2010年8月31日火曜日

退院後の生活

やっと退院だーという時に、先生から、
「もうあと再発しても手術はこれ以上できないですから、薬で様子見るしかないですね。あとは1年膀胱鏡で検査し続けて終わりですよ」
手術できないってのは私には嬉しい。
でも・・・1年膀胱鏡って、そんな・・・さすが先生に宿命なんだからあきらめろと言われただけの事はある。ここまで続くんすね。。。
とりあえずめでたく退院した。看護師さんにお礼を言って、母親の車へ向かう。久しぶりの病院の外だーーー!4月だったので桜もちらほら咲き始めていた。そこで気づく。
あ・・・私速く歩けない・・・
院内では気付かなかったけど、外を歩くと気付く。車に乗ってても、ちょっとした段差で、いて・・・いててて・・・となる。
でも、外っていい!
手術の傷の周りが傷を治そうと神経過敏になるそうで、傷よりも周り一面がヒリヒリして痛い。なので、もちろんGパンは履けないので、ゆるゆるのスエットを数日後に買いに行った。
そう、そこから私のワンピース作りが始まるのである。ワンピースなら体を締め付ける事無く着られるからね。
転んでもただでは起き上がらないぜ。昔仕事で謝罪に行った先の人にも言われたさ。
「謝りに来るのはあなた仕事だから、私が行くのはしょうがないって思ってるとしたら、その若さでそう悟るのはまだまだ早いよ。転んでも必ず何か拾って立ち上がったらいい。だからあなたせっかくこんな遠くまで来たのだから、色々体験させてあげるよ」
といって、海につれてってくれたり、そこの施設の貴重な体験とか、またそれを写真で撮影してくれた。
おじさん!ありがとう!とても素敵な経験になりました!
その精神にのっとり、この病気も退院する頃には、とてもいい勉強の材料となりました。
そして、7月の術後初の内視鏡検査で、なんと!なんと奇跡の事が!
いつものように内視鏡が入る感じのいやーな感覚に耐えていると、あの怖い、冷たい、でも、いい先生が声をあげている。
「え!!!見てください、とても綺麗ですよ」
でも、私は苦しいので、ああそうですかというと、
「いや、こっちを見てください!こんなに綺麗ですよ!!!」
そこには、切り取られた所はあるものの、白い、血管の浮き出た美しい膀胱の中が映し出されていた。
私は美膀胱を手に入れたのである。
先生もびっくりの綺麗さと回復ぶりだったので、イエーイ!その後の経過観察無しとなりました!
半年後に来ますか?と言われたけど、これ以上膀胱鏡やりたくねーっす。症状が出てきたら行きますという事にした。
帰りの車の中で大泣きしました。血尿でたって、いくら心配したって、体は懸命に治ろうとしてくれる。
なんてけなげなんだろうって。信じてあげられなくてごめんな。そして、こんなに切られるような事にしてしまってごめん。
目の前がぱーっと明るくなった。今まで、手術までの日々も苦しかったし、再発するかもと思ってた日々も、色んなかせを自分の生活にはめていたのでそういう事も苦しかったし。でもそれがなくなって、ぱーっと、あーなんでもできるって幸せだ!って思いました。
ま、今もなぜか時期によって血が出る事はあるんだけど、もういいや。それが私の体なんだろう。
退院後から、まだ体力は完全には戻ってないけれど、退院直後のあのすごい体力の無さから比べれば普通の健康な人の範囲内(あの当時は周りからガリガリになったと言われたし)。今までがスタミナあり過ぎたんだ。

2010年8月30日月曜日

面接

今日面接に行ってきた。
やっぱり仕事の話ってのは聞かないとわからないものだ。
ずっとデスクワークだとは思ってなかったけど、こんなに肉体労働だとも思ってなく。
肉体労働は嫌いではないからいいけど、術後の体をまだそこまで酷使したことないから自信はない。
でも、受かったらやってみようかなあ。
そこまで肉体労働ならおそらく男性を採用するかと思われる。
期間限定のものだし。
2~3日後に結果が通知されるから、受かるならやってみよう。

