2013年6月16日日曜日

言葉で溢れている

金曜日に色々あって、なんかもう疲れたと思いつつ、
むかついてばかりいる私も歪んでいるのかなんて事も考えつつ過ごしていた。
昨日図書館に行って、愛する茂木健一郎氏の「僕たちは美しく生きていけるのだろうか」
~Can  we live beautifully~という本を借りた。
茂木さんのような人が周りにいたら、飲み会で下世話な会話しかない男の事も
隙あらば触ってこようとしたり、私がタクシーで帰っていた時に
「今ホテルの部屋とったんだけど」とかいう意味不明な電話をしてきた上司の事も、
あいつはあいつ、と思う事ができたかもしれない。
そんな人ばかりじゃないんだと。

この本を昨日読んでいたら、「心が美しいこと」というトピックの文章が言うんです。
心が美しいという事は、春に花が咲いているように温かく、この世に生きているという
事から浮遊するような中から見出す事があってもいい(おそらくそれが一般の
人が言う心が美しいという典型)
このような内容の後で、こう続きます。

「一方で、人生は雨の日も晴れの日もある。~心の美しさはそのような浮き沈みや摩擦や、ネガティブな思いや、激動をくぐりぬけてやがて生まれてくるもの。精一杯生きていい。挫折して、暗い気持ちになって、そしてまた立ち上がればいい。」
茂木さんは、美とはバランスであり、そのような妬み、苦しみ、憎しみを持っているのは否定すべき事ではないが、そこから這い上がるという事でバランスをとっていかなければいけないと言っているのです。
そこから這い上がった時に、浮遊から見出す美よりも、更に輝かしい「美しさ」が生まれるとしているのです。
暗さがあるから明るさがわかるように、そのようにして出された美しさは、とても綺麗に見えるだろうと。

これは今の私にとってとても大切な言葉なのです。
自分がダメな時でも周りを見渡そうとすると、このように勇気を与えてくれる言葉が見つかる。
それを神が教えてくれたという人もいるだろうけど、私は自分がなんとかなりたいという気持ちが作り出すセンサーの為だと思っている。
自分がダメだと思う時こそ、周りに目を向け、外に出てみたり何かを手にとってみたりする必要があるんだと、茂木さんは教えてくれました。

蛇足
「これは神が与えてくれた言葉か・・・」と思いたくなるような事が昔ありました。
その頃仕事でイライラして、後輩に注意する事もとっても多かった時。
いつものように通販で無農薬米を買い、そのダンボールを開けたところ、オマケに入っていたアロマスティック。そのパッケージにはこのように書かれておりました。。。。

もう、ほんっと、すんません。

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