2010年9月7日火曜日

「死刑でいいです」

少年犯罪の本を読んだ。
題名は「死刑でいいです」
2002年におこった母親殺害事件、2005年の姉妹殺害放火事件、その犯人である山地悠紀夫の詳細が記された本です。
争点となるのは、山地が精神的な疾患があるかどうか。
また、それが人格障害か、先天的なアスペルガー症候群かどうか。
その本は切に訴える。
人格障害であろうとアスペルガー症候群であろうと、それだけで犯罪を犯しているという事ではない。
山地の場合、その生い立ちに非常に問題があり、父親の早世、母親の育児放棄、そこから来る苦しみなどが根本的にあり、犯罪にいたらしめている。
ただ、母親の育児放棄は本当にあったのかどうかは疑問が残るところ。山地は服も買ってもらえずご飯もちゃんと作ってもらえず・・・と言うが、周りからは服もちゃんと母親が用足してきてるのを見ている。
少し被害妄想もあったのだろうか?
好きになった彼女との中を邪魔されそうになったり、新聞配達で貯めた金を母親に勝手に使われたりという事が彼にストレスを与えるが、山地はこうも言っている。
「もし母親が借金で大変だという事を言ってくれたら、自分はそれを助けようと思った」

そして、母親をバットで嬲り殺しにし、少年院に入る。そこでの生活は山地にとっては快適だったようだ。
しかし、退院後、両親もいない山地は路頭に迷う。親戚の人のお世話になるも、その人から悪い道を紹介されてしまう。そこからまた彼の転落人生が始まり、その色々の結果、面識のない若い姉妹を残忍な方法で殺害するに至る。
なぜ二人を殺したのかは未だ疑問が残るところ。多分本人にもわからなかったのではないだろうか。
どういう生い立ちを持とうと、どういう理由があろうと、罪のない人を殺すのは許せる事ではない。

また逮捕され、少年鑑別所に留置される。そこで彼が望んだのは死刑。
おそらく、死にたかったから姉妹を殺したわけではない。死にたくて死にたくてしょうがないという事でもなかったと思う。
「殺した事に反省はしないけれど、自分は生まれてくるべきではかった、存在そのものがあるべきではなかった」
という趣旨の事を手紙に書いている。
彼は幸せにはなりたかったのだとは思う。けれど、どうしてこういう道へ行ってしまうのか、自分はどうしてこういう行動をしてしまうのかが全く理解できていなかったのではないだろうか。
自分で自分を理解できない、これが山地の苦しみ。

数年後、彼は死刑になる。
殺人は絶対にしてはいけないこと。死刑になるのは当然だと思う。
その反面、自分の存在そのものがあるべきではなかったという心情はあまりに悲惨。
この筆者も、どうにかして犯罪をしないですむ方法はなかったのか?という事で苦しんでいる。

難しいね。人の心って。生い立ちが悪いからといっても、立派に生きている人はごまんといる。
私個人の意見としては、生い立ちがどうであろうと生きるのは自分。そこに甘えてはいけないって思う。
でも、生い立ちがその人の性格を曲げてしまうのも確かにある事実。
どうすればよかったのか、その答えは、なかなか出そうにもない。

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