男女雇用均等法とか、そういう色々な事で、求人の紙っていうのはあまりあてにならない事になっている。
実際男性がほしい、女性がほしいって書けないもんだから、性別不問だけど、ふたをあけてみたらどっちかしか最初っからいらないとか、年齢も何歳までって書くとハローワークの場合詳細なスキルなどの条件をつけられなくなるとかで、不問にしとくけれど、実際20代しかいらないとか。
そういうの、書いていい事にしませんか?
履歴書書くのも体力いるし、面接するならやっぱり受かりたいって思うし。
それを今更性別とか年齢とかで落とされたくないしねえ。
表面上の均等ならいらないと思います。

そこから、子供への配慮の問題なども考えてしまいました。
幼稚園では今主人公は何人も出てくるらしい。
もも太郎が数人出てきて鬼を退治するっていう。
一人に絞ると他の子供との差別が出るからだそうで。。。
こだわる所が違う・・・と思います。
そんな表面上の事で対処をするからわけわからない事になるんだよなあ。
運動会のかけっこに順番をつけないとか、
だったらオリンピックへの参加もやめちゃえばいいのに。
そんな事で文句を言うモンスターペアレンツなるものがいるから
そうなってしまうのだろうか。
でも、そんな人たちにちゃんと反論できないのも何とも情けない。

最近、少年犯罪の本を読んだものだから、子供の育て方って
難しいとは思ったけれども、これはあきらかにナンセンス。

みんなどこかに被害者意識を持ちながら生活しているのかなあ。

この面接がダメだったら、派遣にでも入ってみようかな。

2010年8月28日土曜日

壬生義士伝

だいぶ昔の年末10時間ドラマで壬生義士伝を見てから新撰組にはまりだした。
中井貴一主演の映画もあるけれど、渡辺謙主演のドラマの方がはるかにできはいい。
あの物語を2時間にまとめようとするのがまず無理がある。
内容は、新撰組の隊士、吉村貫一郎が主人公。盛岡南部藩を脱藩し、盛岡に残してきた家族を養う為に京都で新撰組に入隊する。お金に貪欲なところから周りからは守銭奴と呼ばれバカにされたりもした。腕も非常にたつので、取り調べ役監査という役職に就く。
そこで戊辰戦争がおこり、隊士散り散りになり新撰組含む幕府軍はどんどん追い込まれた。
大阪でここを最後に討ち死にしようとみんなで決心するが、吉村は死にきれず、大阪の蔵屋敷通りに煌煌と光る南部藩の向かい鶴の家紋の入る蔵の前で命乞いをする。
その蔵の責任者である差配役、大野次郎衛門は幼少のころからの友人だったが、脱藩し、しかも新撰組である吉村は切腹を命じられる。
この物語のテーマはいくつかある。
一つは、「家族」そして「友情」
そして、もうひとつは「米」
吉村にとっての米とは、故郷盛岡であり、家族であった。
時代の流れとはいえ、正義だったものがいきなり悪者にとってかわってしまう。
大野次郎衛門もその流れに逆らえず、討幕軍が勝利すると、賊軍として斬首される身となった。
その時に初めて母親へ吐露する感情。大切な無二の友達に切腹をさせてしまった事への憤り。
それを聞いた母親の、
「ようやった、小さい頃は弱虫だったおめさんが、ようやった。母は褒めてやる。」
に泣けた。。。
それを見守っていた使用人の佐助がその事を振り返る。
「いつまでたっても母親には褒めてもらいたいものなんです」

浅田次郎は、ちょっと文章がくさくて首をひねってしまう所もあるけれども、言葉が非常にいい。
生きるってなんだろう、
家族を守るってなんだろう、
日本人にとっての米ってなんだろう。
なんとも言えない郷愁が読後に漂う作品です。

パンもいいけど、日本人なら米を食え!
体にもそれがいいの。
ずっと昔からお米を食べてきた民族なんだから。

霊感

数日前、母がいきなり自分は霊感があると言いだした。
なんていうカミングアウトだ・・・今更。
ある冬の日、障子の向こうを男の人の影が歩いていたそうだ。
何かと思って見ても誰もいない。
そして、今年の初めに入院中だった父親の友達が亡くなった。
その事を知らずに母が、
「今日、あそこの道でを車で走っててさあ、道を譲ろうと思って手前で待ってたら、来た車が○○さんのだったんだ。車もそうだし、中にも乗っててね。でも入院中だよね?人違いにしては車も顔もそうだったんだけど」
と言ったところに父親が帰ってきて、
「○○さん、亡くなったって。」
ときたもんだからびっくりだ。
そして、カミングアウトするきっかけとなったできごとがこれ。
数日前、近所の車の解体場に置いてあった車に人が乗っていたのだそうだ。
なんだおかしいなと思って見てもまだ乗っている。
そして、一瞬他の方を見た隙に消えてしまったらしい。
「あれは事故車じゃないのかなあ?」
と言っている。
信じるか信じないかはあなた次第(笑)
でも、家で見たとか、ほんとやめてほしい。
いないと信じているんだから。

