2010年7月30日金曜日

初の適職診断

今日は県で行っている就職斡旋の施設に行ってきた。
何をしようか迷っているので、PCでできる適職診断をしてみた。
100を超える質問に答え、やっと導き出された私の適職は


ファッション関係、美容関係

そして


芸能人

どうですか!この見事な外れっぷりは!!
私を知る人ならだれもがそう思うだろう。

「それは、ない」

そこにはキャリアカウンセラーが数人常駐しているので、やりたい事が無い事を相談してみようと思った。
担当になってくれたのは30代かと思われる女性。
適職診断結果を見せ、無言。沈黙が続くのもなんなので、
「やりたい事が見つからなくて、職歴はその紙の通りなんですけど、
事務もこの気の強い性格で務まるのかどうかと思って・・」

無言

「この診断結果を見て、広報(診断の5番手以内に入っている)とかそういうのもいいなあと思ったんですけど、この辺そういう募集あまりないですもんね。」

無言
のち、
「そうですね」
そして再び
無言

前にも思った事があるけれども、キャリアカウンセラーにはどういう事を相談したらいいのだろうか。
前にとある求人WEBサイトに所属しているキャリアカウンセラーにも相談した事があり、
その時もやる事が定まっていなかったので、自分はこういう職歴があって、こういう事に興味がある。
そういうのを活かせる仕事はあるのでしょうかと質問したところ、
「求人を見てください」
という内容と、質問からは勘違いなメールを頂いた。

今回の人は悪い人ではなかったけど、職種などについて得られた情報は一切なし。
だって、会話にならないんだもの。。。

まあ、自力で見つけなさいよって事だな。

2010年7月29日木曜日

バイト探し

勉強したいことがあるので、学費を稼ぐためにバイトを探している。
学校に通うのではなく通信でやろうと思ってるから時間はたっぷりある。
・・・でも、ないなーなかなか希望するの。
でもそんなわがままいえる時でも年でもないので、事務で探して面接を受けに行った。
今日は派遣会社が出している事務の求人。
職安で紹介されていたものだから、倍率も高いと思う。
書類選考の割には、履歴書送付してからすぐに連絡がきた。
そして、すぐに面接となり、今日いざ出陣!した。
最初に登録の書類を書いた。ああ、登録を先にするのか・・
既往症も書かなくてはいけなくて、私は手術歴があるのでその病名も書かなければいけなかった。
婦人科の病気だからあんまり書きたくなかったけど、でもしょうがないから書いた。
性格診断もやりつつ、履歴書に書いてある事で質問もたくさんされた。
主に聞かれたのは、どうして前の会社を辞めたのか。
他、通勤時間はどれくらいまで許容範囲か、
事務で探しているのか、
なども聞かれ、そして、求人の仕事の詳細を聞いて、働く日にちも聞いて終わり。
てっきりそれで働けるのかと思うような口ぶりだったので、そんなわけないよなあと思って、
「あの、いつ働けるかどうかがわかるのですか?」
と聞くと、不思議な顔をしている。なので、
「他の方もたくさん応募している面接だと思うのですが」
「ああ、合否がいつわかるかって事ですか?一週間以内ですね。来週も面接ありますし」
ああやっぱりな。
その求人に対しての面接なのかなんなのかよくわからなくなってしまった。
でもこれで落ちたらどうなるんだろう?
派遣としての登録の説明はされなかったし、私もどういう趣旨の面接かがわからなかったので
確認もしなかった。
もし、この求人にもれて、他の職を紹介もされずに終わりだったら、私が嫌嫌ながらも書いた病名はなんのために書いたんだろう。
私はこの派遣に入りたいんじゃなくて、仕事をしたいだけなんだけどな。
派遣なんて入った事ないから全然段取りがわからないや。

