変えで病院へ行ってたのだけど、どうやら年貢の納めどき・・・。大きな病院なのに次の日に予約が入ってしまった。
病院の泌尿器科で、早速宣告。
「これから、造影剤を使用したCTと、腎臓レントゲン、膀胱鏡検査をしていきます」
あーーーー、恐れていたことが・・・・・。その時もエコーで見たんだけど、やっぱりそこそこ大きな腫瘍というかでっぱったものがあり、でも先生曰く、
「膀胱の中から来ている感じはしないですね、子宮からの影響のような。でも女の人はよくあるんですよ、子宮と膀胱は隣り合ってますから子宮の形によって膀胱がでっぱったように見えるって事が。」
くーっ!安心させる事を言ってくれるじゃないか!じゃあ膀胱鏡しなくてもいいのでは?と思ったのが悟られたのか、
「膀胱鏡は必ずすると思っていてください」という手厳しい言葉。
結果的に、やりましたよ。恐怖の膀胱鏡。詳細は書きません。怖がるから。でも画像は鮮明です。膀胱の腫瘍の9割は癌だそうです。癌の症状の一つに血尿がありますので、血尿が出たら即膀胱鏡検査で調べることをお勧めします。膀胱炎も血尿が出る事があります。膀胱はすごく反応が出やすいし、手術しやすいので、膀胱ガンでの死亡率はかなり低いのだそうです。安心して膀胱鏡検査してください。私は事情があって信じられない体験ではありましたが、普通の女性は多分大丈夫です。
そう、それで私の膀胱内をこの内視鏡で見たのですが、なんと、腫瘍が2つ。しかも先生も一体これがどういう腫瘍なのかなんやら見たこともないということ。子宮から何かが派生してこういうふうに影響が出てしまってる可能性もあるということで、次の検査ではMRIを撮り、そのあとに婦人科で検診です。それが何もなければ内視鏡にて腫瘍の切除となります。その時は麻酔をします。
ガンがどのように見えるかは知らないけれど、私のは黒いものでした。大きさもちょっとあるかなあ?
今までに血液検査、尿検査、CT、腎臓レントゲン、膀胱鏡検査とやってきましたが、CTと膀胱鏡に腫瘍が映ってただけで、他は異常がありませんでした。尿検査でさえ。
長年の痛みがこの腫瘍のためにおこっているのであれば、おそらく悪性のものではないと思われる。痛みと戦ってきた年月が本当に長い。しかし、それに終止符が打たれる日が近付いている。
そこで、思った。もしこれが悪性ではないとはっきり言えるのなら、取らなくてもいいのではないか?痛みとともに生活するのはもう慣れてしまった。
それは取るのが怖いとかではない。膀胱鏡ではっきり腫瘍を見てしまった今、ちょっと愛情を感じてしまっているのだ。もう何年君は私の体にいたんだい?なんとなく、離れたくないというテレパシーを感じているような気がして、どうも名残惜しい。盲腸の手術の時はそんなこと全く思わなかった。あれは手術しなきゃしょーがないからだったし、何より小学校3年という若さの為。
私は本やらカバンやら、今まで使ってたものを簡単に捨てる事ができない。そこに愛着を感じるからだ。
そして!今!なんと腫瘍にまで愛着を感じるとは!!!切り取った腫瘍を持っていたい気もする。
もちろん、これが悪性ともなれば
「さっさと出ておいき!!」
なんだけどね。
ちょっと最近感じた、私はアホなのではないか?と思う出来事でした。検査はまだまだ続く。

2009年7月25日土曜日

南島ツアー⑥マウントクックとLAKE TEKAPO







いよいよ国立公園をめぐる南島8日間ツアーも最終日。TWIZELでの宿泊を終え、NZ最高峰マウントクック国立公園へ。富士山とほぼ同じ標高のマウントクック。雨が多い事でも知られる。そしてこの日も雨。私は以前行った事があるのでいいけど無い人は残念だなあ。しょうがないので車で1時間ほど移動しLAKE PUKAKIへ。ここはTEKAPOと同じ氷河の水が流れてきている湖なので、色がクリーミーブルーでとても綺麗。TEKAPOよりも大きいけれど、家は全く見つからず、もちろんお土産を買う場所も無ければ、勝手に来て見てってってなくらいの場所。そこでティタイムをとり、ガイドのエリックがお茶を入れてくれた。



記念撮影なども撮って、LAKE TEKAPOへ。ここでまた有名な「良き羊飼いの教会」を訪れる。TEKAPOには日本料理屋があり、そこでは特産である鮭のどんぶりなどが食べられる。TEKAPO近くに鮭の養殖場があり、そこでは餌付けができる。エリックはそこで鮭の切り身を買っていたけど、はたしてそれをどうしたのやら。



TEKAPOを出て、クライストチャーチまで約3時間強。途中小さい観光牧場があり、そこに立ち寄ってアルパカを見た。もちろん他にも羊とか馬とかいるんだけど、アルパカにしか目がいかない。かわいすぎる!!!その観光牧場では毛糸のセーターとかシープスキンのブーツなどを購入できます。



そこを出ていよいよクライストチャーチへ戻るのみ!何もない道を延々走る。荒野の一本道のような場所で車が止まった。まさかここで写真タイムじゃないだろうし?はて?と思っていると、どうやらガス欠らしい。え!ここで!!!!エリックは車を降りて一本道をひたすら走った。その間バスで待ってたのだけど、サウジアラビアの男の子達が、