2010年8月27日金曜日

ニュージーランド一人旅行Welington to Taupo

Welingtonを昼に出発。日本で言う高速バスに乗ってTaupoへ。
ニュージーランドには高速道路はないんです。だから高速バスとは言えないんだけど、
電車もほとんど走ってないから、こういうバスに乗って長距離は移動します。
日本の高速バスと違うのは、ちょいちょい道の駅みたいなところで休憩をするということ。

今回は道沿いにあるかわいい喫茶店で45分の休憩。


喫茶店の横は牧場になっていた。アルパカとか羊を横目に見ながら紅茶を飲む。
こっちでは、ちょっと田舎に行くとこういう喫茶店と牧場が一緒になっているのを見かける。
だからといって、別に牧場で得られた何かでスイーツ出したりなどは皆無。

なんで!?

WelingtonからTaupoは北島の半分近くを縦断するので、結構時間がかかる。
途中、行きたかったトンガリロ国立公園を通過(涙)

なんやらこの写真ではよくわかりませんが、バス高速で走行中なのであしからず。
大自然の草原です。
この奥に火山があるんだけど、そこまでは見えず。
フロンティア!!!っていう雰囲気が漂っていました。
(多分、私が思い描くフロンティアは、銀河鉄道999のヘビーメルダーの星の風景とか、やはり松本零二の漫画のガンフロンティアの影響が強い。ので、荒野だと思ってください)
そんなこんなで途中ニュージーランド屈指の温泉観光地、Rotoruaを通過し、Taupo到着。
ここではモーターホテル、略してモーテルに泊る。
モーテルはいいですよ。キッチンついたビジネスより広めの部屋のホテルです。
街中まで歩いて15分。夕飯を求めに行き、タイ料理屋に入る。
「お!日本人?これがオススメだよっ!」
とお客に言われ、人見知りなので、
「あ。。。ありがとう。。」と言って会話を終わらせた。
買ったのは確かご飯とタイ風焼きそばだったかな?
さあ!明日は念願のジェットボートだ!
Taupoでは2泊します。

2010年8月26日木曜日

ニュージーランド一人旅行Nelson to Welington

ネルソンの友達の泊まっているsurf hostelまでタクシーに来てもらい、朝6時50分に出発。
友人3人に見送られながら、一人北島へ向かう為にフェリーのあるpicton行きのバス停へ。
1時間半位でpictonに到着。ここには前に一度来た事あるけれど、小さなかわいい港町。



フェリーターミナルでチェックインをすまし、そこから歩いて5分位の商店街でお茶をした。
ああ。。。一人で旅してるわあ。。。と実感。

そして時間になり、フェリーへ。

pictonからwelingtonまで3時間位?のフェリーの旅。



思ったよりもフェリーが大きく、中にはバーやらレストランやらの施設がある。

レストランで軽く食べて、屋上にあがりそこからずっと海を見ていた。

するとアナウンスで


「外にイルカが泳いでいますよ」


なに!!!ここでもイルカに遭遇できるとは!
見ると確かにイルカが5頭ほど船の近くを泳いでいる。


サヨナラ!イルカよ!!ありがとう南島!!!


ゆっくりゆっくりした速さで船はwelingtonへ。


残念ながらwelingtonは雨だった。タクシーでホテルへ。


ここには一泊しかする予定はない。首都だってのにね。

夜は近所の中華料理屋でチャーハンらしきものを持ち帰りにしてホテルで食べた。


友人は前にここを非常に気にいったと言っていたので、次の日も雨だったけど街を散策。
南島の街の雰囲気とは全然違う。小さい街ながらもそこそこ高いビルが並ぶ。
南島の街は、低い建物が多い。ほとんどが1階か2階だてじゃないだろうか。