2010年7月27日火曜日

入院記録⑧

手術をしてから2週間は尿の管をとることはできない。
なので、段々回復しているにも関わらず病院に滞在した。
前は朝検温して、血圧測って、看護師さんも何かと訪れてくれたけど、今や尿の管をはずすのを待っているだけの私には全然来ない。
定期的な血液検査以外は何もなくなった。
ああ・・・寂しい・・・
隣のおばあさんや目の前のおばさんはいつも看護師さんが来るのに・・・
(二人とも食事前に血糖値測らなければいけないから当たり前なんだけど)
しょうがないから広い病院をグルグルグルグルしてみた。
でもなんにも面白くない。
手術で切った膀胱がちゃんと繋がるまでの辛抱なんだけど、なんか管入れてる所が結構痛くなってくるし、でもそこ痛いって言ったって、医者や看護師からすればたいしたことないから相手もしてくれないし。
まあ、薬ぬるとか飲むとかそういうことできないからしょうがないんだけど。
やっとはずせる日の2日前に医者から手術の時の事について親も同伴で話をした。
あーやっぱ膀胱の裏側から子宮へ癒着しちゃってたのか・・・
でもその腫瘍をはがそうとしたら、結構簡単にペリペリーっと子宮からはがれたらしい。
あー良かった。
退院はいつでもいいですけどって言ってくれたけど、もうこんなに肩身の狭い元気な患者はさっさと退院すべきだと思い、管を抜いたら即刻次の日退院します!という事にした。
この時はまだ最後の難関が待っているとは思いもせず・・・・・
もう激痛はないと思って油断していた私がバカだった。
内視鏡より痛いものが待っていたのでした。

2010年7月26日月曜日

After Dark Haruki Murakami

アフターダークを読んだ。
夜の繁華街のファミレスにいる少女が知り合いの男から声をかけられるところから始まる。男は姉の同級生で、少女は少ししか彼の事は覚えていない。話しかけられるのもめんどくさいのだが、断るのもめんどくさいのでそのまま前に座る事を許す。
近所で、ラブホテルで殴打された中国人の売春婦がいるのだが言葉がわからないとのことで、その男の知り合いのラブホテルで働いている女性から通訳を少女は頼まれた。
その一方、ずっと眠り続けている美少女のいる部屋へと話の視点は変わる。部屋にあるテレビの画面からは顔の映っていない男の姿が現れている。それが何をさしているのかはわからない。ただその美少女は昏々と眠り続けている。

ごく普通の少女
殴打された中国人売春婦
殴打した客
眠り続ける美少女
ラブホテルの従業員

この5つのシチュエーションから話は形成されている。
売春婦はなぜ殴打されたのか、殴打した客は普通に会社にまた戻り一人残業をしているその異常性、なぜ美少女は眠り続けているのか、それらの謎を解明するのはたいした意味をなさない。
これはたった一つの夜に始まり夜明けと共に終わった、ごく普通のできごとだからだ。
その夜は、ある人には普通の夜となり、ある人には人生における何かの出発点となる夜であり、またある人には悲劇の夜となる。
夜という一つのくくりの中で、様々な人間がいて、様々な夜があり、人それぞれの「普通」というものがある。
私の普通は他の人の普通なのだろうか?
そういう事を考える作品だと私は思う。

2010年7月25日日曜日

先生と旅行へ!3日目

さあ!最終目的地Nelson lake national parkのRotoiti湖についた!バンガロー(ロッジかな?)で一泊し、そこから車で少しだけ山を登った所からトレッキングスタート!!!
ニュージーランドでは普段トレッキングと日本でいうものはトランピングと呼びます。トレッキングは数日かけて登山をする事、トランピングは1日で終えるくらいのもののこと。他国ではトランピングはハイキングに変わります。

10年前に箱根の金時山を登ったのが最後の登山。(高尾山や、仕事で行った修行の山は除く)体力には自信があるので、男二人の間ででも大丈夫大丈夫!さあ出発!

山道を延々上る事1時間。最初は景色も綺麗だし、山の斜面を蛇行しながらつながる道を歩く事も苦にはならなかった。(この蛇行する道の事をスイッチバックと呼びます)途中、土砂崩れ注意の看板があるけれども、素敵な晴天だったのでそんな恐れもなんのその。



ああ・・・でもきつい・・・・道は林道のような趣に変わっている。途中岩の上で休憩をとった。この時のチョコレートのなんともありがたかった事か・・・
ニュージーランドのチョコレートはキャドバリーではなくWhittecallsに限る。これが一番うまい。

そう、もうこんな写真の斜面にある道を上っていたんです。そりゃ辛いよ。
でも、その苦しみも3時間。ようやく頂上についたーーーー!!!

