2012年10月3日水曜日

言葉について

私は時々難しく考えてしまう癖があるので、
やたら他の人の言ってる事が軽く感じたり、
エセだと感じたりしてしまう。
もっと気楽な波に乗ってもいいだろうとおもうし、
必ずしもそういう言葉が嘘なわけでもないとは思うのだけど、
例えばみんながよく使う「癒し」という言葉ひとつとってみても
その程度でそう言ってしまっていいのか?とか、
疲弊していない心身を、疲弊していると自意識過剰になってしまって
癒しはいいわと思って気取っているだけなんじゃないかとか、
どーでもいいことをグルグル考えてしまう癖がある。
その時その時にふさわしい言葉があるはずなのに、
世間ではやたらと「癒し」が騒がれて、
癒しカテゴリーなんてものを感じてしまって、
「癒し」という言葉しか知らないのではないかと思う事がある。
多分それは、みんなのいう癒しと、私のとが食い違っているからなんだろうね。
私はアロマテラピーを勉強して、その「癒し」業界に片足突っ込んだ状態
なのだろうけど(仕事はしてないけどね)そんな私が、
どん底まで行って、どうしようもない精神の時に目に入る草花とか、そこまでの
崇高な存在になれるかというとそれはどだい無理であって、
人を「癒す」というのは、私の中ではそのレベルなわけです。
更に言えば、よく「幸せにしちゃいまーす!」というサムい言葉を言う人がいるのだけど、
一体あなたは自分をどこまでの存在だと思っているのかと疑う時がある。
幸せかどうかは受け手が感じる事であって、それを言葉にした時に
それは幸せの押し売り以外のなにものでもなくなってしまう。
今まではそういう人達が近くにいなかったので、たいしてそんな事を考える事が
なかったのだけど、ここ最近、周りの環境も変わり、友達ではない知り合いなんかも
増えたりしつつ、そうなるといまいち理解不能な言葉が飛び交ってくるのです。
そういう言葉になれないと、どんどん性格が悪くなってくるので、
慣れようと頑張ってはみるのだけど、そういう言葉の裏に潜む軽さとか、
エセやエゴな感じとかがぷんぷんと匂ってくる。

本気の人には本気の言葉が周りを囲むように、
言魂っていうのは、言葉を言う事によるものだけではなく、
自然とその人の魂が現れる言葉、の事も含まれるのではないかと
思うこのごろ。

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