2009年11月30日月曜日

入院経験②

26日
麻酔が切れるとえぐった所がじわじわ痛くなってくる。おまけにカメラを入れた尿道もじんわり痛い。
普段検査の為に行う膀胱鏡よりも太いもので手術するので、そのせいだろうなあ。なんか、ごめんと膀胱と尿道に謝りたくなってくる。
麻酔が切れると尿道に管が入っている事にきづいた。一日半日はベッドから動けないので、床ずれ起こさない為に寝がえりを打たなければいけないのだけど、慣れてないせいか動くたびに管があたって痛い(泣)この日の昼から起き上がる事はできたのだけど、どう動いても痛い。看護師さんがたまった尿タンクを他の容器にあけるときもチューブを伝わってビクっと痛い。
私は泌尿器科病棟だったからみんなこの管をしてるんだけど、平気な顔をしている。男の人の方が楽なのかなあ?私が根性ないだけなのだろうか。
ガスが出ないと水も飲めないっていうが、いたって出ない。浣腸で出すだけ出したのにどうやって出すんだよぉ。昼にちょろっと担当のO先生がきたので、
「先生、全然ガス出ないんですけど大丈夫なのでしょうか」
「大丈夫ですよ。あ、今日はもう起き上がっていいですから動いたら刺激されて出ると思いますよ」
「先生、水も飲んではいけないんですよね?」
「あー、別にいいですよ。出るまでダメって言われるかもしれないけど僕言っておきますよ」
やっぱ救世主だ。結局この日の昼から食事再開。おかゆが出る。
27日
膀胱をえぐったわりには熱も出ない。痛みもない。経過は良好すぎるほど良好。周りから
「やっぱり若いからよ。いいわねぇ」
と言われる。(周りは90歳)食事ができるようになれば体力の回復も早い。やはり点滴よりは食べた方が断然力が違う。同じ日に手術を受けた隣のおばあさんと世間話をする。というか、話を聞いていた。どうやら嫁が鬼らしく、孫に会わせないとか言ってるらしい。それをきいている旦那も旦那でどうなのか?自分の母親なのだからもっと大切にしなさいよ。だって私がいる5日間の間誰もお見舞いに来ないんだよ!!!手術の時は誰か身内が立ち会わなければいけないのに、お世話になっている行政書士の人が来ている始末。いくら神奈川にいるとはいえ、自分の親が癌の手術を受けるってのに全く見舞いにも来ないってのはどうなのよ?どうやら嫁は、子供がいるからとか、犬がいるからとかわけわからない理由を言ってたらしいが、せめてどっちか来てもいいだろうに。子供ったって、大学生だよ?来れるだろ。
おばあさんは、「こんなになるまで生きていて申し訳ない」と何度も看護師さんに言っていたが、何を言っているんだい。90でこんなに元気だなんてすばらしい話じゃないか。私は自分のおばあさんにもっともっと長生きしてもらいたかったよ。
おばあさんの今までの人生についてはそのうち書くけれど、こんな思いをさせてしまう息子も嫁もダメだ。
27日
O先生がひょっこりまた病室へきた。
「明日、帰れますから。週末帰りたいって言ってましたよね。大丈夫です。」
わーい!なんにもやることないんだもの・・・
尿の管も抜け、点滴も今日で終わり!手錠がとれた!両手が動かせる!心おきなく体が動かせる!
しかし人間すごいもので、あんだけ痛かった尿の管、3日目であるこの日になんと慣れていた。痛みも消えていた。そりゃ動かすたびに少しはあたってる感じあるけど、痛みはない。
夜にまたO先生が来る。(ちなみに回診は別の先生。入院時の担当と実際の担当は違うらしい)
「明日、退院ですよね。」
「はい。そうですね。」
「あとは外来ですね。聞いてますか?」
「はい聞いています。」
「血尿はありましたか?」
「いえ。痛みもないです」
「何か聞きたい事とかありますか?」
「うーん、別にないですけど・・・あ、横になるとお腹が痛いです。」
「それはしょうがないです(バッサリ)。他にありますか?」
「いえ。。。」
手術の時とはうってかわった優しい声。周りが寝てるような時間だったのもあり。
夜8時半だったのだけどそんな時間まで外来診察してたとは・・・
医者って大変だ。
28日
退院!!!腫瘍はなんなのか、はっきりした結果は2週間後になった。しょっちゅうある病気でもないため、診断が難しいとのことで。