「みんな、!死にたくなかったら一緒に走るんだ!」



と叫ぶ。みんなで行ってもしょうがないじゃーんって思ってたので、そのまま座ってると、



「じゃあみんな!もう永遠に会えないかもしれないけどさようなら!」



と言って走り出した。ああ、青春。しばらくしてエリックが誰かの車にのって戻ってきた。親切な通りがかりの人が手伝ってくれたらしい。その車にサウジの男の子達の姿は無い。



バスのエンジンがかかり、走り出した。すると何もない道の途中でサウジの男の子達が力尽きた感じでトボトボ歩いている。思わず笑ってしまったけど、ああいい子達なんだなあと感心した。



そんなこんなでクライストチャーチに到着し、ホストファミリーが迎えに来てくれてたので一緒に路線バスで帰った。



とてもいいクリスマスホリデーとなった。南島の要所をほとんど回る事ができたし、あの経験があったから次の観光はここがいいとか、こういう体験ができるとか知ることができた。個人旅行では絶対にわからない事もたくさんあったし、多国籍のみんなと仲良くできる事も本当に楽しかった。



この8日間で日本円に換算して約5万円ちょっと。ほとんどの夕飯と、全ての朝食が付いている。安いもんだ。



NZはこういう現地でのツアーが数多くあるので、日本から全てを申し込んでいくのもいいけどこういうのを利用するのも面白い。ぜひお試しあれ!

2009年7月22日水曜日

南島ツアー⑤DUNEDIN
















クイーンズタウンからダニーデンへ。なぜか前からダニーデンへ行ってみたかった。留学をダニーデンとクライストチャーチとで迷ってたくらいで、別に何がそこまで興味をひくのかは自分でもわからなかったし、大学都市っていう事しかしらなかったのにどうも惹かれる。

ダニーデンはスコットランド移民の町です。そのせいかクライストチャーチとは違った建築様式の建物が目立つ。古い建物が多く建っていて、装飾も綺麗なものが多い。個人的な印象としては、クライストチャーチよりも洗練された、よりヨーロッパの雰囲気を感じる場所という感じ。

そのダニーデンで年越しを体験した。夜10時頃になると広場にどんどん人が集まってくる。数件のテキヤが並び、ステージができている。私も飲み物片手に年明けを待った。ステージではおそらくNZでも無名だと思うけれども色んなミュージシャンが来て、色んな曲のカバーを演奏していた。みんな一斉に盛り上がり、カウントダウンの頃には最高潮にその辺の人と騒いだ。他の都市でも同じように年越しライブが繰り広げられていたよだ。クイーンズタウンでは雨だったらしく、
「ダニーーデーーン!クイーンズタウンは雨だけどダニーデンは晴れてるぜーーー!!!」
と大盛り上がり。

そんなこんなで年越しライブも終わり宿へ。次の日に、ギネス認定世界一急な坂を上った。ダニーデンの中心から車で15分ほど。見てるのもすごいけど上ったらもっとすごい。半端じゃあない。よくこんな場所に家を建てて住もうってな人がいるもんだ。強靭な足腰でも作りたかったのだろうか。車で上がるのだって大変なのに。少し太めのドイツ人の16歳の男の子はとてもつらそうだった。その姿を見て勇気づけられなんとか上った。
次の日は前から行きたかったOAMARUへ。ここはペンギンが生息することで有名な町です。昼間だったのでその辺には歩いていないけれど、海沿いの崖をエリック(ガイド)が調べながら歩いていくと、巣穴を発見!イバラみたいのにさされながらものぞいてみると、





「いた!」





おそらくYELLOW EYED PENGUINだと思われる子供が!野生のペンギン初遭遇!ここの海岸にはオットセイなども多く訪れる。普通に海岸にそういう動物がいるのってすごい。私は日本でずっと海からそこそこ近い位の所に住んでいたけれど、打ち上げられたイルカ(すでに死亡)しか見た事がない。関東地方だからという事もあるんだろうけど。

OAMARUの他にもこれも私が日本にいるときから見たかったMOERAKI BOULDERSへも行った。海岸にまんまるい大きな岩がいくつもある風景。なんとも不思議。この岩は地中から出てくるのだそうです。てっきり地上で波に洗われて出てくるのかと思っていたけど違うらしい。世の中不思議な風景ってあるもんだ。神様の遊び心としか思えないような風景が。

その日はNZ最高峰、マウントクック近くの町で宿泊。最後の宿泊です。

2009年7月18日土曜日

困難があって思う事


一つ何か障害や不安などがあって気づく事がある。必死に前向きになる事がすごく難しいとわかる時もあり、今まで前向きにいられたのはそれほどの困難が私の前に立ちはだかってはなかったんだということだと気づく。

恐怖は今まで体験したことのないものに多くおこり、体験したあとにはそれは恐怖ではなくなる。特に私はそういう時ばかりイマジネーションが発達してしまうから、体験する前の恐怖はそれはそれはすさまじいものがある。それでも、あ、こんなものだったのかって思える事は幸せ。

健康で、生活費もあって、好きな事ができている時には気付かない事って山ほどあって、それはいいことも悪い事もたくさんあって、私の場合はそういう時って停滞しているに過ぎない。

だから、今、不安が多くあるなかのこの時間は貴重なものだと思っているし、そう思いたい。今できない事があるって事に気づけば、できる時期になると明確に何がやりたいかがわかってくる。

大丈夫って周りに言う。それは本心というより、自分への励ましの言葉。大した事はないと、最悪の場合があったとしてもそれでも大丈夫だと、そう本心から思っていたい時の自分への励まし。

あー本当に、なんでこんなに心配性なのか!!!大丈夫だって!!!