近くにある無人の山小屋で、買ってきていたパンを食べた。先生はカップヌードルを調理して私たちにおすそわけしてくれた。
風が結構強く、なかなか寒かった。さあこれからは下りだ!下りは林道のように木が景色をさえぎる事はほどんどなかったので、ずーっと景色を楽しみながら降りてきた。
先生は山形で英会話講師をした事があるので、山形で大きな鍋で肉じゃがをする祭りの事を話してくれた。(本当に肉じゃがだったのかは不明)

雄大な景色を横目にしながら下る事2時間。ようやく車のある場所まで戻って来ました。
その場所でカナダ人が車が故障したからロッジまで乗せてってほしいといい、一緒に乗って行きました。
「どこから来たの?」
「日本だよ」
「へー!!!素敵!いいじゃない!」
と通り一遍の話をし、すぐにロッジに到着。彼らを下ろしたあと、Lake Rotoitiへ。昨夜ここの水で紅茶を入れてくれた時は暗かったから、昼間間近で見るのは初のRotoiti。到着してみるとまあ、綺麗なニュージーランドらしい景色の湖。


近くに寄ってみると・・・



大うなぎーーー!多分1メートルくらい。
タイ人の男の子、そばにいた3歳位の少年とワーワー叫んで喜びました。
先生とタイ人の男の子ははしゃぎすぎて、この桟橋から飛び込む始末。(決して気温は高くない)
ああ、楽しいなあ。
そんな感じでその場を去り、クライストチャーチに帰るのでした。
(途中に立ち寄った小さな町で買い物をするとき、先生が裸足族だったことが判明。NZ人は時々街中を裸足で歩きます)

2010年7月24日土曜日

夢を見た


そんなタイトルの漫画が昔あったなあ。。。


今日見た夢はとてもきれいだった。

綺麗な海の中にいる。ダイビングをしながら海中洞窟の細く綺麗な道をするっと通ると、そこは大きな空間へ繋がっていた。

見上げると大きなマンタが泳ぎ、端にはシロナガスクジラが子供と共にいる。

どうやら、その場所はそれらが寝るときに来る場所らしかった。

濃い透明な青の世界。

そこから水面まで行き、一緒にいた女性に早く水中の中を見るように伝える。(水中から来たのに、っていう矛盾は夢だからしょうがない)

女性は少し怖がっていたものの、水中にゴーグルをつけた顔をつっこみ、シロナガスクジラを見ている。


私も岩か何かにつかまりながら、ゴーグルで水中を見る。


そこで夢は終わり。


これは、病気で1年ダイビングをしていない欲求から来るものだろうか。

もう治ったのだからダイビングしていいんだよーって事かな。


関係ないけど、諫早湾のワニ。なんであんなところにいるんだろう。

心無い飼い主によるものだろうか。

2010年7月21日水曜日

先生と旅行へ!2日目



Blenheimで一泊した次の日、先生のレースが終わる夕方までブラブラ散歩した。
朝市が駅近くでやっていたので、それを見学し、そのまま南へずーっと歩いて



なにやらテーマパークらしきものへ到着。

古きよき時代を体感できるものらしく、オールドアメリカンな感じの

木でできた小屋のような店や、列車っぽいものもあった。

その中に、開拓当時を展示する資料館があったので、それを入ると、お客は私一人。なので資料館の人も私にずっとついて説明してくれる。




それを正しく理解できたかどうかは不明だけれども、なかなか楽しく回る事ができた。




そして、また延々北に向かって歩き続け、さすがにお腹もすいたので街中のサンドイッチ屋で遅めの昼食をとった。
知らない街を歩くのは楽しい。観光名所なんかなくたってブラブラしているだけでその土地の特色が見えてくる。例えばこんな実がなっている街路樹があったり、


こんな学校があったり




民家の家にはこんな大きな木が生えていたり。



そういうのを見ながら歩くのが楽しい。


そして、古い教会が道沿いにあったので、その中に入りゆっくり座って教壇をみた。

フリーペーパーには、人権問題の事が書いてある。

私も、ここニュージーランドに来て人種差別を全く感じなかったといえばそれはウソになる。




でもそれは、じゃあ日本人が他の国の人を差別していないか?という事を考えるきっかけになったのでいい経験だ。




そんなこんなで先生のレースが終わり、ホテルに迎えにきてくれた。




そこからNelson lake national parkへ!といってもそれはネルソンにあるわけではない。

ブレナムとネルソンの間の南に位置している。

スーパーでパンなどを買い、それを景色のいいブドウ農園の近くで座って食べた。




約2時間ほどで湖Lake Rotoiti に到着。もう薄暗闇になっているけれど、先生がそこの水を汲んで紅茶を入れてくれた。
えらくカモがたくさんいる場所から水を汲んでくれたのが多少気がかりだが、煮沸するからいいかと思い、飲んだ。



先生とタイの男の子はそこでテントをはって寝る予定だったから、またもや私は一人で予約したバンガローへ行った。チェックインして部屋に入ると、いやーなんだ、これは。ベッドが5つもある。

