2018年3月4日日曜日

梅の花に人生を見る

偕楽園梅まつり

偕楽園の梅まつりにいきました。
3月3日の時点で、8分咲きくらいかなあ。

ひなまつりでもあるので、雛流し、というものをやっていましたが、
それには参加せず。
雛流し自体を知らないのと、なにかこう、伝統のあるものとは思えずに、
流れにのる事のできないあまのじゃくです。
家族の名前を書いたお雛様を流して家内安全を祈願するという事。
ひな人形にはいろんな役割があるのですね。

ここ2回の観梅は、天候にめぐまれずにいつも寒くて早く帰りたいくらいだったけど
昨日は快晴、気温もぬくぬくしていてよかった。
人もたくさん来ていました。

花っていいよね。ほっこりする。

この色彩感覚。自然のバランスがすごいのか、人間の長年のDNAにそれが美しいと埋め込まれているのか。
いづれにしても、花はきれいです。


八重の小さな梅。

友達に梅の写真を見せたところ、自身が弱っているせいか、これから満開にむかう花に希望をもらえる、と言っていました。
これからもっと咲きますよ、という前向きな気持ちを、花から受けたようです。
むかし、ある樹木医の言葉に感銘をうけたことがあります。
見た目にも弱った桜の木に、木がつぶれそうなほどの花が咲いていた時のこと。

「弱っているのになぜこんなに花が咲くんでしょうか」という問いに、

「木は生きるために花を咲かせるんです。幹が弱っていてもなんとか生きようとするから、たくさんの花を咲かせようとするんです」

健康であれば、標準の量で咲かせるだろう。
でも、弱っていれば、子孫繁栄のために必死に花を咲かせようとする。
それでも本当にだめだとなれば、花を咲かせる力もなく朽ちてゆく。

でも、朽ちていく前に、ぽっと数輪花を咲かせる。

人間と同じだなあ。
本当に弱っている状態に、一度だけなったことがある。それは病気をしていたときなのだけど、弱りすぎて、落ち込んだり弱音を吐くことさえできなかった。
前に、前に、自分を奮い立たせていたほうが気持ちが楽だったんです。
弱っていても希望を持ちたい。

たまにはこういう散策もよいですね。
自然と触れないと精神が不安定になる、という事が最近わかってきているようです。
化繊の服を着て、化学調味料の食事をとって、ビルで仕事をして、界面活性剤で頭を洗う。
昔より豊かになっているのにうつ病が騒がれているのは、もしかすると自然に触れる機会が減ったせいもあるのかもしれません。

たまにはぷらっと、花を見てみる。


偕楽園では、水戸黄門と助さん角さんに扮した人と写真を撮る列ができていましたが、
私はその横にひっそりといた、この方のほうに目がいっていました。


確定申告はお早めに。


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