でも、こういう時にわかる事がたくさんあってそれは興味深い。それとともに、あの平気そうな顔の後ろにはどれほどの辛い気持を抱えているのだろうかとわかった事も私にとっては本当に貴重な事。表で見えている顔と、気持ちは必ずしも一致するものではないということ、頭ではわかってたけど今回の事で肌身にしみた。みんなすごい。

いざ私の前にある心配事が来週なくなったら、それこそ羽を得たように動きだせると思う。もしなくならなくて更に進んだ事になったら、それはその時で更に学ぶ事ができると信じよう。

多分、大丈夫。人間は越えられる分の障害があるって言う。越えられる分の器があるって信じよう。
頑張れ!自分!
来週これが大したことないことだってわかるさ!!!

2009年7月15日水曜日

南島ツアー④クイーンズタウン





ルピナスの写真はクイーンズタウンへ行く道中のものです。

NZ最大の観光都市と言えるか?ROTORUAに匹敵すると言えるか?それはわからないけれど、とにかくNZでできるアクティビティは全てここで体験できるというQUEENS TOWNへ。女王が住むにふさわしい街ということからこの名前になったのだそうです。ど真ん中に綺麗な湖があり、その周りは山に囲まれている。近くには綺麗な川が流れていて、小さな町もそこそこ栄えている。ケーブルカーに乗って山の頂上へ行くと、リュージュに乗れたり、パラグライダーができる。



が、しかし、私はその二つを全くせず、自らの足で山頂まで登り、山頂から見る景色を堪能し、また一人で下山した。上りは1時間半、下りは40分。そのコースの途中の森の奥に、誰かが積み上げた石があった。なんとなく人の形に似ている。ちょっと不気味にも思えるその石。何の意味があるのだろう?日本で石を積むというと、亡くなった人へのメッセージだとか、供養だとかそういう意味になるのだけどはたしてNZでは?



湖の周りには公園がある。その公園を歩き、バラ園を見ながら街に戻ってタイ料理屋で夕飯を食べた。なぜタイ料理!って思うけど、やはりここはアジア人、アジア人にはアジアの食べ物がほっとする。それが国が違ってても、アジア料理ってやっぱりあっさりしてるものが多い。だからNZで一番食べたのはたぶんタイ料理。日本料理はクライストチャーチの場合ほとんど韓国人が経営してて、味が違うのであまり行かなかった。もちろんちゃんと日本人が料理している日本料理屋はあります。そういうところはやっぱりウマイね。



あ、クイーンズタウンで一つだけアクティビティやりました。ジェットボートを。



川を時速80キロで下ったり時々ターンしたりするボート。迫力満点。一緒に乗ったドイツ人の16歳の女の子は



「I wanna kill you!!!」



とドライバーに叫んでいたよ。



私はやらなかったけど、他にもキャニオニングや、スカイダイビング、バンジージャンプなど色々できます。



クイーンズタウンに3日いて、そのあと私の大好きなDUNEDINへ!

2009年7月12日日曜日

南島ツアー③







3日目はニュージーランド屈指の観光地、ミルフォードサウンドへ。森林の中をずーっとバスで走る。ミルフォードサウンドへ近づくにつれ滝が多くなってきた。そのたんびに停まり、滝を見る。川の水が透き通ってて綺麗だった。そして、途中とまったBLUE POOL TRACKという30分ほどで到着できるトレッキングコースを歩く。なんでここ選んだのかなあと思っていたら、いきなり細い吊り橋が。なかなかの高さにかかっている吊り橋。私は高いところが大好きなので喜んで歩いたけど、大体の人は怖がっていたと思う。そこを渡りきり。15分ほど歩くと、それはそれは綺麗な川の出現!まるで南国の海の色。現地の人はここでフライで魚釣りをしていた。うーん、サマになってるなあ。魚を水上から一発で見つけられそうな位透明。ただ一つの難点はサンドフライという吸血小蝿がたくさんいたこと。サンドフライさえいなければここでテントはって一日中遊んだっていいのになあ。



ミルフォードサウンドとは、入江の海に高くそびえる山々が見事なコントラストとなって絵葉書のような風景が見られるところ。ここには落下距離が世界一長いという滝がある。ミルフォードサウンドに近づくと、山と小さな無数の滝がそのへんに見られ、壮大な景色になってきた。正直言えば、私はミルフォードサウンドよりこの行くまでの道中の景色の方が好きです。



ミルフォードサウンドに到着し、そこそこ大きな船で2時間のクルーズ。入江を一周し、途中岩の上で休んでいるアザラシなどが見られた。海におちている滝の所で停まり、できる限り船を近付かせ、滝のしぶきを存分にあびる事ができるけれど、その日は寒かったので私は遠慮した。他の人たちはここぞとばかりに水着になり、凍えながら楽しんでいた。あー、みんな若いわ。自分の年齢を感じる。



