2010年4月26日月曜日

近況

ワンピース作りがジワジワ拍車にかかってきている。
いつも夜にミシンをかけるもんだから、頭がさえてしまって
寝るにも寝られない。でも昼間かける気はさらさらなく。
貧乏なのもあって、薄手の生地しか買えないものだから
完成してもまだ着る事はできないのが悲しい。
といってもまだ2着目。それも今日終わる。
早く暖かな春にならないかなあ。
ちなみに私は5月生まれ。ほとんどの5月生まれは思っているだろう。
「5月が一番素敵な月」
さあ!5月を楽しもう!

手術後のお腹はピッタリしている。
はちきれんばかりにピッタリ。触るとパツパツ。
便秘のせいだと思ってたけど、そればかりでもないみたい。
傷口はもちろんふさがってるけどまだ真っ赤。
ちゃんとつながったらパツパツも治ってくるのかな?
下腹部に「頑張れよ!」とエールを送る。

先日読んだ本に、本当の恋人がほしいなら
「私を本当に愛してくれる人が現れますように」
とお祈りする事ですと書いてあった。(別に恋愛指南書ではない)
よし!今恋愛ブームが到来しているのだから、
この波にのって祈ってみよう!
昨夜祈ったところ、先ほど前に働いていた会社の
社長から携帯に連絡があった。

・・・・まさか運命の恋人が既婚者の60歳ってわけでは・・・・・

いや!!!まさかそんなはずはない!!!

社長は私の体調を気にして連絡してきてくれたのでした。
ありがたい話だ。もう辞めて1年半たつというのに。

2010年4月21日水曜日

片思い

昨夜とある本を読んだら、片思いというのは人生の転換期にするものだと書いてあった。
片思いは前向きな力なので、転換期に片思いをする事により、自分に磨きをかけ、それを前に向いて歩く力として消化するのだそうだ。
なんか納得すると共に、ちょっとがっかり。
今私は自他共に認める転換期に入っている。ここ2年ずっとそのような状態だ。
11年働いていた会社を去った。17年住んでいた土地も去った。初めての語学留学をした。友達がたくさんできた。帰国し、久しぶりのバイトをしてみた。そこも病気で辞めた。手術を2回した。
2年の間で思い出すだけでざっとこんなにある。

その本を読んで、今好きな人が出来たとしても、その力を溜める為だったのかーなんて、ちょっと切ない話。
片思いと運命の人との出会いってのはそもそも根本的に違うらしく、運命の人とは出会った時から何かが違うと思うのだそうだ。必然的に惹かれあうので、片思いに長期間苦しむという事は少ないとみられる。それってちょっと楽♪なんて思ってしまったけど、その人と出会うまでが大変なのだろうな。
はたして自分にそんな直感など持ち合わせているのだろうか。
みすみす見逃してしまうのではないだろうか。

