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2020年4月25日土曜日

人間嫌い

昔からだけど、偏屈なところがあって、世の中の「善良」と思われる動きとか、
友達の言葉を「きれいごと」と思ってしまう事が多々ある。
今のこのコロナ問題で、やたらとテレビから聞こえる
「みんなで頑張りましょう!」にはストレスを感じるし、
「おうちで過ごしましょう!」には、言われなくてもわかる事を
いちいちうるさい、と思うし、
Facebookのプロフィールに「Stay home」の枠をつけられるようになってるんだけど、それをするといちいち私のタイムラインに、
○○さんがプロフィール写真を変更しました!
と載ってきて、その人のせいではないにせよ、「いいことやってます♪」感の、アピールの押し売りをしてくるな、と思う。

元々心が狭いと言われればその通りなんだけど、他の人に聞いてみてもあんまりそういう事を思わないようなので、ネットでさくっとそんな特徴を検索してみて出てきたのが

人間嫌いな人

おおーーーーー!?そうなの?

それで、「人間嫌いのルール」という本があることを知り、その内容をネットで少し見てみたら、

これ・・・あてはまる・・・

この本でいうところの「人間嫌い」に、かなり当てはまる。

私は別に、人間不信ではない。ただ、知らない人が嫌い。話しかけてほしくない。フレンドリーな知らない人とは一緒にいたくもない。
一人旅行は気ままで好きだけど、一人でいると話しかけられるので、それが苦痛だったりする。
別にその人の事なんか知りたくないので、ただ業務連絡だけをしてくれればいい。

でも、そんな中でも、普通にさらっと、とても良いタイミングや場面がある時に、話が合って楽しい時もたまーーーーにある。
なんていうのか、「人と仲良くするのは良い事」という、バカみたいなカテゴリーというか、テーマというか、そういうのが全て関係ない空気の中で、たまたま居合わせて、たまたま話すきっかけがあって、そういう無理の無い絶妙な空気があった時にのみ、知らない人も大丈夫になる瞬間がある。

要は、他人(友達も含め)の「善良」な価値観を押し付けられたり、見せられる事が嫌いなんです。

ほっといてくれ!

Stay homeが見たくなくて、facebookを休止し、テレビも最小限にしようとしている偏屈な人間嫌いの私です。

2020年3月1日日曜日

直感と論理をつなぐ思考法

「直感と論理をつなぐ思考法」という本を、たまたま手にとって、
買ってみて、少しずつ読んでみて、何かこう、
ああ、忘れてたな、というものを発見した。

これは、心、時間の隙間を作る事が大切、という事を書いていて、
例えばSNSの「いいね」とか、ラインを気にしたりとか、そういう外からの
評価に捉われている時間が長いと自分を感じる事が少なくなって、自分が何がしたいのか、どう考えているかがわからなくなる、と言っている。

確かにそうだな、と思って、スマホを手にしない時間をできるだけ作って、
通勤電車ではスマホは見ない、とか、休みの日に予定を自分から入れないでみる、などの事を今試みている。
また、毎日ノートに何かかく、という習慣についても書いているので、それも実践しようとしているけど、実際書いてない日も多い。

ちゃんと実施できてないけど感じたのは、ああ、私は自分の中にある何かを表現することが好きだったっけな、という事。
それは大層な事ではなくて、色鉛筆で色を塗ってみたりとか、文章をなんでもいいから書いてみたりとか、そういう事が懐かしいというか、楽しくて、そういえば最近は人の話を聞かなければ、相手が心地よく話せるようにしなければ、と思っていることがなんでか多くなってて、自分が話したい事を話す、という時間が減ってたなと思い出す。

自分の話なんて聞いてくれないだろう、興味なんか持たれないだろう、
何より、相手は楽しくないだろう。
そんな思い込みが勝っていたのかもしれない。(といってもよくしゃべるほうだとは思うけど)
それを考える事が煩わしくて、それで、一人でいることが楽。

誰かと一緒にいることが良い事だとは思っていないし、一緒にいるという事は結果であって、一緒にいようと思う事が良い事とは思ってなくて、新しい人と知り合う事が楽しいと思える事が良い事だとも思ってなくて、そもそもそういう事に関しては、良い事とか悪い事とかという基準自体が違うと思っていて、だから、世の中の雰囲気に合っていないと感じるんだな、と思う。