商店街をずっと歩いていても、さして面白いものは見つからない。


政治的な建物あたりはいいよと、前に友人から言われたけれども、

うーん。。。別になんて事ないかなあ?
もっと長く滞在したらまた違うのだろうな。

街の規模はクライストチャーチよりもだいぶ小さい。山があるからだろうか?
山に追われた小さな港町っていうイメージ。

首都だけど。

welingtonを昼のバスで出て、Taupoへ出発!
ほんとは途中にある噴火口とかが見られるトンガリロ国立公園に行きたかったけど、
時期が悪いみたいで、交通手段無し。
なのであきらめました。
レンタカーでいけばいいんだけどね。
一人で登山ってのもちょっと心配だしってことで。

Taupoでは念願のフカ滝ジェットボートに乗る、

2010年8月24日火曜日

The catcher in the rye tranlated by Haruki Murakami

FACEBOOKで知り合ったイタリアの人は非常によく本を読む。
なので、その人とよく小説の話になり、その中でこのThe catcher in the Ryeを勧められた。
日本題名は「ライ麦畑で捕まえて」
こう聞くと一見ロマンチックな恋愛小説に思えるけれど、中身は全然違う。
アメリカの多感な少年の話。ゲーテの若きウエルテルの悩みの現代版(かなりの不良少年版)とでもいおうか。
進学校を退学処分になった主人公のホールデンは、その準備をしながら周りの寮の生徒たちについて色々考える。全てそれは否定的な感情から連なり、暴力的ないけすかない中身がからっぽな友達や、自分の事しか考えていなく、いつでもズカズカと自分の部屋に入ってきてしまう、周りから相手にされていない友達、結構その辺で見られる個性の人たちが数多く出てくる。
また、ホールデンには頭の固い両親と売れっ子作家の兄、自分を一番理解する妹がいる。
その家に退学になったことなど言う事もできず、学校が休みに入るまでプラプラと市街でホテルに泊ったり飲みに行ったりしながら過ごす。
その間も色んな人に出会い、色んな人から影響を受けるホールデン。
ホールデンが出会う人たちは決して特別な人ではなく、私たちが実際出会ったり、出会う可能性のある人たちばかり。
ホールデンを見ていると、その繊細なまでの感情が少し懐かしく思える。普通の人なら気付かない所での苦しみや怒りに、ホールデンはいちいち気づいてしまう。
また、私も繊細ではないけれども共感できる部分もたくさんあり、自分を客観視する事もできる。
若い、少し心もとない感じの気分を味わいたければ、この本はオススメ。
言葉いつものように乱暴だけれども、段々ホールデンの心がすさんで、苦しくなっていくのは少しせつない。
でも最後にはちょっと嬉しくなる事も待っているので、ああ人間っていいなって思える。

2010年8月19日木曜日

この涼しい時にかく思えり。

先日マザーテレサの本を読んでしまってから、どうも影響されてしまったようで、日本のホームレスがどうしたら幸せになるかを考えていた。
マザーテレサは言う。
「日本はインドを救うのではなく、身近にいる社会から離れた孤独な人たち(ホームレス)を助ける事を先にしてください」
マザーは、一番悲しい事は病や貧困で死ぬ事ではなく、その死が誰にも看取られずに孤独のままにやってくるという事を言っている。
この現在プー太郎の私が、人の事は言えないに関わらず考えてみた。
福祉施設に入って、優しい人たちがホームレスの雇用の為に一生懸命に動いたり、公園で配給したり・・・というのは既に頑張ってくれている事。
では他に何があるか?
雇用されるのではなく、自分たちで何かを作り出す事はできないだろうか?
時間は限りなくある。しかもホームレスをしている経験から節約術に関してはプロの域だろう。
例えば公園にいながらしてできること。(もちろんちゃんと施設に入れるならそれに越したことはない)
うーん。。。私の貧しい脳では内職しか思いつかない。
それでは、みんなが明るくなるような事はできないだろうか。
何かアートのような活動とか、芸術方面にいくとか。
映画を撮ってもいいかもしれない。
ホームレスが主人公の内容。公園で毎日見る光景をドラマにするとか、
何かのきっかけで成功を掴むでもいいし。
まあ、でもそもそもホームレスの人は人前に顔をさらすのは嫌なのかもしれない。
でももし、そこを乗り切って、またやる気を取り戻すきっかけになってくれたら嬉しいだろうなあ。
ちょっととっぴすぎるかな?