ミルフォードサウンドを出て、その日は近くのフィヨルドランドに宿泊。宿の前に湖があり、夕方そこで一人でのんびり。周りには何もなく、草原と道が一本果てしなくあるだけ。ああ、これこそニュージーランドだなあ。






正直な話、ミルフォードサウンドにはそれほど感動しなかったけれど、そのことを学校の先生に話したら、頭がおかしいと言われた。それは日本でいうなら富士山全然良くないって言ってるのと同じだと。現地の人にNZで一番綺麗なところは?と質問するとかなり高い確率でミルフォードサウンドの答えが出てくる。もちろん見て損したとは言わないけど、行くまでの道中がそれはそれは綺麗だったので、そっちに感動した後に着いてしまったというのが原因かなあ。



ちなみに、ミルフォードサウンドは雨が多い。景色が綺麗に見られる天気ランキングは、1位、晴れ、2位、雨、3位曇りなのだそうだ。私が行ったのは曇り。だからかな。



でもミルフォードサウンドのトレッキングはかなり綺麗らしい。友人が行ったので感想を聞くと、滝の内側を歩く道とか、滝を上から見る道とか、なかなかバリエーションがあるらしい。なのでここの山小屋はいつも混雑していて予約をとるのに苦労するほど。ミルフォードサウンドに行くならクルーズだけじゃなくてトレッキングをするのが本来の楽しみ方なんだろうな。






続く。

2009年7月11日土曜日

自分のアトピーについて。


写真は、全く関係ない、ニュージーランド南島の都市、BLENHEIM の住宅にあった巨木。NZに行って完璧巨木マニアと化す。

私はアトピー性皮膚炎を小学校3年位からもっている。そのおかげでだいぶ悩んだ日もあったし、眠れない辛さを体験して、精神的にギリギリになったこともあった。またそういう日が来るのかもしれないけど、私はアトピーや他のアレルギーを持ってよかったと思う。


自然や環境の事とアトピーを考える事は似ている。結局のところ、環境にいいものは自分にも優しい。そんな観点から改善法を考えるようになった。発症してから20歳くらいまで、どうしておこるのかもわからなかったし、症状を改善させる方法も、せいぜいやさしい基礎化粧品をつけるとかそんな程度しか考えてなかった。でも色々経験して、自分なりになんとなくわかってきた。人それぞれに症状は違うから一概には言えないけど、私の場合においてを書いてみようと思う。


まずは私のアトピーについて。


10歳から18歳まで神奈川県に住んでいたのだが、その頃は関節にしか発症してなかった。どんな服を着ても平気だし、化粧水などもコンビニなどで売っているものを使用してたけど全く問題なかった。18歳で専門学校に入る為、東京に引っ越してもまだ同じような症状。でもあるきっかけで顔全体に出てしまう。それは、友人の家に泊りに行った時に使用した友人の基礎化粧品と、柔軟剤を使用したタオル。これを使用した直後から約20分で顔はみるみるただれはじめた。目はものもらいのようにふくれあがり、顔全体に熱を持ち始めた。顔の腫れは一日でなんとかおさまったものの、それから約15年間、顔に出続けた。今も気を抜くと出るけれど、ほとんど一見したくらいではわからないほどにおさまっている。そして、今度は背中、お腹や胸、首など全体に発症し始めた。首は少し肉がえぐれたようになり、体は常にカサカサして、胸はジュクジュクして下着につき、脱ぐのにてこずった事もある。体のアトピーは歴史が浅い(笑)せいか、表面に出ている感じがする。他はもう少し深くから出ている感覚。


そのうち、外に出ると目の周りが真っ赤になり、まるでパンダのようになる日々が続いた。夜になるとそれはひいて普通の色に戻る。なぜそうなるのかが全くわからないし、そんなアトピーは体験したことがなかった。なんとか体質から変えようと漢方薬を飲んだ事もあったけど全く改善ならず。漢方薬は最初に体にたまった毒素を出すため、症状はいったん悪くなることがある。まさしくその状態になり、両目の中に合計10ものものもらいができるわ、症状はひどくなるわで、そんな状態が1年以上続いた為に漢方薬は私に合わないと判断し止めた。


仕事が忙しくなり、責任のある仕事についたせいもあってひどくなった。痒さで夜も眠れない日々が数週間続き、精神状態もぎりぎりで、一人で泣く事もあった。さすがにこれでは仕事にも影響が出てしまうと思い、大学病院へ。


アトピーの人には理解頂けるとは思うけど、病院にいって塗り薬をもらったところで完治しないことはわかっている。塗らないとまたひどくなる状態に嫌気がさし、根本的に治らないのなら薬も塗りたくないと思って長い間病院には行ってなかった。それがステロイドであろうとなかろうと。


でもそんな事を言ってられなくなり、大学病院へ行き、処方してもらうけれど、ある時を期にそれもまた止めた。


長年働いていた会社を辞めた時、顔の症状がほぼなくなった。顔に症状が出るきっかけは大手化粧品メーカー(しかも優しさをうりにしている)の基礎化粧品と柔軟剤だったけど、最終的には顔にでているアトピーは8割ストレスによるものだったと判明した。体は今も出ているけど、昔ほどはひどくない。