なんかそういう、自分の中の複雑な部分を外に出すのが好きなんだという事に気づいた。誰かに反応してほしいという事ではなくて、それをとにかく表現する。

なんだかそれが楽しい。

偕楽園の梅は満開。こんなに赤い梅があるなんって知らなかったな。

2013年11月20日水曜日

Thomas's heart

「この少年のときとしての愛が、性もなく正体もわからない何か透明なものへ向かって
投げ出されるものだという事も知っている」

萩尾望都の、「トーマの心臓」を読んだ。
今まで萩尾さんの作品は、「おそるべき子供たち」しか読んでいなかったんだけど、
ふと思い立ち、読んでみた。
もともと、この人の抒情的なところが好きで、
感覚が繊細で、その繊細な人が繊細な人たちの事を描くものだから、
なおさら繊細さが光を放つのです。

トーマの心臓は、何にせよ、最初に書いた言葉にかかっている。
おそらくテーマは愛なのだろうけど、とびきり透明で、底ぬけて純粋で、
なんのカテゴリーにも当てはまらない愛がテーマ。

これをね、少年が少年を好きになるボーイズラブじゃん、と終わらせてしまっては
ダメなのです。そういうものを通り越しているのです。
男とか、女とか、家族とか、他人とか友達とか、そういうカテゴリーをとっぱらって、
そこにただ存在する、魂が求める愛を描いているのです。

「愛しているといったそのときから、彼は一切を許していたのだと。
ただ、一切を、何があろうと、許していたのだと」

一度、機会があればぜひ読んでいただければ!
そして感想をお聞かせいただければ!

Thomas allowed everything on Juli even though Juli got heavy guilt.
He didn't matter category of his relationship like Friends,Lovers,Family,Boys,Girls and any more.
He just loved one,that's all.That is his everything.
The most of us had breakable thing in our own hearts but we have got used to many dirty things.
Thomas loved Juli with his body,his life,all of him.
Juli was never be able to forgive himeself under his faith.

This author Hagio Moto is so great.

2013年6月16日日曜日

言葉で溢れている

金曜日に色々あって、なんかもう疲れたと思いつつ、
むかついてばかりいる私も歪んでいるのかなんて事も考えつつ過ごしていた。
昨日図書館に行って、愛する茂木健一郎氏の「僕たちは美しく生きていけるのだろうか」
~Can  we live beautifully~という本を借りた。
茂木さんのような人が周りにいたら、飲み会で下世話な会話しかない男の事も
隙あらば触ってこようとしたり、私がタクシーで帰っていた時に
「今ホテルの部屋とったんだけど」とかいう意味不明な電話をしてきた上司の事も、
あいつはあいつ、と思う事ができたかもしれない。
そんな人ばかりじゃないんだと。

この本を昨日読んでいたら、「心が美しいこと」というトピックの文章が言うんです。
心が美しいという事は、春に花が咲いているように温かく、この世に生きているという
事から浮遊するような中から見出す事があってもいい(おそらくそれが一般の
人が言う心が美しいという典型)
このような内容の後で、こう続きます。

「一方で、人生は雨の日も晴れの日もある。~心の美しさはそのような浮き沈みや摩擦や、ネガティブな思いや、激動をくぐりぬけてやがて生まれてくるもの。精一杯生きていい。挫折して、暗い気持ちになって、そしてまた立ち上がればいい。」
茂木さんは、美とはバランスであり、そのような妬み、苦しみ、憎しみを持っているのは否定すべき事ではないが、そこから這い上がるという事でバランスをとっていかなければいけないと言っているのです。
そこから這い上がった時に、浮遊から見出す美よりも、更に輝かしい「美しさ」が生まれるとしているのです。
暗さがあるから明るさがわかるように、そのようにして出された美しさは、とても綺麗に見えるだろうと。

これは今の私にとってとても大切な言葉なのです。
自分がダメな時でも周りを見渡そうとすると、このように勇気を与えてくれる言葉が見つかる。
それを神が教えてくれたという人もいるだろうけど、私は自分がなんとかなりたいという気持ちが作り出すセンサーの為だと思っている。
自分がダメだと思う時こそ、周りに目を向け、外に出てみたり何かを手にとってみたりする必要があるんだと、茂木さんは教えてくれました。

蛇足
「これは神が与えてくれた言葉か・・・」と思いたくなるような事が昔ありました。
その頃仕事でイライラして、後輩に注意する事もとっても多かった時。
いつものように通販で無農薬米を買い、そのダンボールを開けたところ、オマケに入っていたアロマスティック。そのパッケージにはこのように書かれておりました。。。。

