2020年5月16日土曜日

励ますということ

先日、ある友人から、
「辛いのに頑張ってるねってほめてほしかった」
と言われた事があった。
内容的に、辛いならやめればいいし、この時期にそれをやるの?っていう
疑問が私の中にあったので、あんまり同調しなかったことに不快な思いをしたらしい。

そこで思うのだけど、私はそもそも「励ます」という言葉が嫌いで、励ますつもりはなかったけど展開的に励ましてた、っていうのは別として、「励まそうとして励ます行為」そもそもが嫌いだという事に気づいた。
私自身が励まされる事が嫌いなので、私の頭の中にももちろん「励まそうとして励ます行為」が無い。思ってないのに「辛いねー、がんばってるね」なんて言えないし、その辛さが私の中で(頭の中だけじゃなくて)腑に落ちなければ多分言う事もない。

でもその感覚は、あんまり理解されないらしい。
「人間嫌いのルール」では、それはそのままで良くて、理解されなくても痛くも痒くもない「人間嫌い」になれば良いだけで、思ってないことは言わない、とルールに書かれている。
人間嫌いを目指してるわけではないけど(笑)言う事に抵抗があるのだから、それは言った方が相手に失礼になるし、何より自分が気持ち悪いので、この先も言う事はないと思う。

「人間嫌いのルール」の中でいうところの「共感ゲーム」の世間一般から、かけ離れた人たちばかりと今まで友達だったので、全くそういうところに違和感なく今まできたのだけど、どうも自分らは、ずれているようです。

それはそれでいいよね。迎合することを望んでいないのだから。

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