2022年11月5日土曜日

骨折

 初めてかなあ。多分。疑わしいのはあるけど少なくとも判定された「骨折」は初めてです。

いつものようにジョギングして、フォームを気にしながら、歩くのに毛が生えた程度のスピードで走っていて、少しの段差に躓いて。

覚えているのは、胸を強く打ったので、肋骨の弾力性で体が少し弾んだ感覚。

少し先に転がっているエビアン。

「ああ」という誰かの声。

心配されないようにさっと立って、すっとエビアンを取って、少し走った。

でもすぐに、ダメだ、これは・・・となり、貧血というか、走るのをいきなりストップさせられてしまった反動で血流がついていかない。目の前は貧血のようにチカチカしながら視界は狭くなっていった。

このままじゃ倒れるな

と冷静に感じたので、誰かの家でできた影の上に座った。座ったら良くなったので、やっぱり貧血だったのかな、と思った。

大丈夫なのは貧血だけ。

立って、ゴールの公園まで歩いたけど、痛くて痛くて、普通に歩けない。

親に電話して迎えに来てもらおうと思っているけど、なぜかゴールに行く足を止められない。

狭くなる視界、1秒1秒に強くなる足の痛み。手相を黒く縁取ったような手のひらの汚れ。

交通量はないけど大きな通りの信号を渡り、その公園に着いた。

小さなお堂のベンチに座り、そこでやっと親に電話した。

5分程度座って、親が発見しやすいように通りまで歩いた。でも

「あ・・・歩けない」

少し前までは痛くてもなんとか多少のビッコで歩けた。でももう無理だった。

足が鋼鉄のようで、全く曲げる事ができなくて、膝からはいくつかの箇所から血が出ていて、胸からも血が出て、お腹も少し切れて、両手のひらからも血が出ていた。

少し変だけど、なぜか自分を愛しいと思った。

必死に生きているな、と、なんか愛しく思った。

必死っていうか、ただこけただけっていうか。でもなんか、実は頭でも打ったんだろうか。足の尋常じゃない痛さに脳がやられたのか、

「ああ・・・私必死に生きている」

となぜか思っていた。

母親はすぐ来てくれて、車になんとか乗って、家に帰った。

傷という傷を全部消毒して、着替えて、横になった。色んなところがどんどん腫れてきたけど、右ひざの腫れは他とは段違いで、後にナポレオンフィッシュそっくりになった。

日曜日なので病院にはいかず、次の日に整形外科へ。

「膝の皿がこれなんですけど、割れてますね」

ガーーン!皿が割れたーーーー

50歳手前にして、初の骨折認定。

「このまま割れたところをくっつけられれば手術はいらないから。この皿をずらすような事はしないように」

ようは、しゃがむな、という事のようです。足は固定しなかったけど、あまり曲げてはいけないそう。

初の松葉杖を渡され、会社からは初のテレワークを提案され、今、新鮮な日々を送っております。