2014年9月1日月曜日

近況から人生を考える


高萩市の海です。
夏の終わり。人が少ない。

先日、派遣会社に契約終了の旨伝えました。
諸々理由なんかも伝えつつ。
派遣会社から上司にそれが伝えられ、上司も、私の意見というか改善のお願いを実現させることは厳しく、私の希望に従うという事だったので、契約終了ということでお願いしますとなりました。
その後、引き継ぎなどがあるので、引き継ぎで迷惑をかけたくはないのもあり、
期間については派遣先に従いますと伝えていて早や数日。
うーーーーん、連絡が来ない。。。
まあいいか。

契約終了するのはいいけど、次どうなるんだろう?って思ってたら、数件、次の仕事について、派遣会社から紹介があったり、他の部署からお誘いがあったり、色々とそんな話をいただいております。

ううう。ありがてぇ・・・
これもひとえに、私の能力・・いや、嘘ですwww
皆さまの、yattyをニートにしちゃかわいそうだっていう温かいお心のお陰でございます。

そこで、思うのです。
数年前、病気がようやくひと段落して、さあ働き始めようとした時の事。
あの時は預金が病院や薬に消え、税金に消え、底をついていたところでした。
もう、なんでもいい、働けるなら、通えるところがあるなら、それだけでいい、
そう思って面接行ったり、派遣会社に登録したりしていたところ、今の派遣会社が、
登録したその日に仕事を紹介してくださり、次の日に会社訪問、その日の夕方にOKをいただけたという、とてつもない幸運を与えていただきました。
退院後の初めての給料を頂いた時は、とてもうれしかったのを覚えています。
今まで当たり前のように自販機でジュースを買い、病気する前は日本の平均年収を若干上回る収入があった私なので、高いものでもそれほどためらわずに買う事ができた生活。
そこから一転した貧乏時代。
とにかく、少しでも給料がもらえる生活がしたいと思っておりました。

もしそういう生活ができた時には、前から入ろうと思っていたNGOのWorld Visionの、発展途上国の支援を始めよう、と、少し願掛けのように思っておりました。

給料をいただくようになって、World Visionにも入って、ルワンダのキラムルジ地区の支援の為にお金を毎月送る日々。
地区の子供からもらった手紙は、鉛筆を初めて持った子供がようやくかけた、○と△。
あの頃から月日がたち、今届く手紙には、その子供が通う学校の絵が描かれています。

普通に給料がもらえるようになった今、次の仕事を選ぶ時に、自分がやりたいと思えるものにしたい、という、第2段階とも思える考え方になっています。
多分、人生、そういうものなんだと思う。
少しずつ少しずつ段階を経て、そうやって考え方や見方を変えたり、または変えなくても経験により裏打ちされた強いものになったり、そういって進んでいくものなんだと思う。

病気も一つの段階。それを乗り越える事に意味があって、
貧乏も一つの段階。それを克服する時にまた意味がある。

だから次に、自分が何を選択するか、それがまた繋がって一つの段階となって、その先に繋がっていくものなんでしょう。




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