なんて事を今日考えていたのでした。

ヨーグルト禁止令

私はチーズが食べられないわりにヨーグルトが大好き。
似てるじゃん!とチーズが食べられる人は言うけれど、
嫌いな人からすれば全然違う。
最近ヨーグルトとアイスを一日1個ずつ食べていたら
体にアレルギーが出た。というかアトピーがひどくなった。
なので、どっちかを減らす為に悩んでいると、友達が
ヨーグルトを凍らせて食べればいいんだよというナイスなアドバイスをくれた。
やってみるとかなーりうまいので、1日2個それを食べていた。

ら・・・

アレルギーが出た。
やっぱりな。控えめに食べなければいけないのに2個も食べるからだ。

私は乳製品アレルギーではない。
でも体に合うもの合わないものがあって、それを多めに食べるとやはり出てしまう。
食べる事を想像するだけで、体の奥からむわーっと、
体の表面に向かって何か悪いものが現れるといった感覚がおこる。

ヨーグルト好きなのになあ。。。
どうしてこの欲求を解消するべきか。。。

2010年8月17日火曜日

ネットの翻訳機能

「ほんやくきのう」と打ったら「本厄昨日」と出てきた。
念のため、私の本厄は昨日ではありません。

FACEBOOKで知り合ったインドネシアの友達が、
ネットの翻訳機能を使用して日本語でメッセージをしてきた。

下記がそれ。

「あなたは時々私は劣等感より洞察力と私よりも経験がある。私は日本のモスクされた場合を知りたいと思ったか?あなたは神道について教えてください」

これは、私が、今までイスラム教の友達を持ったことがなかったから、あなたと知り合って、色々聞く事ができてとても興味がもてた。ありがとう、と送った返事です。

私はよく英語の意味が分からなかった時、ネットの翻訳機能を使う。
あまりないけれども、文章で打ってそれを翻訳されたものを使用する時もたまにある。
でもそれがこんな文章だとしたら・・・・・

よく電子辞書はクレイジーだという事を聞く。
紙の辞書よりも、かなり違った解釈の単語の意味がのっていたりする事が多いらしい。
そして、紙の辞書の方が単語は覚えるともいうので、
私は留学していた時はどんなにみんなが電子辞書を使用しようと、
紙で通した。
あんなに生徒がいたのに、それを使用していたのは私だけだった。

このインドネシアの友達は全く日本語がわからないけど、
私が日本人だからこうして日本語で送ろうとしてくれるその気持ちは嬉しい。
だからなんとかしてこの意味を解き明かしたい。

2010年8月15日日曜日

にんにく

にんにく食べたい、にんにく食べたい、にんにく食べたい
どういう料理でもいいからにんにく食べたい。
あーーー!!!と思い始めてもう8時間。
寝る前なのに、まだそれが持続して
あーーーにんにく食べたい!!!
と心が騒いでいる。

昔中島らもが、日本のにんにくについて、
どうしてそんなにぷっくりしちゃってるんだい!
と愛情込めて書いていたけれど、
海外に行くとそれがわかる。
海外のにんにく、ほっせーーーー!!!
んで、それに慣れて帰国すると、
日本のにんにく、かわいい♪
これは日本のにんにく農家さんの愛情の賜物。
ああ、なんてかわいいんだろう。。。

それにしてもにんにく食べたい。

関係ないけど、今日タイカレーが食べたくなりスーパーに
レトルトのものを買いに行ったら、なかった。
2軒ハシゴしたけど、
なかった。
しょうがないので、インドのバターチキンカレーのレトルトを買って帰った。
それのがレアじゃないか!?

2010年8月13日金曜日

面接対策講習

今日は、初めて面接対策講習なるものに行ってきた。
新入社員試験なるものにいったことがないので、そういう講習を受ける事も全くなかった。
なので、自分の面接が自己流なのか、それともちゃんとできているかどうかを見極めるために必要だと思い、申し込んでみた。
30人入る会場に、なんと3人。
この不景気時に3人!!!!!なぜだ!やはりお盆だからか?
でも無職にはお盆も何もないけれど?っていうかだからか!
まあいい、少ない方がいい。
自己アピールする内容の決め方とか、職の選び方とかそういうのもざっと教えてもらった後、面接のマナーをビデオで見た。
これがなかなか面白い。しゃべっている講師の人が、ほんとえどはるみそっくりで、マナー講師ってみんなこういう話し方になるのかなあ?と思いつつ見ていた。
ドアを開けて入る所から、最後ドアを閉めて出るまで。
結構私のやりかたに間違いがあった。
あーーーーだからかなあ?
それを発見できただけでも良かったてなもんだ。
そして家に帰ると郵便が一通。
会社名を見て、
・・・・あ、落ちた。。。
とわかる。
くーっ!ま、しょうがないか。職務経歴書タイピングミスしちゃってたしな。(あとから発覚)
でももっと早く結果出してくれればよかったのに!
書類出してから1か月かかってるし・・・
まあいいや。次いこ次ーー!

