2012年5月14日月曜日

World Visionのイベントに行く 2

2月末に行ったWorld Vision Cafeのイベントからどんだけたってんのよ!?
で、今更ながら報告2回目です。
1回目は「国際」のラベルを参照してください。

最初に申し上げると、私はうわっついた良心てものが好きではないです。
人間は幸せの為に生まれてきているとも思っていません。
人の心の中には、良心もあれば憎しみもあって、妬みや、でも愛情や、そういうものが細かく入り混じってて、それでこそだと思っています。
全ての善悪の区別なんてものが明らかだとも思ってなくて、だからこそ苦脳があって、自分の中の悪に苦しんで苦しんで、そこで自分なりに勝つ事ができたら、それが本物なんだと思っています。

ルワンダの大虐殺は、たくさんの人が殺人者となり被害者となり、被害者は殺人者を憎み、殺人者の一部は自分を責めています。全て紙一重なんだと思います。
被害者がかたきを打てば、殺人者に変わります。そういう中、自分の子供を真っ二つに目の前でされた女性が、その犯人を許そうと決めた事は、とても尊いものです。この憎しみの連鎖をここで終わりにしようという気持ちからです。
これこそが、真の愛と呼べるものなんだと実感しました。
彼女はおそらく今も、自分の中で葛藤しているのだと思います。でも、そこに勝とうと、World Visionの働きにより、講演をしています。

人を助けるのは、物を与えるだけじゃなく、しかるべき時にものを援助し、しかるべき時に教育をし、この先自立していくためにはどうすればいいか、現地の人と話しあいながら、試行錯誤して長い年月を経て進んでいきます。

ここで、ルワンダの大虐殺により親を亡くした子供のアンケートを記しておきます。

自分は生きる価値がないと思っている 53%
両親の死を考える 90%
自殺を考える 28%
孤立している 50%

ルワンダには、「子供世帯」というのがあります。
親を殺された子供が多く、子供たち同士で共同生活をしているのです。
この子供たちに、「人間は幸せになるために生まれてきたんだ」なんて、言えるものじゃないよね。

不況だなんだと言ったって、毎日食べるものはある。でも、
もし毎日食べるものがなかったら?
電気も水道もガスもなかったら?
子供を育てたいけど、お金も食べ物もなかったら?
病院もなく、病気を治す事もなく死を待たなければならないとしたら?

日本にいてその経験はおそらくできないけれど、できるだけその苦しみを分かち合いたい、そしてそのような苦しみから逃れさせてあげたい、
そういう気持ちで入ったWorld Vision。

ちなみに、日本は加入率が世界で11位。茨城県は939人。
同じ日にイベントに来た男性はまだ加入してないけど、どんなもんかと思ってとりあえず来てみたのだそうです。そういう行動、いいね。
もう一人の男性は、新聞で広告を見て写真のあまりの子供のかわいらしさ、目の印象にやられて加入したのだそうです。
確かに。。。あれはずるいwww

んで、最後の報告は、それを受けて自分はどうしていくかを考えたいと思います。
で、続く。

4 件のコメント:

  1. yattyさんのブログを拝見するたびに、自分はなんて世界を知らなさ過ぎるのかと痛感します。

    昨年の大震災以来、人間のエゴについて考えてしまう機会が増えました。
    私も自分自身について、大なり小なりエゴを切り離して生きることはできないという矛盾を感じます。

    自分に何ができるかはわからないけれども、知ることから始めなければいけませんね。

    ちょうど今、今年の分の日本赤十字社への寄付を夫と相談していたところでしたが、
    日本国内にこだわらず、ユニセフなど国外機関への寄付も視野に入れて検討しなおしてみようと思いました。

    ボランティアなど直接の支援に立ち会えないぶん、
    痛み分けを引き受けるつもりで、せめて子どものいないうちは、
    寄付を続けていけたらと思っています。

    そのためには、どんな団体がどんな支援をしているのか、
    私自身がもっともっと知る必要がありますね・・・(笑)。

    チャイルドスポンサーは、通常の寄付という形以上に、
    一対一で支援でき、援助の形がはっきりと見えるところが素晴らしいですね!

    返信削除
  2. はっ・・・昨日投稿したコメントが消えている・・・
    スミマセン、またスパムの方に紛れてしまったかもしれません。

    イスラエルとパレスチナの問題などでもそうですが、
    対立に終止符を打つためにはどこかで憎しみを断ち切らなければならない。
    でも、憎しみを越えて許すって、並大抵のことではないですよね。

    個人の感情を押し殺し、未来に憎しみを残さない方を選ぶ。
    私だったらとてもそんな風にできない、と一瞬思ってしまいましたが、
    よく考えたら、そう選択せざるを得ないほどの逼迫した状況だということなんですよね。

    胸が痛みました。

    返信削除
  3. このコメントは投稿者によって削除されました。

    返信削除
  4. このBlogerは少しバカなんですよ。pocotanさんがスパムなわけないじゃないか!学習しろ学習!!!

    援助って自分の無理しないでできる範囲で十分だと思うんです。なんでもいいから行動をおこす、これだけで大きな一歩だと思うんですよね。関心を持つことから始める、情報を少し調べてみる、それってすごい大切ですね。
    やたら愛だのなんだの言う前に、現実に苦しんでいる人に目が向けているだろうか?ってとこを考えて欲しいと常々思います。
    赤十字でもなんでも、寄付しようと検討する、すごいじゃないですか。私は毎年のはしてないのですが、何か起きた時の寄付は赤十字にしています。なんにも知らない人が、寄付金は赤十字の職員の給料に変わる、なんてことをツイッターなどで恥も知らずに言ってましたが、寄付金は全て被災者や犠牲者に向けて使用、又は渡されるのですよね。ユニセフも、いいですよね。私の母は小さい頃に戦争を体験していますが、その時に食糧をくれたのがユニセフだったようで、寄付を続けています。
    pocotanさんの言うように、憎しみを止めるのって簡単ではないですよね。なんであんなに紛争ばかり、バカじゃないのか?という人もいます。だけど、目の前で子供を二つに切り裂かれた母親は、憎しみを止める事ができますか?あなたならそれができますか?ってとこなんですよね。
    だから犯人を許そうと決めた女性の決断は、とてつもなくすごく、普通の人ができる決断ではないと思います。

    返信削除