アトピーは体質。ずっと付き合っていかなければいけないもの。でもどうしてそれがおきるのか、どういう場合にひどくなるかを考えていったら、私なりに出た結果は非常に興味深いものだった。


次は、ここまで自分で改善できた理由などを参考までに書いておきたいと思う。

2009年7月10日金曜日

南島ツアー②











パンケーキロックの近くに泊った次の日、今度はWEST COAST沿いを南下してFRANTZ JOSEF 氷河を目指す。こっちのツアーは行く道すがら色んな所に立ち寄る。綺麗な公衆トイレの情報もかなりあるし、景色のいいところでティータイムをとってハイキングのような形でお茶を飲む。綺麗な景色の時は必ず泊り、写真タイムになったり、滝があるたびに立ち寄ったり。いやー、エリック(ツアーガイドで、運転から夕食作りから全てこなす)もう滝いいや・・・って言いたくなるほどだった。




2日目最初に立ち寄ったのはHOKITIKAという小さな町。秋にはゲテモノ食材祭りなるものが開催され、何かの幼虫などを食べる事ができる。エリックが言うには、ここで作られるマオリのシンボルであるGREEN STONEはニュージーランド産のヒスイを使用した本物なので、買う予定のある人はここで買った方がいいとのこと。帰国する前にひとつはほしかったので、ここのを買った。形によって意味が異なるということは知ってたけど、その詳細をしらなったのでデザインで渦巻きのようなものを買った。この意味は、悪魔から身を守るというものだった。他、魂の再生を意味するようなものとか、食糧に困らないというような意味のものとか、色々伝統的な意味をもった形のものがある。ちなみにJADEとGREEN STONEは品質が異なるものだそうです。GREEN STONEはちゃんとヒスイでできているもの。だからJADEより高い。私が買ったもので50NZドル。(当時で3000円弱)




ここを過ぎ、いよいよFRANTZ JOSEF氷河へ。氷河から溶けだした水の川が流れていて、そこを渡らなければならない。手前で裸足になり、みんなで渡るが、とんでもなく冷たい!!!冷たさで足が動かないとはこのことだったのか!でも負けてはいられぬ!根性の見せどころだぜ!と意気込んでなんとか到着。氷河を見たのは生まれて初めて。できることなら氷河トレックをしたかったのだけど、残念ながらこのツアーではそれはできない。しかも夏だったので(といっても寒い)氷が溶けだして倒れる危険性もあるのでふもとまでは行けなかった。








続く。

2009年7月9日木曜日

南島ツアー











学校にはツアー会社が来るので、それに一人申し込んだ。8日間で南島の半分より南を回るというもの。ずっとホストファミリーと一緒に2週間すごすのもどうかと思い、クリスマスホリデーはそれに費やす事に決めた。コースは、CHRISTCHURCHからARTHURS PASSを通ってWEST COASTでPANCAKE ROCKを見る。なんやらわけわからん、かもしれませんが、要するに日本横断みたいな感じ。東京から長野通って新潟!っていうコースと一緒。CHRISTCHURCHをバスで出発し、最初に停まったのはナルニア物語の撮影地。壮大な景色が広がる。これぞザ!ニュージーランド!NZで思うのは、そういう土地が観光化されていないということ。駐車場と小さいトイレがあるだけで他はどうぞ!ご自由に!日本だとまずナルニア饅頭なるものが売られているだろう。それはそれで面白いけどね。




ドカーンとした山と、広大な野原、下を流れる清流、たくさんの花。まるでそこだけで小さなアルプスのような表情。ハイジが出てもおかしくない?かな。その後ARTHURS PASS国立公園へ。ここはNZでも有名な観光地です。短いトレッキングコースを歩いて滝を見た。クライストチャーチはカンタベリー地方の中にあるのですが、このカンタベリー、非常に乾いているので森が少ない。大木はあるものの、雑木林はほとんど見ない。なので、この国立公園に着いた時は、ちょっと日本に似てるなあと思った。ここでは川で遊ぶアクティビティなどが楽しめます。私のツアーではトレッキングと昼食だけだったけど。




そして夜7時ごろWEST COASTへ。PANCAKE ROCKといういく層にも重なったように見える海岸ぞいの岩を見る。ホットケーキの皮をいくつも重ねたようにみえる事からこの名前がついたそうです。ミルフィーユのが近い感じがするかな。日本でいうなら、宮崎の千畳敷海岸の岩を縦にしたようなイメージ。ここでなんと、遠くからだけど波打ち際で遊んでいるイルカ2頭を発見!




そして、貸し切りのドミトリーで宿泊。このツアーでは半分は日本人、他サウジアラビア数名、台湾1名、韓国1名、ドイツ3名、ブラジル1名が一緒だった。夜はみんなで夕飯を作り、ワインを飲んで騒いだ。ブラジル人からサルサを教えてもらったり、楽しかったなあ。結局学校の友達が別口でこのツアーに申し込んでたから、全く一人ではなかったんだけど、国境を越えてここで友達ができた。




もし留学するなら、こういうツアーにはぜひ参加したほうがいい。そして、色んな国の人と話したらいいと思う。自分の中で知らない間に固まってしまった日本人の持つ感覚や、海外から見た日本という発見とか、色んなものを学ぶ事ができた。