もう、ほんっと、すんません。

2012年11月3日土曜日

手塚治虫

手塚治虫の未発表の原稿がどうやら見つかったらしい。
現在鑑定をしているとの事。

き・・・気になる・・・

私が最初に手塚作品を漫画で読んだのは、火の鳥「望郷編」だった。
地球で恋人同士が無名の星を買い、そこに移り住んだが、それは
荒れ果てた荒野の星だった。
騙された事に気付いたが、2人はなんとか生きようと、星で生活を始める。
そんな中、事故で旦那は死に、妻は星を子供たちと共に繁栄をさせてゆく。
コールドスリープをしながら、何年も生き続け、妻が起きた際には星は見違えるほどの
科学文明を持った星になっていた。

それから色々あり、妻はお付きの男の子と共に地球に帰る。

湖、森、水、その全てに感嘆し、これが地球なんだと。

文明を極めた星は一度の地震で滅亡し、気の遠くなるその先には
人間ではなくナメクジが進化する。
しかし、そのナメクジたちも日照りにあい全滅するが、その時の最後の1匹が火の鳥と話をする。
死ぬのが怖いとナメクジは言うと、
なぜ?お前らの祖先は何もそんな不満を言わずに死んで言ったのよ。と火の鳥は答える。
更に死が近くなった頃、ナメクジはこういう言葉を言う。
なぜ進化なんかしてしまったのか、昔のままのただのナメクジでいられたら、辛くもなかったのに。

火の鳥は14巻あり、それぞれが単発の話で括られているが、テーマは一貫して
「命」

そしてそれに付随するように、地球とは、文明とは、人間とは、苦しみとは、そういったテーマが織り混ざっている。
一つ一つのお話に印象に残る言葉がたくさんあり、読後は非常に重さを感じる。

あれほどの漫画を書ける作家は、今は見かけない。
もちろん火の鳥以外にもたくさんいい作品はある。
あれほどメッセージ性の強い漫画家に未発表作品があったってんだから、
そりゃーーー気になってしょうがないよ!

2012年6月21日木曜日

ナースウッド

「君はナースウッドというものを知っているか?」
開高健の言葉。

ナースウッドとは、大木になれずに朽ち果てる木の事で、
その木でキノコは息吹き、虫などの棲みかとなり、更には分解されて他の植物の栄養となる。

開高健は、ベトナム戦争に従軍し、同胞がたくさん亡くなっていく現実を体験している。

茂木健一郎氏は、その事にふれ、著書でこう書いている。

「「あなたの人生にナースウッドはあるか?」と開高は問う。倒れてこそ育まれるものがある。
弱者、敗者に優しい言葉である。」

前にBSで見た開高氏の釣りのドキュメンタリーが非常に面白くて、
開高氏の自然に関する考え方、人間に対してのユーモアのある言葉、
そういう言葉らに魅了された時間でした。

茂木さんの本をたまたま読み返して、この部分に心をうたれたのは、
なんだろうな?と考えた。

失敗や困難は人生の大きな糧だと信じているけれど、
それが揺らぐ時に、ナースウッドという言葉が優しくささえてくれそうな、
そういう開高健の言葉。

心にとめておこう。

2011年11月15日火曜日

アトピー本

アトピー歴ものごころついてからの私は、今まで全くアトピーの本を買った事がなかった。
なぜなら、まゆつばものがたくさんあるのと、やっぱりアトピーは原因がそれぞれだから。
だけども、先日アロマテラピーの本でも立ち読みしようと本屋に行った時、
釘づけになった本があった。
「患者に学んだ成人型アトピー治療」
ぱらぱらとめくってみる。
ちょっと専門書のような雰囲気。
ああ・・・素敵・・・
医者の立場から書かれていて、今までの様々な症例を見て、医者として
色んな観点からアトピーの事が書かれている。
筆者の医師は、反ステロイド派。
ステロイドは必要だという人、無害だという人、副作用に注意しろという人、治癒にはいたらないという人、色んな派閥がある。
それぞれに理由があるので、何が正しいとかは私にはわからないけど、
でも私は反ステロイド派なのです。
あんまりひどくて下着にくっついて毎回はがすのが大変って時に少し使ってしまうけど、
基本的には使わないようにしている。
筆者は、なぜステロイドがダメなのか、ステロイドなくしてどのように改善したらいいのか、
そういうものを症例や実績と共に教えてくれます。
この、「実績」ってのがとてもアトピーには必要だと思うのです。
世にはびこるアトピー商法の数々。
恥ずかしいやつらだね。
こんなくだらないやつらに本当にひっかかってほしくない。
アトピーに「絶対」って事はないと思う。
自分なりの経験、様々な症例、医師の個々に対する的確な診断、
そういうものがアトピーを改善に向かわせるのだと思っています。
なので、アトピーに高い金払う必要はないと考えます。
ネットにのさばる、アトピー治ります!情報料2万円!なんて、そんなのに引っかかっちゃダメ。
この本のように、たくさんの実績から編み出した改善法の数々を
ぜひ参考にしてほしいと思います。