2010年4月18日日曜日

入院記録③

手術が終わって、麻酔もほぼ切れた。
病室に戻ってきた。
「具合は大丈夫ですか?」の看護師さんの問いかけに
「気持ち悪いです」と答えた。
「吐き気止める薬入れますか?」
「お願いします」
「吐きそうですか?」
「はい。」
こう会話したのを覚えているが、本当に吐きそうだったのかどうか思いだせない。たいした事ないけどこう答えちゃった、って感じがするのだが、やはり冷めたとはいえども多少麻酔は残っていたのかな。
私は自慢ではないが、ものごころついてから吐いた事がほとんどない。
昔アジにあたってくるしくて、微妙に吐いたと言えばはいたような・・・って程度しかない。
他はどんなに吐き気があろうと酒を飲もうと吐いた事はない。
その私が、「吐きそうですか?」の問いに「はい」と答える。これはやはり思考能力が麻酔によって落ちていたのだろう。
夜になって、こそこそ声が聞こえる。ベッドの脇に看護師さんと先生がいる。術後の尿の量が少なすぎると話している。
「ああほんとだねー。少ないねー」っていつもとはうってかわった優しい声の先生。
なんだ、、、優しいしゃべり方できるんじゃん。いつも看護師さんに厳しい(時々患者にも厳しい)事言ってるのしか聞いた事ないけど。
「明日動けますか?」と聞いてみると、
「動けるよ・・・・・あ、動けますよ」
あー・・・良かった・・・と安堵の気持ちと共に半分意識落ちる。
でも、水分を含んだ酸素マスクの水滴がほとんど鼻に入ってきてたので、何度か溺れた気分になって起きた。
次の日、胸につけた心電図を取り、水分はほとんど鼻に入った酸素マスクも取り、体を動かせるようになった。ちょっとベッドの頭を上げると、ふらーーーっとする。
2日絶食で、水分も1日半とらず、しかも生理後に手術すりゃーそれはそれは体力も落ちるってもんで。
でもその日の看護師はいつもの人と違った。年配のスパルタ看護師が担当だった。
起き上がるのすら辛い私に
「立つのよ!!!立たないとダメなのよ!!!」
ライオンの子供を育てるのはこのような状態なのだろうか?周りの手術をしていない寝ている患者が恨めしく思えた。その時は言われなかったけど、今は結構こうやって手術後は動かすらしい。ネットで調べたところによると、特に婦人科の手術を受けた人は、多臓器に癒着するのを防ぐ為に動かすという事だ。
しかし起きるとお腹が痛い。脊髄から麻酔が入っているとはいえ、弱めに入っているのでお腹は痛い。でも怖くて傷口は見る事はできなかった。一体どれくらい切られているのか知るのが怖かった。
その日、看護師の言うまま、なんとか病室の入り口まで歩く事ができた。
歩数にして10歩。これで精一杯。
腸が動かないので水分はまだ飲めず。ガスが出ないと飲食はダメだという事で、神経を腸に集中したが、前回の内視鏡手術の時同様、全然出ない。
出たって嘘ついてしまおうか?と思ったけど、頑張って頑張って、お腹に力入らないから神経をとにかく腸に集中して、なんとか夜に微妙に出た。出たっていえる?と言われると自信はないが、多分出た。
水分が採れるって幸せだーーー!
ギリギリ夕飯に間に合ったので、おもゆを出してもらった。
おもゆはこの上なくまずかった。

2010年4月15日木曜日

日本の文化に誇りを持とう!

ちょっと入院記録からいったんはずれてみる。

FACEBOOKやLANG-8などのSNSに参加している。
FACEBOOKというのは、いわゆるMIXIのようなもので、世界中の人と掲示板で会話をすることができる。LANG-8というのは、習いたい言語で日記を書くと、その言語を母国語としている人が閲覧し、文章の訂正をしてくれるというもの。
色んな国の人とネット上で友達になれるので結構面白い。
その中のコミュニティの一つに
「綺麗な言葉はどこの言語だと思うか?」
というものがあった。
それを見る限り、日本語をあげる人がかなり多い。9割以上の人が綺麗な発音の言葉として、日本語をあげている。
中には日本の文化に心をうたれ、さらにその言葉の意味などに興味を持っている人までいる。
外国人には理解され難い日本独特の言い回しや、言葉のニュアンスがたくさんあるのだが、そういうものに憧れる外国人が多い。
自分の言葉って他国からはどういう印象なのだろう?って確かに気になる。
たくさんのコメントを見ていると、どうやら発音がはっきりしているという印象らしい。イタリア語に少し似ていると書いている人までいる。
NZにいたころ、現地の人に日本語はフラットだと言われた事もある。
英語は単語のアクセントはもちろん、文章の中のどこを言いたいかでその単語に重きをおいたしゃべり方をする。
日本語にはそれがあまりないのだ。
フラットではっきりしている、それが日本語の印象らしい。
更に、日本の桜に憧れる人も多い。Cherry blossomではなく、「桜」として覚えている人が多い。
普通に Sakura is bloomingで通じてしまう。
日本で桜が開花すると、海外ではニュースで取り扱うところも多い。インドネシアの友達などは、
「I like Sakura iro」と言っている。
おそらく、日本人にとっての桜への思いなどは、多少理解しているのではないだろうか。
四季があるっていうのは本当に美しい。
日本人は、その四季を文化に取り入れるという繊細な気性を持っている。
意外と他の国では四季を文化に取り入れるってない事だという事も気づく。
だからこそ、憧れる日本の文化。
私たちはそれに慣れてしまっているけれど、海外へいけばそれは憧れの対象になるということに誇りを持ち、大切にしたいと思う。

