2010年7月3日土曜日

「蹴りたい背中」綿矢りさ

図書館でまた本を借りた。
話題作はやはり読んでおこうと思い、だいぶ昔の本ではあるけど「蹴りたい背中」を読んだ。
綿矢りさがわずか19歳で書いたこの作品。
19歳らしい内容、文体で書かれている。
内容は、クラスで孤立している内気な少女が、とあるモデルを街で見たことがきっかけで、同じようにクラスで浮いている男の子と親しくなるという話。
少女は、この男の子を「痛めつけたい」という愛情を持つようになる。
内容としては、ごく一般的な日々の一こまという感じだけど、文章で読ませている。
一つ一つの比喩が実にうまく、ぴったりの表現でつづられている。
下手にきどった文章でもない。
作者も一番書きなおしたという冒頭の言葉。
「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締め付けるから、せめて周りに聞こえないようにプリントを指で千切る」
美文で名高い平家物語の冒頭を思い起こさせる。
なかなか好きなタイプの文章を書く作家だ。
正直、文章の表現の仕方は、東野圭吾なんかよりずっとうまい。(私が東野圭吾の良さをいまいちわかれないのもあるけれど)

作家には2種類いると私は思っている。
このように、文章で魅せるタイプと、話で魅せるタイプ。
私は前者の方が好きだ。村上春樹も前者だと思う。

私はミステリー小説などを、犯人を先にチェックしてから読みだすという、非常にルール違反な読み方をする。
そうしても全く影響がないのは、文章の綺麗さを感じながら読むからだ。
逆に、内容がどうよかろうと、文章がうまくないものは全然読む気がしない。
そういう意味で、さきほども名前をあげたけれど、東野圭吾は好きではない。
私の周りも、彼を好きな人がいないので、好きな人から是非その良さについて教えてほしい。
みんなはどういう所がよくて彼の本を買っているのか。
別に皮肉でもなんでもなく、純粋にその理由を知りたい。
私が感じ得ない何かを感じている人が多いという事だから。

ちなみに、今は、「動物たちの奇行には理由がある」という本を読んでいる。

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