2014年5月1日木曜日

博愛と変わった人の境界線

とても長いゴールデンウィークを過ごしております。
なんと9連休。そこにもう少し休みを足してしまおうか・・・とも考えておりますが。

そんな連休、東京と茨城の往復を繰り返しております。
昨日は、インドネシアからきた友達を連れて東京案内。

そこで、不思議な事があったのです。

山手線に乗っていた時の事。私達は立っていたのだけど、彼女の前に座っていた
男性が、何やらカバンの中から出したヤクルトを片手に彼女に何かを話しかけています。
彼女の顔は不思議そう。
yatty、彼は何を言っているの?と言いたげだったので、
「何かありましたか?」と男性に聞くと、
「これ1本余ったから飲むかなと思って」

え!???
それを詳しく説明する時間もないまま、降りる駅にきてしまったので、
あー降りなきゃ降りなきゃと、その場を去りました。

不思議すぎる・・・

そこで思うのですが、博愛と「変わった人」の境界線はどこだろうかと。
彼は本当にただ彼女にそれをあげようとしただけだとは思うけども、
ひょっとしたら彼女が彼のカバンをずっと知らずに見つめてしまっていたのかもしれないけど、
この行動は

博愛か?
変わった人か?

もしこれがインドのように、持っている人は持たない人に渡しなさいという習慣であれば、
これは
博愛。

もしこれがモロッコのように、喫茶店で隣の知らない人にも「これ飲んでみろよ」という習慣をもっている国ならば
友愛。

でもこれが日本ならば、若干変わった人。

ではこれが日本でも路上生活している人に渡していたのであれば、
博愛。

難しいねーー。とても親切な行動でも環境により色々な方向にとられる。
その場がもつ「空気」を読む事が大切なのかもしれないけど、
でも読んでばかりもアホらしい。

私は人見知りなので、いきなり知らない人にヤクルトを勧めるくらいの行動力は、
少しうらやましくもある。

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