2010年4月13日火曜日

入院記録②

いよいよ、わたしの最大の難関である全身麻酔がある日。
手術でお腹切るとかそういう事どーでもいいから全身麻酔だけがやりたくない。
(術後、お腹切るってこんなに大変だったのね。。と知る事になるけれど)
あー嫌だー逃げたいー。
手術は3時間の予定。なんとか1時間半とかにならないかなあ。
どうも3時間の間何も考える事ができないって事がとてつもなく怖い。
じゃあ毎日寝てないの?って言われるとそうでもないのだが、寝るのは強制ではないし、ゆっくり意識がなくなるという点が違う。
何度も全身麻酔の自主練をした。
「今ならいける!今なら恐怖なくしていける!」
友達が作ってくれたアロマウォーターの匂いを何度もかぎ、なんとか落ち着きを保とうとする。
最初にするのは腰椎麻酔。自力で麻酔科まで行き、背中から針を刺していつでも麻酔を入れられるようにする。この針さしっぱなしのまま、また病室へ戻る。術後の痛み止めとして弱い麻酔を3日間ここから入れるのだそうで。
友達などは、この方が絶対に嫌だというけど、背骨に針刺すくらいなんでもねーよー。だって局所麻酔を先に背中に打つし。
そして、魔の時間がやってきた。いよいよ手術室へ移動だ。
はあ・・・自然に眠くなる事を期待していたが、目はパッチリだ。手術室の手前で、他の人の手術が終わるのを待っていた人が私に
「頑張って」
と声をかけてくれた。ストレッチャーの上に寝ているので、振り返るわけにもいかず何も返事をしないままだったが、涙が出そうだった。っつーか涙出た。
中に入ると、看護師さんが自己紹介してくれたけど、どうせ意識あるの今だけだし関係ないやなんて思ってしまった。
思ったより小さい手術室。そこにいたのはハードボイルドな麻酔科医。なんだ!?この手練れ感!
「意識無くなるのが嫌です」
とこの期におよんでまだそんな事を言う自分にあきれる。ハードボイルド医師は、
「何も辛くないから。臭気(臭気の方が楽だと知り合いから聞いた事があったのでそうしてほしいと告げた)の方が匂いも強いし辛いよ。点滴の方が楽だよ」
と言われて更に怖くなる。点滴だと気絶のような落ち方だと聞いたので、もうそれはそれは恐怖で。
医師は、ハードボイルドだが優しく、低い濃度の臭気をずっと少し距離をあけてあててくれていた。看護師さんが
「また麻酔入れる時にお声掛けしますから」
というと、医師は
「おい、お前、「お」はいらねーだろ「お」は。」
と低い声で注意した。お声がけの「お」は自分に対しての敬語になるからいらねーんだよという教育。何もここでしなくても。。。と思ったけど、ここがこの人達の仕事場だからな。
最初に入れた針の所から下半身の麻酔を入れる。その効き目を確認してから、まぶたが重くなる薬を入れた。ずっと緊張のせいでせわしなかった瞼が確かに動かなくなってきた。看護師さんが
「薬を入れます」と言った頃には、この瞼を重くする薬のおかげで少しうつらうつらしていたのかもしれない。嫌だー!!とは感じなかった。でもやっぱ優しいこの医師。
「ゆっくり入れてやれ」
ああ、神様のようだ。目を閉じると手術のライトによって内側がオレンジに見える。
それを綺麗だなーと思って、右と左とにその色が分かれていて、
「左に入ろう」
と思って左に入ったところから意識がない。
綺麗だなーと思ってるところで既に夢なのだろう。
そして、
「手術終わりましたよ」の声がはっきり聞こえて目をぱちっとあけた。
あまりにも早く開けたせいか、人工呼吸器の管がまだ喉の奥にあり、それが急いで抜かれた。
結局手術は時計を見ると4時間。1時間増えてるけど終わってしまえばそれもご愛敬ってこって。
友達は、自身の全身麻酔の経験で、起きた瞬間
「私・・・生きてる!!!」と思ったというが、私は
「終わったーーー!!!」だった。
少々気持ち悪さが残るものの、終わってしまえばこっちのもんだ。
5年もほっておいた病巣が全てこれでなくなったのかと思うと不思議な気分だった。