結果が出たらまた書くかな。

2009年11月28日土曜日

入院経験①

今日5日間の入院から戻ってきたのでその日程を残しておこうと思う。
24日
検査と手術の為に入院。元気なので何もやることなし!明日の手術の為に体力を温存する。夜9時頃担当医から病気と手術の説明が私と両親になされる。夜9時まで手術でたてこんでいたらしい。大変だあ。極めて珍しい腫瘍だという事を写真を見せて親に説明する。私はそれほど親に説明していなかったので、改めて癌の可能性が多少なりともあることを親は初めて知ったと思う。でも可能性がいかに低いかをちゃんと説明してくれたので大して心配もしていなかった。私の場合、膀胱がんの可能性は皆無だったけど腺癌の場合は検査結果でそう出てしまったので説明しなければならない。でも症状からみても腺癌の可能性もなさそうだと。夜は下剤を飲まされ就寝。夜は食べ物はおろか水分も取ってはダメ。
25日
下剤の効果なし。なんとなくお腹痛い?いや痛くないか?ってなくらいで便通もなし。どっちにしろ下剤の後に浣腸もやらなければならなかったので、心配はしていなかった。ただその頃ひどい便秘だったので浣腸の威力により苦しむだろうなあ・・・と懸念。今日は新人の男の看護師がついた。
「あの・・、浣腸は男でもいいでしょうか・・・?」逆にそんなにかしこまれるとこっちも身構えてしまうけど、もう尿道さえ何度も男の先生に見られているので何も恥じる事無くOKだよ。いやー久しぶりに浣腸したけどあの威力はすごい!された後5秒ともたなくトイレへ直行でした。
その後もちろん何も口にできないので栄養補給の為の点滴、事前の抗生剤を投与。新人男看護師A君が私の細い血管に点滴針を刺さなければいけない時がきた。だいぶ探したけどなかなかなくて、私も難しいから他の人に変わった方が・・と言いそうになったけどそこは彼のプライドもあるだろうと思って黙っていた。
「あの・・・ここで一度挑戦したいのですが、あの、もしダメだったら上の者に変わってもらうので、僕新人なのでうまくいけるかわからないんですけど、それでもいいですか?」
ああ、もちろんいいさ。君の勉強の為にひと肌脱がせてもらうよ!まあ、案の定ダメでした。その後、A君がまた部屋に来て、
「あの・・・手術2時10分からになりました。・・・不安・・・ですよね?」
何かしゃべらなければと思ったんだろうなあ。でも別に不安じゃなかったので
「いや、別に大丈夫ですよ」と答えた。そんなA君にストレッチャーを押してもらい、手術室へ。そこでは担当のO先生が待っていた。うん、いつもより凛々しい。っつーかちょっと怖い。
台の上に寝て、背中を3回消毒。しかも広範囲。なんでだろうなあ。そのうちに、背中を丸めてくださいの合図。ああ・・・一番恐れていた腰椎麻酔だあ・・・・昔盲腸でしたことあって、その時は痛い記憶がなかったんだけどその後みんながあれは痛いあれは痛いといらねー情報をくれるもので、ちょっとおびえていた。先生も、ちょっと痛いですが耐えてくださいねと言っている。助手の人も、頑張ってくださいねとか言っている。えーそんなに痛いのかよ・・・と思ったけど、結果的には刺されていたことさえ気づかなかったという痛みのなさ。なんでだ!?やっぱ麻酔って嫌ですなあ。ムワーンって感じが。しかもちょっと効きすぎてしまって鎖骨あたりまで感覚がなくなっていた。だからしゃべることも辛かったし、呼吸もちょっとだけしづらかったので意識して深呼吸した。麻酔中は寒い。本当に極寒に裸で放り出されたように寒い。
1時間で手術は終わり、O先生が内視鏡で切った腫瘍を入れた容器を見せてくれた。
「あーこれは大丈夫、癌ではないですよ。結果は難しいものなので2週間はかかるかもしれませんが内膜症で間違いないと思いますよ」やったー!と、内膜症で喜ぶ自分もおかしいが、うれしかった。ただ、
「しかし膀胱子宮内膜症の傾向の一つでもある、膀胱の深部からやはり腫瘍が根付いているので、全部とることはできませんでした。とると穴をあけてしまうのでね。なので、薬で様子を見ながら、もしできるなら開腹手術で膀胱を一部切ってしまうのが一番いいと思います」とのこと。
まあ、その辺はおいおい状況を見てやることとします。まだはっきりしたわけではないしね。
手術後20分の安全の為の待機、そしてA君に私の身柄は渡され、病室へ帰る。ひどい寒さに震えながらその日は山のような点滴と一緒に就寝。
ちなみに手術中の血圧は上が70まで下がった。麻酔で機能をとめてるから当たり前なんだけどね。血圧70なんてなったことなかったので。