面白いよ。「脳」から考えるアトピーとか、「掻いてもいい」という考え方、
「保湿を止める」という考え方、
目から鱗です。
第10章の、「周囲は掻くなと言わない事」
涙が出るかと思ったよ。

早く最後まで読もう。

2011年5月22日日曜日

坊っちゃん~夏目漱石~

敬愛する茂木健一郎様が好きな夏目漱石を
私は「こころ」しか読んだ事がありませんでした。
これはいかん!あれほどの文豪の作品をたった一つしか読んだ事がないとは。。。
震災で図書館がつぶれ、いまだ復旧しないので本屋に行き購入。
今までの夏目漱石への印象は、
文体がしっかりして生真面目
堅苦しい
こころしか読んだ事がないくせにこんな印象を持っていたのが恥ずかしい。
やってくれました、坊っちゃん。
そんな印象を一瞬にして払拭。
東京の上流家庭に生まれた一人の男が、わけあって愛媛の中学校の教師として赴任してくるお話です。
江戸っ子の彼と愛媛の田舎の先生や生徒との戦いが、とてもほほえましく書かれています。
しかも江戸っ子のせいか、この主人公、大層口が悪い(笑)
教師一人一人にあだなをつけている様などは、まるでいたずらっ子のよう。
東京でお世話してくれた年老いた女中の「清」の存在も本当にいい。
主人公を「坊っちゃん」と呼び、破天荒で問題ばかりおこしている坊っちゃんの事をいつも
「坊っちゃんは裏表がなくていい男だ」と褒めている。
坊ちゃんも、清の事をいつも大切にしているのがわかる。
すごく口が悪くて、年がら年中悪口を言って周りをバカにしている主人公なんだけど、
すごくまっすぐで、実は純粋で、とても魅力的。
読んだ後に、人との絆や、古き良き田舎の日本を感じさせる作品でした。
全く堅苦しくなんかなく、むしろ痛快で、時々声をあげて笑ってしまうほど面白い。
かなりのオススメです。


「こころ」を読んだ時は、内容が内容なだけに、ずーん。。。ときた。
文体もシリアスな感じで書かれている。
同じ作家が書いたとは到底思えないこの違い。
夏目漱石、恐るべし!

2010年9月22日水曜日

涙の理由~重松清と茂木健一郎の対談

小説家、重松清と茂木健一郎の対談
「涙の理由」

涙はなぜ流すのか、
どういう時に流すのか
自分の涙と他人の涙は同じか

論点の一つに、映画のCMによくある「泣ける!」という表現。
泣けるというのは能力、才能、可能性なのであり、「泣いた」と表現しないのはなぜか、と疑問を投げかけている。
みんなが泣くような映画であっても、その涙の理由は様々で、その場面を自分の経験と重ねて泣く人もいれば、ただ単にその場面がかわいそうだからってだけで泣いてしまう人もいる。
普段後者で涙を流す人も、他の映画では前者かもしれない。
涙の種類がその人によってさまざまなのに、なぜ一概に「泣ける」という可能性を押しつけるのだろうか。
そして、そういう映画を見に行く人たちは、わざわざお金を払って涙を流したいから行くのだろうか。目的が「涙」だって事なのだろうか。
「感動した」「悲しい」などと言葉に出せないような涙もある。
二人があげていたのは、西武の清原が、ジャイアンツに勝つ場面。ジャイアンツに行きたかったのに同じチームであり親友の桑田が選ばれ、自分は行く事ができなかった。その清原が、9回守り、2アウトの時に涙を見せた。
スポーツに必死になった経験がある人にはわかると思う。この涙の理由。でも、簡単に言葉には表せない。
2人はいう。色んな事が全て奇跡的にかちっとはまった時にこのような歴史に残るような重い涙が生まれる。
その涙と、映画で主人公がかわいそうっていう涙とは種類が違う。
別にどっちが良くてどっちが悪いって話ではない。ただ、前者は、重い。