2010年8月10日火曜日

夏なので怪奇な話を

私が東京の中野で一人暮らししていたとあるマンション。
最上階(4階)で角部屋。
2方向に窓があり、実際の面積よりも広めに見える。
ワンルームで面積は25平方メートル。
家賃その当時で85000円。
約2年住んでいて友達も何人も泊りにきている。
ある時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
のぞき窓を見ても誰もいない。
なんだと思ってその時は気のせいだという事にした。
その後、数日経ったあと、夜寝ているといきなり水道が出だした。
めんどくせーなーと思いつつ、起きて蛇口を閉めた。
そこから30分後、今度はいきなりトイレがじゃーっと
流れ始めた。誰かが用を足したみたいに。
それも見に行ったけど何もなかった。
特に怖いという事も思わずそのまま寝た。
ある日には、夜3時にいきなり留守電がセットされるという事もあった。
寝ていると
「ただいま、留守にしております。ご用件の方は発信音の後にメッセージを入れてください。ピー」
留守電にしていないにも関わらず、もちろんどっかからかかってきたわけでもなく、留守電がセットされた。
その時は少しだけ怖かった。
その当時働いていた会社のボーリング大会でもらった景品のかっこうの鳥の置物があるのだけど、触ったり振ったりするとカッコーとなくそのカッコーが、夜中2時半にひとりでに鳴いた時もあった。
その時も別に怖くはなかった。
私が怖かったのは、そこで見たある夢である。
オウム真理教の幹部が刺された時、まだ亡くなっているかどうかもわからなく、刺されたという報道だけだったにもかかわらず、寝ているとすごく低い声で、
「村井は死んだよ。お前のおじいさんも死んだだろ?」
と聞こえてきた。
それが夜中2時半。そして、朝ニュースを見て村井幹部が亡くなったのも2時半。
おじいさんは半年前位に亡くなっているけど、それは何も関係はない。
あまりの恐さにはね起きたけどまだその声は覚えている。
ある時、友達が寝ている私を写真に撮った。
現像してびっくり。
寝ている私の向こうにある消えているテレビの画面に、男の人の青い顔がはっきり映っている。
現像したのがその家を引っ越した後だったので、
「お前かーーーー!!!」
と怖さよりも腹立つ思いだった。

霊的なものではなく、そこではちょっと嫌な経験もあった。
ある新聞の勧誘が来て、断ってドアを閉めようとすると、そこに足をはさみこみドアを閉められないようにされた。
腹がたって何すんだよという顔でにらんでも
「ほんと、お願いしますよー」
というだけ。ドアを閉めさせてもくれない。力ずくで足と手を使ってドアを何とか更に開こうとする。
もう、あんな勧誘やめてください。
あれから本当に嫌で嫌で、新聞の勧誘はドアはあけないようにしている。

2010年8月6日金曜日

荒川良々

辛くてやりたくない事に出会った時

例えば私だったら内視鏡検査をする時

またそれにおびえているめんどくさい期間

人見知りが激しいのに面接に行かなければいけない時

そこで自己アピールしてくださいと言われた時

もうどうにもこうにも嫌でしょうがなくて、

ナーバスになってる時に

もし、黄色の服着た荒川良々が

ふとみた遠くの窓越しの所で

親指を立てて「大丈夫さ!」という顔をしていてくれたら

なんか乗り越えられそうな気がする。

・・・ああ、私大丈夫だ。まだいける!・・・

多分そう思える。



まあ、カロリーメイトはあまり買う機会はありませんが。

2010年8月5日木曜日

ニュージーランド一人旅行Christchurch to Nelson

いきなりまたニュージーランド旅行の事を。

友達とのOamaru旅行から帰ってきてクライストチャーチのユースホステルで一泊。そして次の日から帰国するまで一人での旅行が始まる。

クライストチャーチを朝7時に出る高速バスでまずは前にも旅行記で書いたBlenheimへ。まだ薄暗い中ユースを出て歩いていると、渡ろうとしている横断歩道の向こう側に知っている顔が。