値段は1万も全くしないのだけど、こんなに広々してるとは。

ベッドが5つもあってもしょうがないので、先生に連絡して、3人でここに泊る事にした。

3人でトランプやったり、日本語と英語のことわざ問題を出し合ったりとても楽しく過ごせた。

2010年7月17日土曜日

先生と旅行へ!1日目

クライストチャーチでの学校生活も残りわずかという時に、先生が自分の旅行に一緒に行く人を募っていた。もちろん値段はフリー!先生はBlenheim(ブレナム)での自転車レースに出るとかで、それに行く車に便乗し、Blenheimで一泊したあと、Nelson national parkで一泊する予定。


参加したのは私とタイ人の男の子。


昼過ぎに車に乗り、その男の子をピックアップし、そのこの親戚がやっているタイレストランでお弁当をもらい出発!


日本語が少しだけできる先生と、私と、英語があまりできないタイ人との3人。それでも車の中でわきあいあいしながらまずは最初の休憩地であるKaikouraを目指す。


Kaikouraまでは約3時間。ここはクジラが見られるとのことで有名だが、私は以前ホエールウォッチングをした際、なんとクジラ3頭の他に約200頭あまりのイルカの群れにも遭遇している。




ここに着いたのは夕暮れ。砂浜で3人で頂いた弁当を食べるが、辛いのなんの。
タイの男の子は普通に食べてるから、
「辛く感じないの?」と聞くと、感じるけどそれほどでもないとの事だった。
やっぱ慣れって事だろうか。
ここカイコウラは浜辺にアザラシもいるので、観察しに近寄ってみた。
私は何度も見た事があるので、それほどでもなかったが、男の子となぜか先生もはしゃいでいる。
うす暗くなっていたので先を急ぎ、ブレナムに着いたのは約8時。
二人は車の中で寝る予定だったので、私一人予約してあったホテルまで送ってもらって降りた。
ワーキングホリデーでブレナムのビンヤード(ワイン用のブドウ園)で働いている友達と夜に会い、街を歩いたがいい食事場所が全く見つからず、しょうがないのでマクドナルドに入った。
マクドナルドはそれほど変わったところは見当たらず。
ブレナムはワインで有名な場所です。いたるところにワイン直売所があります。
以前ここに立ち寄り色々試飲したけれど、こっちのワインは本当に飲みやすい。さらっとしている。

とりあえずここで一泊。

2010年7月13日火曜日

自分をほめる

私は、気の強い性格だけど、自分を否定しながら生きてきたと思う。
私は周りの人みたいにできない、欠点だらけ、いい印象だって持たれるわけない。
でも、それは今日までで止めたんだ。
今日、私は一つの事をクリアーした。それはそのうち書くけれど、些細な事かもしれないけど、私は頑張ったんだ。だからこれから自分の事は褒めてあげよう。
小さい頃、親にひどい事をされた時もあったけど泣かなかった。
友達が私の悪口を言ってたのは知っていたけど、その友達には咎めなかった。
仕事で不規則になっても他人に弱音ははかなかった。
病気があって、会社のトイレで倒れそうになることもあったけど、苦しみは外に見せなかった。
後輩の為に謝った。
海外に住んでみたいという目的を果たせた。
無事に帰ってこられた。
病気がわかったけど、それを親にいって心配させる事はしなかった。
手術もしたけど、本当に嫌だったけど逃げなかった。
体はちゃんと生きようとしてくれた。
いい友達と巡り合えた。
いい親のもとに生まれた。
いい先生に出会えた。
いい医者にも出会えた。