私は映画でしょっちゅう泣くのだけど、いわゆるお涙ちょうだいもんには嫌気がさす。そう思わせた時点で駄作じゃないかと思うんだよね。
安易に余命がついた物語ばかり描いたりさ。ね、かわいそうでしょっていう。
生きるってのはそんな浅はかなものじゃないし、余命なんていうものは客を泣かせる為だけに使用するべきではない。それでも必死に生きている姿を描きたい!なんて、バカな理由をつけるけれど、じゃあ、ドキュメントでそれをやった場合と比較してみたらわかる。

きれいごと。

って感じ。

それはさておき、私はジュゼッペ・トルナトーレ監督が好きで、あの人の作る映画の空気感に弱い。
「New Cinema Paradise」で私は数回泣いてしまうのだが、特に、映写機を回すお爺さんが、外にあふれた客の為に映写機を外に向け、向いのビルの壁に映すところに泣く。
映像が綺麗。そして、その民衆とお爺さんの空気感。お爺さんのサービス。そういうものが全て暖かくて、ジーン・・とくる。あれはほんと、いい映画だ。

私の話はいいとして、この本はオススメです。
泣くという行為は他の動物には見られないもの。それはなぜだろうか?という事なども、この本の中で話しあっています。

2010年9月7日火曜日

「死刑でいいです」

少年犯罪の本を読んだ。
題名は「死刑でいいです」
2002年におこった母親殺害事件、2005年の姉妹殺害放火事件、その犯人である山地悠紀夫の詳細が記された本です。
争点となるのは、山地が精神的な疾患があるかどうか。
また、それが人格障害か、先天的なアスペルガー症候群かどうか。
その本は切に訴える。
人格障害であろうとアスペルガー症候群であろうと、それだけで犯罪を犯しているという事ではない。
山地の場合、その生い立ちに非常に問題があり、父親の早世、母親の育児放棄、そこから来る苦しみなどが根本的にあり、犯罪にいたらしめている。
ただ、母親の育児放棄は本当にあったのかどうかは疑問が残るところ。山地は服も買ってもらえずご飯もちゃんと作ってもらえず・・・と言うが、周りからは服もちゃんと母親が用足してきてるのを見ている。
少し被害妄想もあったのだろうか?
好きになった彼女との中を邪魔されそうになったり、新聞配達で貯めた金を母親に勝手に使われたりという事が彼にストレスを与えるが、山地はこうも言っている。
「もし母親が借金で大変だという事を言ってくれたら、自分はそれを助けようと思った」

そして、母親をバットで嬲り殺しにし、少年院に入る。そこでの生活は山地にとっては快適だったようだ。
しかし、退院後、両親もいない山地は路頭に迷う。親戚の人のお世話になるも、その人から悪い道を紹介されてしまう。そこからまた彼の転落人生が始まり、その色々の結果、面識のない若い姉妹を残忍な方法で殺害するに至る。
なぜ二人を殺したのかは未だ疑問が残るところ。多分本人にもわからなかったのではないだろうか。
どういう生い立ちを持とうと、どういう理由があろうと、罪のない人を殺すのは許せる事ではない。

また逮捕され、少年鑑別所に留置される。そこで彼が望んだのは死刑。
おそらく、死にたかったから姉妹を殺したわけではない。死にたくて死にたくてしょうがないという事でもなかったと思う。
「殺した事に反省はしないけれど、自分は生まれてくるべきではかった、存在そのものがあるべきではなかった」
という趣旨の事を手紙に書いている。
彼は幸せにはなりたかったのだとは思う。けれど、どうしてこういう道へ行ってしまうのか、自分はどうしてこういう行動をしてしまうのかが全く理解できていなかったのではないだろうか。
自分で自分を理解できない、これが山地の苦しみ。

数年後、彼は死刑になる。
殺人は絶対にしてはいけないこと。死刑になるのは当然だと思う。
その反面、自分の存在そのものがあるべきではなかったという心情はあまりに悲惨。
この筆者も、どうにかして犯罪をしないですむ方法はなかったのか?という事で苦しんでいる。