2009年11月17日火曜日

平和について

FACEBOOKというMIXIみたいなSNSに参加している。そこは世界中の人と友達になれる場所で、全然知らない人からも友達依頼が結構くる。世界中の人と友達になってみたいという希望もあり、簡単なプロフィールなどは全開にしている。
すると、なぜかインドネシアからの友達依頼が殺到し、依頼があった人に関しては断らないようにしているので、かなり友達が増えた。日本の文化(主にアニメ)に興味のある人や、風景や季節に興味のある人、10代の人も。もちろんインドネシアからだけではなく、トルコ、アラブ、フランスからもいる。
なぜか英語がわからず、ましてや日本語もわからない香港人からのオファーもあったが、なかなかコミュニケーションが取れず苦労しているけど、でもそれはそれで面白いかな。
そのFACEBOOKに、今回入院することを載せた。インドネシアの友達がコメントを書いてくれた。なんかそれがとてもうれしくて、海を越えて、国境を越えて、励まされてるのがとても尊いものに思えた。
もちろん私を良く知る日本人の友達、韓国の友達も励ます言葉をくれてるので、それもとてもうれしい。
友達に国境は無い、と本気で思う。はたしてFACEBOOK上の友達を真の友達と呼べるかどうかという事においては疑問もあるかもしれないけど、でもつまらない差別感情や、敵対意識や、そういう情報が氾濫している中で、個人においてはこうやって優しい付き合いが交わされている。それがとても意味をなすのではないかと。
実際、日本に対して全然印象良くなかった人が、私が丁寧に対応すればその印象を変えてくれたりすることもあった。私も、今までイスラム教の事を全然知らなくて、テロの巣窟とまではいかないにしてもあまりいい印象を持つ事もなかったけれど、イスラム教の人と宗教の会話をすることによりその印象は別のものになった。
かっこよく世界平和を願って何かしたいと言っても、何をやっていいのか全然わからないという人もとても多いと思う。地道だけどこういうところから日本にいながら世界を知り、色んな人といい関係を築く事で、少しずつ平和というものに近付けるものではないかと思う。一人の力は小さい。でもそれがたくさん集まれば、平和というのはそれほど遠いものではなくなるのではないか、と、最近思う。
今回英語の語学留学を決意した理由。「世界の飾らない情報がほしい。」まだまだつたない私の英語だけどなんとかその目的に適うものにはなっているようだ。

2009年11月10日火曜日

病気という体験から

自分が今回病気になって、改めて感じる事が多い。
それは誰かの優しさだったり、自然の素晴らしさだったり、食事の大切さだったり。
自然から遠ざかるとその分病に近くなると言う。まだ私の食事は自然に近い方だと思うので、もしそれが本当だとしたら、今回の癌の疑いも怖くない。
野菜は母親が天塩にかけて畑で育てられた野菜だったり、父親がどこかの山で採ってきた山菜や釣ってきた魚だったり。大地のエネルギーが入った野菜を食べるからこそ健康は維持できるのではないかと思う。今回、癌にせよ膀胱内の子宮内膜症にせよ、なってしまったのには私の生活が良くなかったのだろう。私はアレルギー体質なので悪いものを肌に付けたり食べたりすると顕著に体に現れる。それが皮膚ならわかりやすいし、今回はひょっとしたらそのようなものが内臓に出てしまった結果ではないかと思える。
子宮内膜症に関して言えば、痛くなり始めた数年前まで私は市販の生理用品を使用していた。痛くなり、婦人科へ行った時に、原因がわからないけれどもそういうもので陰部から内臓にかけて荒れてしまったのではないかという事を指摘された。それをきっかけに生理用品は布製のものに変えた。
確かに子宮内膜症は生理用品からおこるという話もあるらしい。データがあるわけではないかもしれないけど、布製にして生理痛が減ったという人が格段に多い。幸い私は内膜症の主な症状である月経困難症には全く陥っていなく、正直自分が本当に内膜症なのかどうかも信用できないほど生理痛はない。
ただこれをひどくさせない為に、私は布製のものの使用を徹底して続けていこうと思っている。かぶれもおこらないし、臭いもほとんどしない。洗う手間がある、という欠点以外は何も不都合はない。
話は多少それたけれど、病気になって気づくことが多い事に驚く。
病気で苦しんでいる人の気持ちに敏感になる。どうにかしてあげたいと思う。医学を学んでいないので何もできることはないのだけど、早く良くなるよう必死に願う。ガンバレと心の中で応援する。
病気になると、季節の変化や自然の大切さなどが心にしみる。なぜかはわからないけど、そういうのを感じられる場所にいるとほっとする。少しだけ病気が和らぐような気がする。
昔とある芸能事務所の社長と話す機会があり、その人が言っていた。
「人間土や木に触れないでいると気がおかしくなるらしいよ」と。
土に触れると精神的に落ち着くのだそうだ。土や砂には解毒作用があると言われているが、それは体の毒素だけではなく、精神的なものにも効くのだろう。
自然には頭が下がる。