続く。

2009年7月8日水曜日

いきなり座間味







NZの体験記を書いている最中ではありましたが、いきなり先日行った座間味について書きたいと思います。過去の仕事でためたマイルでいざ沖縄へ!本当は宮古島に行きたかったけど、座間味で開催されたサバニレースに参加する友達がいたので座間味に行き先変更。綺麗な海があればそれでいいっす。サバニとは沖縄の伝統的な舟で、なんとそれで約40キロ離れた那覇まで行こうってんだから半端じゃーない。



まずは那覇に到着。まだ梅雨があけてないので雨。ものすごい湿気の中ゆいレールにのってホテルへ。夜はサバニ関連の友達と会い、久しぶりに飲みに行く。そして次の日、知り合いの人に教えてもらった占い師の所に、今後どのような職業がいいかを相談しに行く。しかしそこで言われたのは、



「とりあえず今年、いいやせめて来年までに結婚しろ」



ということでした。仕事どうこう言ってんじゃない、結婚だよ結婚!と言って、職業の事はものの2分で終わりました。一応合う職業は教えてくれたけど、具体的なものではなくてひとところに落ち着かない職業に着いた方がいいということ。今までも確かにそう。もちろん会社に通ってたけど週1で地方へ行ってたし、都内でもウロウロ打ちあわせだなんだでしてたし。とにかく今年、結婚します!自分の人生にそれを入れたまへというので、入れますよ(泣)



まあそんなこんなで次の日、那覇の泊(とまりん)港から座間味へ!高速船はいっぱいなのでゆっくりフェリー座間味に乗り、途中阿嘉島へ停まって、座間味島到着!予想してたよりはるかに田舎。港周辺が一番の都会だろうけど、食堂が数えるほど、民宿数えるほど、小さなスーパー一軒。



田舎の方が海は綺麗。なので、ダイバーの私には無問題です。その日の晩に友達と飲みに行く。やっぱ久しぶりに会うと飲んだくれてしまいますなあ。



次の日から完全一人旅スタート!原付を借り、島を一周。楽しかったー!島には展望台がたくさんあるので、それをいちいち回って写真撮影したり眺めたり。やっぱ海綺麗だわー。座間味着いた日に梅雨もあけて、素晴らしい快晴!晴れ女の本領発揮!です。やっぱり一番綺麗なのは一番有名な古座間味ビーチなんだけど、座間味島はほとんどが山なのでビーチって呼べるのはここくらいなのです。屋久島の地形に近いかな。夜はペンション星砂で夕飯。地元の食材をフルに使った家庭的で量も多い、とてもおいしいものでした。紅芋ダンゴなんか最高!



そして、次の日、よっ!待ってたよ!ダイビング!今だからこんなこと言えるけど、前回の別のところでのダイビングでしにそうになったのでちょっとビクビクしている。そんな相談にのって私一人に一人ガイドをつけてくれたてぃーだマリン様、ありがとうございました!



一緒のボートに他のお客さんがいるけど、みんな海女さんみたいだった。年配の女性3名と、まるで映画でもとるような機材を持った中年の男の人。この4名は俗にいう魚派のしかもマクロ派。ダイバーは大体魚を見るのが好きか、地形をみるのが好きかに分かれるけど、そのうちの魚派のしかも小さいものをカメラに撮影するものが好きな人たち。こういう人たちの特徴は一か所からなかなか動かないという事だろうか。



私は断然地形派。でもこの座間味、世界有数のサンゴの種類の多さを誇る慶良間諸島ですから、それはそれは海中の景色は綺麗だった。ばーっと一面のサンゴ礁、それに群がる魚たち。ペンションを出る直前にカメラが壊れたのはほんと、なんつー不幸。



ちょうど産卵期にあたってたので、ピリピリしているクマノミ達からクマノミアタックを数回受けた。別に君らの卵を取って食おうなんてしてないんだけど、ちょっと凝視しすぎたかな。しかしこっちのクマノミは大きい。伊豆で見るのの3倍はありそうだな。小鯛かと思ってしまうよ。



大体透明度は25って所でしょうか。コンディション良かったら30はいくとのこと。それを次回見るのが楽しみです。



大体深度15位までだったのと、陸に近い場所という事で大物とかはあまり見なかった。透明度がいいので、15メートルといっても実感としてはせいぜい7メートルってところでしょうか。ゆったりのんびり、移動はゆっくりのダイビングで楽しませて頂きました。

綺麗な海を守りたい私としてはほんと、切に願う。

みんな、日焼け止めはパラベンの入っていないものにしましょう。パラベンでサンゴは死ぬそうです。オニヒトデばかりじゃなく、人間もサンゴを殺してしまっているのです。いつまでもこの座間味を含めた全ての海が守られますように。
I was going to Zamami island in Okinawa.Zamami is belong to Kerama islands.There is known for its beautiful sea.I enjoyed going diving and touring by motor bycicle round island.there were many tropical fish and nice coral in the sea.When I was in the sea 15meters deep,I felt there was more shallow because there was clear.NIMO hits me to protect his(her?)eggs.I'd prefer to see dynamic topography than watching fish.but Zamami had huge coral area so I was abusolutely amazed by many kinds of fish.
we must save the sea with our effort.
英語があっていることを願う。間違ってたら教えてくださいませ。

