2012年5月28日月曜日

幼少期

わが生は、下手な植木師らに
あまりにはやく、手を入れられた悲しさよ!
由来わが血の大方は
頭にのぼり、煮え返り、たぎり泡だつ。

おちつきがなく、あせり心地に、
つねに外界にもとめんとする。
その行ひは愚かで、
その考へは分ち難い。

かくてこのあはれなる木は、
粗硬な樹皮を、空と風とに、
心はたえず、追惜のおもひに沈み、

懶懦らんだにして、とぎれとぎれの仕草をもち、
人にむかつては心弱く、へつらひがちに、かくて
われにもない、愚事のかぎりを仕出来しでかしてしまふ。

中原中也「つみびとの歌」


あまりに早く大人らに「大人」であることを強いられた為に、
いつも心は他人を伺い、その愚行にいらつく自分と葛藤する。
自分であるという事は何か、社会性を持つという事はどういう事か、
あまりに早く「手を入れられた」為に、子供である事ができなくなってしまった悲しさ。
この詩が頭の中にぱっと思いだすような話をこの前聞いたのでした。

誰の家でも大小関わらず問題はあると思うけど、そこから自分がどうなるかは
人によって全く違う。
私の家も色々あったけれど、私は「感情を無くす」事でその場をやりすごしたと思う。
今は普通の家のようになった家族でも、いったん感情を無くしてしまったら、
そこからどうやって戻していくかがとても大変。
それが私の一番の今の課題。
自分の壁を崩すのは本当に難しい。

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