2013年1月24日木曜日

実名報道

昨日、TBSの報道ステーションで、
アルジェリアのテロの被害者の実名を報道した。
政府と日揮がご遺族の気持ちを汲んで非公開にしていたにもかかわらず。
冒頭で古館さんが、
ご家族の気持ちを汲んで非公開にしていますが、我々もずっと考えた結果
被害者の人生や名誉の為に実名を報道することにした、
という、全く意味の通らない事を説明して、現段階でわかりうる名前を全て公開した。
被害者は人間だから、数名、という数での報道ではなく
名前を出すという報道にする事にした、と。
一見思いやりのように見えて、非常に自己中心的な説明だった。
名誉はマスコミが決める事ではないし、ご遺族がやめてくれというものを
なぜ報道したのか。
ここに思いやりなんて全くないのに、思いやり気取ってるフリに腹が立つ。
案の定、ご遺族には心無いマスコミの取材の電話が鳴り、中には
「今どんな気持ちっすか?」
というものまであったという。
どんな気持ちも何も、そんなもの聞いてどうするんだろう。
ご遺族の中には、この報道に関して抗議文を出された人もいるらしい。
視聴者からもかなりのクレームが入っている。
マスコミより視聴者のが常識のある人間だったっていう事だ。

その反面、この背景に、少なからずも人間の中には、自分が他人事でいられる不幸について
「かわいそうだね」という事に快感を覚える人がいる、という事があると思う。
それは何もマスコミだけではなくて、悲惨な話の記事がのる雑誌が売れたり、
やたらと命が尽きる映画が多い事からもそのような印象を受ける。
本当の不幸を味わう事ができたら、そういうものを見ようと思わなくなるんじゃないかな。

かくいう私も元テレビの番組制作者(報道ではない)だけど、その時の演出家が大事にしていた感覚がある。

普通の感覚を持つ事

テレビのうちわの感覚ではなく、毎日子育てをしている人の感覚、サラリーマンの感覚、余生を楽しまれている人の感覚、その他色々、普通に暮らしている人達の感覚を常に忘れない事が大切だという事を演出家はよく話していた。
テレビという、ある種特殊な世界にいると、どんどん麻痺していく感覚がある。
それがよくわかっていたから、あえてそれを残す為に色々観察したりする努力が必要だった。
私がやっていた番組が面白かったかそうでなかったかというのは棚に上げるけれど、
この本来必要な感覚を忘れている制作者が非常に多くなっているように思う。

今回のこの報道も、そんな感じを受ける。
視聴者が実名を見て、知りたがると、スクープを放送できる!と思ったんだろう。

この抗議の多さを見て、それがずれていたという事を気付いてくれたらいいのだけど。

でも、政府が発表するって言っちゃったね。実名を明かせとの要請がある報道機関からあったという話らしいが。
発表するなら、そのご遺族をマスコミから守ってあげられるセキュリティをつけてあげてほしいと思う。

2 件のコメント:

  1. 空港では、ご遺族が飛行機から降りる場面がテレビに映らないよう配慮することができたのに、
    なぜ(最初は守られていたはずの)実名を伏せるという配慮は破られてしまったのかと、
    私も驚きでした。

    今回の事件、ショックが大き過ぎて私はテレビの報道を直視できなかったんです。
    でも、現実から目をそむけている自分に対しても、
    他人事でいられるから目をそむけるんじゃないかと嫌悪感を感じてしまったんです。

    知ろうとすることにも違和感を感じ、知りたくないということにも違和感を感じ、
    そうやって結局は他人事でいる自分にまた違和感を感じ・・・

    話が逸れてしまいますが、ずっと体調お辛そうですね。
    yattyさんの体調不良の原因のひとつに、
    もしかしたら今回の事件があるのではとふと思ってしまいました。

    被害に遭われた方々の恐怖と苦しみ。
    憎しみの連鎖という悪循環がさらに根深くなりつつあるという絶望感。

    こうしたことを想像しただけで、私もちょっと情緒不安定になりそうでしたので・・・

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  2. 色々悩んでしまうだけ、pocotanさんが’’本当に’’優しいという事だと思います。
    私はこの事件、それほど他人事ではなかったんです。というのも、外国人の友達がこの状況にあっていていてもおかしくなかったからです。
    個人的情報になってしまうのでここには書けませんが、その為少し衝撃が大きかったですし、最初は拉致されたという報道だけでしたが、少しずつ命が奪われていく様が手に取るようにわかってきて、それが辛かったですね。
    ほとんどの事件、他人事である事には変わりはないんです。だからpocotanさんは、他人事だと思う事に罪悪感は感じなくていいと思います。
    ただ時々、その不幸をかわいそうとか言いながら実は楽しんでいるんじゃないかと思える人達もいるんだなと感じて、それが悲しかったですね。

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