これだけあれば褒めてもいいでしょう。

2010年7月9日金曜日

「動物の奇行の理由」

正しいタイトルはこれだったのかどうか、もう図書館に本を返してしまったので覚えてないけれど、動物の奇行の理由を書いた本を読んだ。
ニュージーランドの大学で講師をしたことがり、世界的な賞を受賞している人が書いていた。
その中で覚えているすごい話をいくつか。
空を一番高く飛ぶと言えば鳥でしょー!
と思ったら大間違いらしい。飛ぶ、という自発的な行動でなら鳥だろう。
でもなんと自分の意思でなくして大気圏突破してしまう生き物がいるらしい。
それが蜘蛛。
蜘蛛羽ねーじゃん!と思うけれども、なんと蜘蛛の糸がふわりと宙に舞い、軽いものだから上昇気流などに乗り、更に上へ上へと飛んでいき、大気圏までも突破してしまうことがあるらしい。
Planet dustだか、そんな名前がついているこの現象。すごいなーー。
地球は青かった・・・
なんて、そんなこととーの昔に知ってるわ!っていう生き物が居たとは・・・
そのまま宇宙をさまよってしまう蜘蛛。なんともせつない話しではある。
そして、その地球の青という色。自然界にある色。その色ははたしてみんなそう見えているのか?というところの疑問にもこの本は答えてくれている。
色というのは光の分散とか、屈折とかそういう変化の違いによって識別されるのだが、人間はある屈折を赤ととらえるけれども、他の生き物にとっても同じように見えているかというと、それは違うのだそうだ。
人間の視覚の処理をする所がそれを赤と捉えているだけで、犬などは色盲だというし、とある昆虫は色はあまり判別できないけれども紫外線が見えるというものがいるらしい。
だから、日光の中で彼らが見る色は人間のそれと全く違い、ほとんどが紫外線の色、という事になる。
更に、第3の目を持つ生物がいることがわかっている。
よく、眉間の間に第3の目を持ち、それを活用できると未来が見えたり、遠く離れた場所が見えたりする能力があると人間の場合は言うが、昆虫などは、おでこのところに第3の目を持ち、光を感じるのだそうだ。もちろん目でも感じるのだけれども、オデコでいち早く光を感じ、対処に備えるという事らしい。
蝿がどうしてなかなか人間に捉えられないのかというと、そういう理由があるそうで、人間が手などを動かす時のかすかな光の変化をいち早く第3の目により察知し、さっさと逃げてしまうからである。
そういう面白い話がたくさん載っていた。
ぜひオススメ。

2010年7月3日土曜日

「蹴りたい背中」綿矢りさ

図書館でまた本を借りた。
話題作はやはり読んでおこうと思い、だいぶ昔の本ではあるけど「蹴りたい背中」を読んだ。
綿矢りさがわずか19歳で書いたこの作品。
19歳らしい内容、文体で書かれている。
内容は、クラスで孤立している内気な少女が、とあるモデルを街で見たことがきっかけで、同じようにクラスで浮いている男の子と親しくなるという話。
少女は、この男の子を「痛めつけたい」という愛情を持つようになる。
内容としては、ごく一般的な日々の一こまという感じだけど、文章で読ませている。
一つ一つの比喩が実にうまく、ぴったりの表現でつづられている。
下手にきどった文章でもない。
作者も一番書きなおしたという冒頭の言葉。
「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締め付けるから、せめて周りに聞こえないようにプリントを指で千切る」
美文で名高い平家物語の冒頭を思い起こさせる。
なかなか好きなタイプの文章を書く作家だ。
正直、文章の表現の仕方は、東野圭吾なんかよりずっとうまい。(私が東野圭吾の良さをいまいちわかれないのもあるけれど)

作家には2種類いると私は思っている。
このように、文章で魅せるタイプと、話で魅せるタイプ。
私は前者の方が好きだ。村上春樹も前者だと思う。

私はミステリー小説などを、犯人を先にチェックしてから読みだすという、非常にルール違反な読み方をする。
そうしても全く影響がないのは、文章の綺麗さを感じながら読むからだ。
逆に、内容がどうよかろうと、文章がうまくないものは全然読む気がしない。
そういう意味で、さきほども名前をあげたけれど、東野圭吾は好きではない。
私の周りも、彼を好きな人がいないので、好きな人から是非その良さについて教えてほしい。
みんなはどういう所がよくて彼の本を買っているのか。
別に皮肉でもなんでもなく、純粋にその理由を知りたい。
私が感じ得ない何かを感じている人が多いという事だから。

ちなみに、今は、「動物たちの奇行には理由がある」という本を読んでいる。

2010年7月1日木曜日

台湾人からのプレゼント The gift from Taiwan

ニュージーランドで知り合った台湾人の友達から贈り物が届いた。

何もメッセージはなし。

何やら瓶詰めのものが入っている。

そこには、

紅糟豆腐乳 黄豆熟成 甘、香、醇

と書いてある。中身をみると、確かに豆っぽいものと、豆腐ようのようなものが見える。

その送り主にメールで聞いてみると、

「You can't eat it with rise,noodles and anything」

多分わざと必要最低限の事しか書いてこない。

食べてみた印象を聞きたいのだな?

生で食べるものなのかどうかだけ返信して今応答を待っている。

多分豆腐ようみたいなものだろうと思うんだけどなあ。

豆腐を紅麹で漬けたものだっていうし。

でも甘いという文字もあるしなあ。

あ、あとお茶ももらいました。
でも箱を取って、ラベルもないのでなんのお茶なのかはわかりません。
いやー、なんだろ、このミステリアスな感じは。
試してみるのがとても楽しみです。