2010年4月8日木曜日

退院しました!!!ので入院記録①

やっとのことで退院しました。17日間の入院は今までで最長です。

手術の3日前から入院。なぜ!そんなに早く!
理由は休日をはさんでいたから・・・そんだけです。
内視鏡の手術はしたことあったものの、まさか全身麻酔の場合こんだけ違うとは思ってもいず。。。
最初にしたのは、足の付け根から採る動脈からの採血。これで何がわかるのかはわからないけど、動脈から採るのは初めてだったからちょっとびびった。
でもなんだ、全然痛くないや。注射器にコックがついてて、いつもの注射とは違うんだなあ。動脈の威力が強いってことか。
その日はやることはそんだけ。
次の日。完璧にやること無し!回診に来るけど、
「大丈夫・・・ですよね」
「はい。全く異常無しです」
とこの会話のみ。意味なく閉まった病院内をウロウロしてみる。
3日目。この日から絶食。飲み物は夜8時まで飲んでもいい。
手術前日の朝から絶食とは。。。しかも下剤を2種類、2回にわけて飲まされる。
元々下り気味だった私の腸は悲鳴をあげている。
なんか、スマンなあ・・・とトイレでちょっと謝ってみる。
その日、手術に向けて点滴開始。いつもより太い針でうつらしく、ただでさえ血管が細いとか、アトピーがあるとかで看護師さんに迷惑をかけているが、今回も迷惑をかけた。
表に血管が出る人はいいけど、私はあまり出ないので奥まで刺される事が多い。
しょうがないんだけど、痛いんだよなあ・・・
あ、入院する時、同じ部屋の人に挨拶をしたら、
「あ、見た事ある」
と言われた。なんと、前回の入院でも隣のベッドだった90歳のおばあさんがまたもや一緒の部屋だったのだ。なんという偶然。このおばあさんほんとかわいくて、90だけど全然ぼけてもないし、ちゃんと歩いてトイレもシャワーも自分で行う。
前回もおばあさんは膀胱がんの内視鏡手術だったのだけど、今回もそうらしい。
私が来る前、かなり豪快なおばちゃんがいたらしく、
「なんかね、お腹を切った傷跡も下の方まで見せてきてね、ベッドのカーテンしめてても
あけて入ってきてしまうの」と困り顔だった。
「手術はいつなの?」
「明日です」
「でも手術なんて簡単よー。内視鏡でちょいととって終わりなんだから。私ね、先生に言ってね、手術中内視鏡の画面見せてもらったの。だってね、なんでも好奇心持たないと。そうでしょ?」
・・・頭が下がります。90だけどこのバイタリティ。そうです、その通りです。でも私は内視鏡手術ではないので
「私今回は開腹手術なんです。でも癌ではないです。」
「そう!それは良かったわねー。癌じゃないならいいじゃない」
ほんと、申し訳ないけどそう思う。癌であっても、それを楽しむかのようなおばあさんの言葉に、随分自分の今までを考えさせられました。
おばあさんのアホ息子はやっぱり前回同様お見舞いには来ない。手術の時も、お世話になっている弁護士の若手が来ていた。身元引受人としての契約をしているらしい。悲しいわ。
だからおばあさん、
「私4カ月に一回位こうやって手術してるの。癌がなくならないからやっぱり再発しちゃうのよね。でもね、次できたらもう取らないの。だってこんなになるまで生きてるの申し訳ないし、死ぬのも大変だもの」
・・・・・・こんなに元気なおばあちゃんが死ななきゃいけない理由なんてない。もちろん
「何言ってるんですか。絶対に取ってください」
と返事した。私はおばあちゃんはもういないから、せめてこのおばあちゃんが生きててくれればうれしく思うのに。なんだかなあ。生きるってなんだろう?って思ってしまう。
こんな好奇心旺盛なおばあちゃん、ずっと生きていてほしい。
続く。