2009年8月20日木曜日

スポーツから学ぶ事

最近、甲子園、バレーボール、少し前は世界水泳とスポーツをよく見ている。元々ソフトボールを6年やっていたので、少なからず甲子園球児の気持ちはわかる。(私はぐーたら部員だったけど)
昨日見た試合で、試合終了と共に負けた学校のピッチャーが崩れるようにマウンドで泣いてしまった。ああ、必死で今までやってきたんだなあとこっちまでもらい泣きしてしまった。
昔仕事で、なぜかただの単なる異動による送別会に同席し、50人いる中たった一人で泣いてしまったことがある。送別される人も泣いていないのに、私のみ号泣というなんとも情けない状況だった。その時に当時の社長が、
「今まで一生懸命にやってきた人が涙を流すもんなんだよね」
と言ってくれた。私の場合もともと涙もろいだけの気もするが、そう言われてみればそうかもしれないなあと思ったものだ。
この甲子園球児もそうなんだろう。泣いてない人が一生懸命やってないって事ではなくてね。
とあるスピリチュアルの本で、宇宙人と対話したとかオーストラリアのアボリジニのある民族と旅したという本があるんだけど、(フィクションで書いてあるけど実話だと本には書いてある。どっちだい!?と言いたくなるけど)アボリジニも宇宙人も平和を愛し、愛を一番尊ぶのだとその本には書いてある。もちろんそのことは素晴らしいものだとわかる。ただひとつ全く納得できない事がある。
それは、愛に溢れた宇宙人もアボリジニも、人間がスポーツで人と競うという事に疑問を感じ、否定気味にいるという事。同じ人同士で順番を競ってどうするの?優劣をつけてどうするの?そもそも人に勝手嬉しいの?
言いたい事はわかるが、申し訳ないけどそれは必死でスポーツをやったことのない人の言葉、としか受取れなかった。
スポーツは相手を憎むものではないし、負けたからといって憎しみが生まれるものでもない。負けたら必死で負けないように自分の能力を高めようとする所に精神的にも素晴らしい成長があるのであって、愛にあふれた素晴らしいスピリチュアルの世界にそういうものが認められないというならそんな世界に住みたくもないやい!とさえ思ってしまう。
バレーボールを見ていても、勝とうと、チーム一丸となって支えあってしている姿を私は美しいと思うし、私も一生懸命に生きたいなあと思う。
どうなんだ?本当に人にスポーツで競うというのはそんなに愛から反する事なのだろうか?
こう地球もなるべき(宇宙人の本において)とするのは少し安易な気がする。
うーん、そう思うのは私が曲がってるのだろうか?

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