2009年7月5日日曜日

christmas holiday







12月20日から年末の休みに入った。約2週間。こっちのクリスマスってどんななんだろーと期待しつつ。学校ではクリスマスパーティが催され、みんなで安いプレゼントを持ち寄ったりした。うちの学校には卓球台があったので、卓球大会が始まり、私はなかなかいい線までいくことができた。しかし、ワイン飲み放題のこのパーティ、そりゃ酔っぱらう人も出てくるわけで、酔っぱらい同士の卓球なぞなかなかの見もの。本人たちは試合してるつもりなんだろうけど、はたから見たらまるで漫才。クリスマスは明るくみんなで楽しく!ってのがやっぱりいいな。



NZの家庭ではクリスマスツリーはイミテーションではなく、本当のモミの木が飾られる。モミの木屋さんがあって、畑からのこぎりで切って買ってくる。うちのママは「うちのは小さいの。でも小さいのもいいのよ」って言ってたけど有に2メートルはある。そこに色々飾り付けして、それぞれに渡すプレゼントをふもとに置いておく。恥ずかしながらこの習慣は知らなかった。日本だとクリスマスの朝に子供の枕元にプレゼントを置いておくのが通例だけど、NZでは木の元において、その日が来たらそれを開いてみるといった形。私も二人用にアルバムを買っておいておいた。



クリスマスになって、プレゼントを開ける時が来た。私のプレゼントを見て、「ま!こんな事するなんて生意気な!」と言って笑った。しかしその後、パパからのプレゼントをママが見て怒った。パパは洗顔フォームを買ったのだけど、ママは固形の石鹸しか使わないらしくて、「ふざけんな!私は固形のしか使わないのに!なんでこんなの買ってくるのよ!今すぐ店に返しに行きなさいよ!」パパもちっちゃくなってる。



・・・いやーこっちの女性は強い。その洗顔フォーム終わるまで使えばいいのに・・



でも結局は洗面所においてあり、「yatty、これはすごくいいものだからあなた使いなさい」と勧めてきた。一連の流れを私が見ていることなんて全くお構いなしだ。



せっかくのクリスマスなので街に出て、大聖堂を見学した。それといって飾り付けなどはなかったけど、クリスマスに教会行くなんてやっぱり雰囲気あっていいなあ。季節は日本の春位。北半球で生まれたせいかクリスマスには雪が降っててほしい、寒くあってほしいって思ってしまったけど。



気のせいかもしれないけど、日本みたいにクリスマスは恋人が会う日っていう感じは全くしない。みんなで楽しくパーティか、家族で祝うか、みんなそんな感じなのではなかっただろうか?



クリスマスの次の日はBOXING DAYといって、出したおもちゃなどを箱にしまう日だとパパは教えてくれた。この日に街はバーゲン一色となり、3割4割当たり前~!になっている。



でもNZではクリスマスは何もこの数日間だけではない。約2週間クリスマスは続くらしい。年末年始の休みをクリスマスホリデーというんだけど、その期間はクリスマスという扱い。日本ではすぐそのあと正月が来るけどNZではそのままクリスマスが続く。やっぱりキリスト教の場所でクリスマスを迎えるのはいい。CHRISTCHURCHっていうキリスト以外考えられない名前がついている名前だけあって。



関係はないけど私は数多くあるクリスマスソングのうち、ジョンレノンのHAPPY CHRISTMASが一番好きです。恋人に重点を置いたクリスマスってのはどうも好きではない。そもそもキリストの生誕を祝うのだからそこはそれ相応の意味をつけたい。その点でこの歌は素晴らしいと思う。



ジョンレノンは歌う。クリスマスなのだからみんなで楽しく過ごそう、人種も全て越えて、若い人も年をとった人も、弱い人も強い人も、喧嘩や闘争を止めて楽しく過ごそう。あなたが祈れば戦争は終わる。



この歌詞の意味を翻訳ではなくダイレクトに感じる事ができたこと、これが私の留学の一番大きな成果だと思う。

2009年7月3日金曜日

LAKE TEKAPO







NZに行く前から話に聞いてて行きたかったLAKE TEKAPOへゆく。ミルキーブルーの湖なんて日本でめったにお目にかれないからこれは見ておかないと!と日本にいるときから入念に調べていた。なんでも氷河の水が流れてきてそんな色になっているとか。そのせいかNZの南島にある川もいくつかはそんな色をしている。青い色が大好きなのでもうこれは行くしかないわー。それだけで南島に決めたと言っても過言ではないくらい。(あとツチボタル見たいから。でも結局北島のWAITOMOが一番有名だったけど)



友達が車を出してくれたのでクライストチャーチを朝出発!約3時間でTEKAPOに着く。あいにくの霧雨でかなり寒い。天候のせいもあって湖もちょっと暗い色。でもせめて有名な「よき羊飼いの教会」だけは見ようと言ってみた。とても小さい教会で、中は撮影禁止。石が積まれてできている教会はこの綺麗な湖にとても合っている。湖際にあるユースホステルに宿泊。日本ではユースに何度か泊まった事あるけど海外は初めて。入ってみるといろんな国籍の人がいる。韓国人グループは外でさすが、焼肉を焼いている。日本のユースは食事を追加料金で出してくれるけどこっちは自分で作る。食事のあとラウンジにいたらドイツ人の若者にからまれる。ワイン飲みすぎだってー。あんまり近寄るからちょっとよけたら「she don’t like me」と間違いのある英語で言われた。やっぱり外国の人もヨレヨレになるんだーと思ったらおかしかった。そこで韓国人の男の人1人と、ヨレヨレドイツ人と3人でトランプをやって夜をすごした。