難しいね。人の心って。生い立ちが悪いからといっても、立派に生きている人はごまんといる。
私個人の意見としては、生い立ちがどうであろうと生きるのは自分。そこに甘えてはいけないって思う。
でも、生い立ちがその人の性格を曲げてしまうのも確かにある事実。
どうすればよかったのか、その答えは、なかなか出そうにもない。

2010年8月28日土曜日

壬生義士伝

だいぶ昔の年末10時間ドラマで壬生義士伝を見てから新撰組にはまりだした。
中井貴一主演の映画もあるけれど、渡辺謙主演のドラマの方がはるかにできはいい。
あの物語を2時間にまとめようとするのがまず無理がある。
内容は、新撰組の隊士、吉村貫一郎が主人公。盛岡南部藩を脱藩し、盛岡に残してきた家族を養う為に京都で新撰組に入隊する。お金に貪欲なところから周りからは守銭奴と呼ばれバカにされたりもした。腕も非常にたつので、取り調べ役監査という役職に就く。
そこで戊辰戦争がおこり、隊士散り散りになり新撰組含む幕府軍はどんどん追い込まれた。
大阪でここを最後に討ち死にしようとみんなで決心するが、吉村は死にきれず、大阪の蔵屋敷通りに煌煌と光る南部藩の向かい鶴の家紋の入る蔵の前で命乞いをする。
その蔵の責任者である差配役、大野次郎衛門は幼少のころからの友人だったが、脱藩し、しかも新撰組である吉村は切腹を命じられる。
この物語のテーマはいくつかある。
一つは、「家族」そして「友情」
そして、もうひとつは「米」
吉村にとっての米とは、故郷盛岡であり、家族であった。
時代の流れとはいえ、正義だったものがいきなり悪者にとってかわってしまう。
大野次郎衛門もその流れに逆らえず、討幕軍が勝利すると、賊軍として斬首される身となった。
その時に初めて母親へ吐露する感情。大切な無二の友達に切腹をさせてしまった事への憤り。
それを聞いた母親の、
「ようやった、小さい頃は弱虫だったおめさんが、ようやった。母は褒めてやる。」
に泣けた。。。
それを見守っていた使用人の佐助がその事を振り返る。
「いつまでたっても母親には褒めてもらいたいものなんです」

浅田次郎は、ちょっと文章がくさくて首をひねってしまう所もあるけれども、言葉が非常にいい。
生きるってなんだろう、
家族を守るってなんだろう、
日本人にとっての米ってなんだろう。
なんとも言えない郷愁が読後に漂う作品です。

パンもいいけど、日本人なら米を食え!
体にもそれがいいの。
ずっと昔からお米を食べてきた民族なんだから。

2010年8月24日火曜日

The catcher in the rye tranlated by Haruki Murakami

FACEBOOKで知り合ったイタリアの人は非常によく本を読む。
なので、その人とよく小説の話になり、その中でこのThe catcher in the Ryeを勧められた。
日本題名は「ライ麦畑で捕まえて」
こう聞くと一見ロマンチックな恋愛小説に思えるけれど、中身は全然違う。
アメリカの多感な少年の話。ゲーテの若きウエルテルの悩みの現代版(かなりの不良少年版)とでもいおうか。
進学校を退学処分になった主人公のホールデンは、その準備をしながら周りの寮の生徒たちについて色々考える。全てそれは否定的な感情から連なり、暴力的ないけすかない中身がからっぽな友達や、自分の事しか考えていなく、いつでもズカズカと自分の部屋に入ってきてしまう、周りから相手にされていない友達、結構その辺で見られる個性の人たちが数多く出てくる。
また、ホールデンには頭の固い両親と売れっ子作家の兄、自分を一番理解する妹がいる。
その家に退学になったことなど言う事もできず、学校が休みに入るまでプラプラと市街でホテルに泊ったり飲みに行ったりしながら過ごす。
その間も色んな人に出会い、色んな人から影響を受けるホールデン。
ホールデンが出会う人たちは決して特別な人ではなく、私たちが実際出会ったり、出会う可能性のある人たちばかり。
ホールデンを見ていると、その繊細なまでの感情が少し懐かしく思える。普通の人なら気付かない所での苦しみや怒りに、ホールデンはいちいち気づいてしまう。
また、私も繊細ではないけれども共感できる部分もたくさんあり、自分を客観視する事もできる。
若い、少し心もとない感じの気分を味わいたければ、この本はオススメ。
言葉いつものように乱暴だけれども、段々ホールデンの心がすさんで、苦しくなっていくのは少しせつない。
でも最後にはちょっと嬉しくなる事も待っているので、ああ人間っていいなって思える。