2009年11月9日月曜日

近況

とりあえず、先に報告。
月末あたりから1週間入院することになりました。手術をするためです。結局膀胱鏡までやって細胞を採取したのに、その量でははっきりした診断が出せなかったそうです。ただその細胞には「腺」が含まれていて、おそらく膀胱内子宮内膜症か、膀胱の腺癌ではないかという診断でした。どっちに転んでもとてもレアなケースです。腺癌とは、普通膀胱癌になった人が、そこから腺に移り腺癌となるのが多いのですが、ごくまれに腺から癌ができる場合もあるのだそうです。
膀胱内子宮内膜症は、私は卵巣に内膜症を持っているのだけど、そのように他の場所に内膜症が出ている人が、どのような経路をたどったのかはわからないけど膀胱にも内膜が飛び散り、そこであたかも生理が起きてるようになってしまうことです。日本ではまだ150件ほどしか例を見ないのだそうです。
先生は若くて、とてもいい人です。だから救われてる部分もあります。
「一緒に頑張りましょう」
と言ってくれた。先生もこの全く見当もつかない症状に、一生懸命に勉強してくれた。癌の可能性を言われてさすがにショックを受けた私になんとかしようとしてくれる。
腫瘍が2倍の大きさになったって言われた時に気晴らしに行った神社、昔おばあさんと一緒に行った神社でおみくじ引いて大吉が出たのを心のよりどころにして、おばあさんが見ていてくれてるんだと思って頑張ろう。
「病 信心すれば治る」
って書いてあったからね。

2009年11月1日日曜日

一体、体には何が。

私の体は、どうなってしまったんだろう。
前にも書いたけど膀胱にある腫瘍の検査を行うべく、1か月の経過観察のあと、またもや膀胱鏡で内部をのぞいた。前にあった腫瘍とは形を変え、大きさは2倍になっていた。
本当は、この内視鏡で変化がなかったら、このまま取る事もせずに数カ月に一度検査をする程度におさめるつもりだった。腫瘍の種類がわからないし、何より痛みの周期がどう考えても婦人科器と重なってくるからだ。でも婦人科で私が持っているのは、小さい子宮筋腫とそれほど悩むほどでもない卵巣嚢腫。MRIなどの結果から、膀胱の腫瘍と婦人科器は無関係と出ている。しかし、なぜ痛みに関連性があるのか?
そういう理由もあり、取る事はやめにしようかと思っていた。でも、経過観察を1カ月し、内視鏡的には3カ月間をあけたわけだけど、そこで2倍の成長、そして腫瘍内で内出血していた前の腫瘍とは違い、大きな肉の塊のような腫瘍ができている。
しかし、膀胱の悪性腫瘍の症状の特徴と言える血尿はなく、尿検査の細胞診を何度やっても全くひっかからない。
医者も困っている。
しかし、2倍になっているのに目を背けられないので、新たに婦人科にかかり、それが問題ないとなった後手術することになった。今回の内視鏡で膀胱内を2か所切り、それを検査に回しているので、それの結果がわかるのだが、悪性ならなおのこと、良性でもこの成長の度合いをみると切ってしまうしかないのではないかということ。何せ前にあった腫瘍が内出血していたのもあり、切除中の大量な出血に備える為、入院して行う事になった。
膀胱の腫瘍はほとんどがガンだと言われる。そして、膀胱は非常に反応が出やすい為、ガンであれば即座に痛みや血尿でわかるので、非常に早期発見しやすい個所の一つなようだ。
だから私は安心していた。大きくなるわけなんかないと思っていた。数少ない両性の腫瘍なのだろうと思っていた。
まだ悪性と決まったわけではないけど、いったいなんでこんな事になってしまったのだろうか?
私の体で腫瘍が成長している。何か異変がおきている。それに非常に悲しくなった。
検査の為に膀胱内を切ったあとの、血尿を見て、更に悲しくなった。
体に申し訳ないと思った。