次の日、快晴!なので湖綺麗!NZ最高峰のマウントクックまで車で1時間半なので足を延ばす。途中のPUKAKI湖もTEKAPOと同じ色をしていてとても綺麗。



その日の夜、世界遺産登録に挑戦している星空を見た。ここテカポでは綺麗な星空が見られる。こちらの夏は日がものすごく長いので、夜11時過ぎに真っ暗になった。周りには何も明るいものはない。流れ星なんて数え切れないくらい流れるし、天の川ももちろん見られる。あと、日本では波照間でしか見られないという南十字星も見られた。(たぶん。。。あってれば)



星って不思議だなー。見てると懐かしく思える。昔自分の祖先が星空見て過ごしてたのかなあとか考える。スピリチュアルの人に私の前世が宇宙人だと言われたので、それかもしれないけど(笑)



星を見て夜12時過ぎにTEKAPOを出る。途中ウサギが出る出る。野兎かわいいーーーー!!!子ウサギもわんさか出てきて車で轢きそうになるけど、そこはぐっと道に集中してもらってなんとかひかずにすんだ。



しかし自然はすごい。自然が作り出す色には驚かされる。輝くばかりの水色に草の緑、花の紫、赤。この景色が壊されることなく、いつまでも星空が綺麗に見られるように、切に祈るばかりです。

2009年7月1日水曜日

ホストファミリー

私のホストファミリーになってくれた老夫婦は少し変わっている。とにかく人の世話をやくのが好きなママと全てママのいいなりのパパ。完璧カカア殿下の家。37歳の息子がいるのだけどハンガリーへ仕事で行っているので、二人暮らしがさびしいのか頻繁にホーjムステイゲストを入れている。基本的には親切で、私が朝食のシリアルの味がどうも苦手なのを察知して、次の日から毎日パンとオムレツにしてくれた。これはNZではかなり親切なのだそうだ。日本ではそれほど朝食にシリアルというのは定番にはなっていないけどNZでは定番中の定番。なのに朝から料理してくれるというのは親切この上ないらしい。私に気を遣ってか、ときどきアジアンなオムレツやヌードルを作ってくれるけれどこれはうまい!というものと、いやーこれは無理だというものの差が激しい。
ある日、昼に私の買い置きしておいた即席の味噌汁を作ってくれた。私の体調なども加味してくれたのだろうけど、飲んでみるとどうも変わった味がする。でも思い込みってのは恐ろしいもので、即席なのだからそんなはずはないと自分の舌が荒れてるかなにかで正確に味を判別できないだけだと思いだした。でも、2口、3口いくたびに体が「ギブアップしてくれ・・・」と叫んでくる。残すのも失礼だと思って死に物狂いで半分まで飲み、「これ変わった味がするんだけど」と聞いてみると、なんと、健康のために人参ジュースを入れたというのだ。どうりでぬるいと思った・・・。ママは絶対に味見なんかしていない。まずいというと100倍の言葉で返ってきそうなのでなんとか我慢して「変わってるね」だけで留めた。ほんと、できるなら試してほしい。味噌汁人参ジュース入りってのを。
ただこれは変わった事ではなく日常的におこっていた事例。
またある日、私に彼氏がいないのに心を痛めたママが、何やら私に色々男のタイプについて質問してくる。最初は近所にいる長老のようなおばあさんがいるのだけどその人に誰か紹介してもらおうかと言っていた。もちろん私は病的な人見知りもあるのでそれを断った。その後、社交場に出なければダメだと言ってカジノやバーなどに連れてってくれた。結果的に酔っぱらったママと6件もハシゴをし、よれよれになったママを家に連れて帰るという任務のみに終わった。そしてある日曜日、新聞を見ながら、
「結婚相手募集の記事を新聞に載せよう」などと言い始めた。それだけは避けたい!それだったらバーでナンパしたほうが100倍マシ!!!もう一生懸命自分は結婚しなくても寂しくなんかないんだよ(という言葉こそが悲しいけれど)と言いきかせ、なんとかその作戦はやめにしてもらった。その後も息子には彼女がいるけれど彼女からうばって結婚して私の娘になれとか、まあありがたい話ではあるけれどそういう説得を3カ月受けた。
本当にたくさんのエピソードを生んでくれた。私も「NOと言えない日本人になってはいけない!」という思いから言い張るところは言い張り、喧嘩もしたり、英語でだーっと話されると勝てないので思った事は手紙にして「これを今見ろ!私の気持ちだ!」といって目の前で読んでもらったりもした。
日本人と違ってこっちの人には言いたい事は言ったほうがいいと思う。日本人は何考えてるかわからないというのがNZの人の見解らしい。なんだかんだでホストファミリーとは喧嘩するほど仲良くなった気がする。お互い大人だから言いあっても次の日まで持ち込む事はないし、お互いがいいと思える関係に近づいてる実感がある。空気を読むという事を日本人はするけれどそれが海外でも通用するかというとほとんどしないというのが現状なのかもしれない。
よくホームステイでストレスを溜めてしまう人がいるけれどそうなる前に自分の気持ちはつたない英語でもなんでも伝えるべきかなあと思う。