2010年7月26日月曜日

After Dark Haruki Murakami

アフターダークを読んだ。
夜の繁華街のファミレスにいる少女が知り合いの男から声をかけられるところから始まる。男は姉の同級生で、少女は少ししか彼の事は覚えていない。話しかけられるのもめんどくさいのだが、断るのもめんどくさいのでそのまま前に座る事を許す。
近所で、ラブホテルで殴打された中国人の売春婦がいるのだが言葉がわからないとのことで、その男の知り合いのラブホテルで働いている女性から通訳を少女は頼まれた。
その一方、ずっと眠り続けている美少女のいる部屋へと話の視点は変わる。部屋にあるテレビの画面からは顔の映っていない男の姿が現れている。それが何をさしているのかはわからない。ただその美少女は昏々と眠り続けている。

ごく普通の少女
殴打された中国人売春婦
殴打した客
眠り続ける美少女
ラブホテルの従業員

この5つのシチュエーションから話は形成されている。
売春婦はなぜ殴打されたのか、殴打した客は普通に会社にまた戻り一人残業をしているその異常性、なぜ美少女は眠り続けているのか、それらの謎を解明するのはたいした意味をなさない。
これはたった一つの夜に始まり夜明けと共に終わった、ごく普通のできごとだからだ。
その夜は、ある人には普通の夜となり、ある人には人生における何かの出発点となる夜であり、またある人には悲劇の夜となる。
夜という一つのくくりの中で、様々な人間がいて、様々な夜があり、人それぞれの「普通」というものがある。
私の普通は他の人の普通なのだろうか?
そういう事を考える作品だと私は思う。

2010年7月9日金曜日

「動物の奇行の理由」

正しいタイトルはこれだったのかどうか、もう図書館に本を返してしまったので覚えてないけれど、動物の奇行の理由を書いた本を読んだ。
ニュージーランドの大学で講師をしたことがり、世界的な賞を受賞している人が書いていた。
その中で覚えているすごい話をいくつか。
空を一番高く飛ぶと言えば鳥でしょー!
と思ったら大間違いらしい。飛ぶ、という自発的な行動でなら鳥だろう。
でもなんと自分の意思でなくして大気圏突破してしまう生き物がいるらしい。
それが蜘蛛。
蜘蛛羽ねーじゃん!と思うけれども、なんと蜘蛛の糸がふわりと宙に舞い、軽いものだから上昇気流などに乗り、更に上へ上へと飛んでいき、大気圏までも突破してしまうことがあるらしい。
Planet dustだか、そんな名前がついているこの現象。すごいなーー。
地球は青かった・・・
なんて、そんなこととーの昔に知ってるわ!っていう生き物が居たとは・・・
そのまま宇宙をさまよってしまう蜘蛛。なんともせつない話しではある。
そして、その地球の青という色。自然界にある色。その色ははたしてみんなそう見えているのか?というところの疑問にもこの本は答えてくれている。
色というのは光の分散とか、屈折とかそういう変化の違いによって識別されるのだが、人間はある屈折を赤ととらえるけれども、他の生き物にとっても同じように見えているかというと、それは違うのだそうだ。
人間の視覚の処理をする所がそれを赤と捉えているだけで、犬などは色盲だというし、とある昆虫は色はあまり判別できないけれども紫外線が見えるというものがいるらしい。
だから、日光の中で彼らが見る色は人間のそれと全く違い、ほとんどが紫外線の色、という事になる。
更に、第3の目を持つ生物がいることがわかっている。
よく、眉間の間に第3の目を持ち、それを活用できると未来が見えたり、遠く離れた場所が見えたりする能力があると人間の場合は言うが、昆虫などは、おでこのところに第3の目を持ち、光を感じるのだそうだ。もちろん目でも感じるのだけれども、オデコでいち早く光を感じ、対処に備えるという事らしい。
蝿がどうしてなかなか人間に捉えられないのかというと、そういう理由があるそうで、人間が手などを動かす時のかすかな光の変化をいち早く第3の目により察知し、さっさと逃げてしまうからである。
そういう面白い話がたくさん載っていた。
ぜひオススメ。

2010年7月3日土曜日

「蹴りたい背中」綿矢りさ

図書館でまた本を借りた。
話題作はやはり読んでおこうと思い、だいぶ昔の本ではあるけど「蹴りたい背中」を読んだ。
綿矢りさがわずか19歳で書いたこの作品。
19歳らしい内容、文体で書かれている。
内容は、クラスで孤立している内気な少女が、とあるモデルを街で見たことがきっかけで、同じようにクラスで浮いている男の子と親しくなるという話。
少女は、この男の子を「痛めつけたい」という愛情を持つようになる。
内容としては、ごく一般的な日々の一こまという感じだけど、文章で読ませている。
一つ一つの比喩が実にうまく、ぴったりの表現でつづられている。
下手にきどった文章でもない。
作者も一番書きなおしたという冒頭の言葉。
「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締め付けるから、せめて周りに聞こえないようにプリントを指で千切る」
美文で名高い平家物語の冒頭を思い起こさせる。
なかなか好きなタイプの文章を書く作家だ。
正直、文章の表現の仕方は、東野圭吾なんかよりずっとうまい。(私が東野圭吾の良さをいまいちわかれないのもあるけれど)

作家には2種類いると私は思っている。
このように、文章で魅せるタイプと、話で魅せるタイプ。
私は前者の方が好きだ。村上春樹も前者だと思う。

私はミステリー小説などを、犯人を先にチェックしてから読みだすという、非常にルール違反な読み方をする。
そうしても全く影響がないのは、文章の綺麗さを感じながら読むからだ。
逆に、内容がどうよかろうと、文章がうまくないものは全然読む気がしない。
そういう意味で、さきほども名前をあげたけれど、東野圭吾は好きではない。
私の周りも、彼を好きな人がいないので、好きな人から是非その良さについて教えてほしい。
みんなはどういう所がよくて彼の本を買っているのか。
別に皮肉でもなんでもなく、純粋にその理由を知りたい。
私が感じ得ない何かを感じている人が多いという事だから。

ちなみに、今は、「動物たちの奇行には理由がある」という本を読んでいる。

2010年6月27日日曜日

「武器よさらば」ヘミングウェイ

最近通い始めた図書館。図書館はいい。買うまでいかない本を読めるし、興味なくてもなんとなく借りて意外にも自分の中でヒットしたりする。
茂木健一郎氏の本もそう。松岡正剛と茂木健一郎の対談本を読んで興味を持った。
それはまたいづれ書くとして、昨日読み終わったヘミングウェイの「武器よさらば」の感想を書こう。
内容は、アメリカからイタリア兵に入った主人公の話。フレディは軍の負傷者を運ぶ役目を担う。なので前線に行き、自分も被弾してしまう。そういうなかでイギリス人の看護師(イギリスとイタリアは一緒にオーストリア、ドイツと戦っていた)と恋に落ちる。被弾した傷で一時はこの看護師キャサリンと素敵な療養生活をミラノで送る事はできたのだけれども、傷も治り、また前線へ出動させられた。
色々あり脱走し、キャサリンを連れてスイスへ亡命する事もできた。
しかし、そこでの生活は楽しいものばかりではなかった。
結局フレディは、生まれるはずだった子供も、キャサリンも失ってしまう。
戦争のさなかで見るさまざまな形の「死」
救護隊として働いてきた時も死は自分の間近にあったフレディだが、死を死とはっきり認識したのはこの時だったと思う。
死体は元々死体だったわけではなく、一つの人生が無残にも終わってしまったという形。
生きようとする兵士、理由なく処刑される兵士、生きようとしたのに撃たれる兵士、よく報道される、
「アフガニスタンで20名死亡」
そういう言葉の重みが想像できた。20名の人生がそこで消滅してしまった。

とはいっても、この作品は非常にラブストーリーな面も多い。
もうわかったよ君らがラブラブなのは!とうんざりしたくなる時もある。
キャサリンもいちいち「ああ、あなたは本当に最高ね」って言いすぎだよ。
これは日本人だから思うのかな?翻訳されたものだからそう思うのかもしれない。
あと、フレディ酒飲みすぎ。黄疸まで出ちゃってるんだから。

この作品はヘミングウェイ自身の戦争の体験をもとに書かれている。残念ながら、ヘミングウェイはアメリカへ帰ったあと看護師にふられてしまうのだけれども。