あー、これは私が妹のようにかわいがっているラブリーAちゃんじゃないか!そのAちゃんがまた更にラブリーな事を言う。

「来ちゃった♪」

もうなんてかわいいんだろう。まだバスも走ってないのに、30分かかる道のりを歩いて高速バスのバス停まで来てくれたのだ。それで少しだけ話して、私はバスに乗り出発。

座席から窓を通してAちゃんを見る。手を振ってくれている。

二度と会えないわけじゃないけど涙が出そうだ。かくして私の旅は始まった。

過ぎて行く外の景色を見ながら、約5カ月暮らしたクライストチャーチの生活を思い出す。

色々な所に行ったなあ。

色んな人と知り合ったなあ。

色んな国の人と話したなあ。

羊いっぱいいたなあ。

アルパカもいっぱいいたなあ。

ペンギンもアザラシもイルカも海岸で見られたなあ。

そんな中Aちゃんからメールが来る。

「もう泣きそうでした」

あー。。。嬉しいじゃないか。私も泣きそうだったよ。Aちゃん、毎日毎日何かに悩んでいる人だけど、ちゃんと一生懸命に前に進んでいける子だったなあ。残りのニュージーランド生活楽しんで無事に帰ってこいよ!

最初休憩で停車したのはこれまた前にも旅行記で書いたKaikoura。クジラの町です。でもそれ以上にイルカが見られる小さな港町です。

一人で喫茶店に入り、サンドイッチと紅茶を頼んだ。休憩時間は45分。ぼーーーっと外を見ながら過ごす。

そしてまた出発。
今度はそのままBlenheimへ。
その途中にピンクレイクという塩田の池がある。真っピンクの真四角の池がいくつか小高い場所にあるのはちょっと異様。
長い道のりブレナムまで約3時間。段々ブドウ畑が広がってくる。
ワイン工場も増えてくる。
ブレナムに着き、Nelson行きのバスに乗り換える。その時間1時間。
街まで行くにはちょっと遠いし、スーツケースもあるので、バス停でただ待つ事にした。
そしてネルソン行きのバスに乗り換えて出発。
今度は今までと違って山道だ。ずーっとずーっと延々山道を行く事2時間。Nelson到着!!!
そこではその日泊るホステルの人が迎えに来てくれていた。
友達がワーホリでここネルソンのリンゴ工場で働いており、そこで働く人のほとんどはそのホステルで共同生活しているとの事だった。
なので、その友達を訪ねて私も便乗してその部屋に泊らせてもらう予定。
ホステルの人はとても親切。
高速バスのバス停からずっと海沿いを10分ほど車でいったところにそのSurf hostelはある。
綺麗とは言い難いところだけれど、みんな仲良く暮らしている。
そこで、友達が仕事終わるまでの間待っていた。
正直いうと、ネルソンはアートの町だとかいうけれど、アートっぽさはあまり見かけられない。
朝市に行った事があるけれど、その際にちょっとステンドグラスで作ったものを売っていたり絵を売っていありする程度。私はまだちゃんと楽しめていないのかもしれない。
とりあえずそのネルソンで2泊。

2010年8月4日水曜日

Excel

今日パソコン教室に行った。
ほんと、びっくりする。
私今までどれだけのエクセルの機能を使用していなかったのか!!!
なんだー便利じゃないか!
何事も勉強はしてみるもんだ!

昨日無料体験だったんだけど、学校自体はいいんだけど、
そこはDVD見ながら自習するような形の所で、
それも別に問題ないんだけど、
ただ・・・
ただね、
DVDに出てくるその講師が・・・
生理的に無理。
それを理由に他にいくのはちょっとわがままだなと思って、
そこに入ったけど、
今日改めて思った。
・・・画面見るのが辛い・・・
いや、見られる事は見られる。けれど、なんかこう、もう少し普通の当たり障りのない感じの人が良かったなー、勉強に励めるなーと思った。
慣れるかな。
その講師も一生懸命にやっているし(DVD上は)。
人を外見や話し方で判断してはいけない!
少なくともこの人は私よりも数百倍パソコンを熟知しているのだから!
尊敬に値するのだぞ!!!

・・・早く慣れよう。頑張ろう・・・

2010年8月2日月曜日

就職(バイトも含む)活動

のらーりくらりと職を探している。
なんだかんだで、やっぱ働くのならパソコンのスキルがないと
なかなか難しいと判明。
そりゃワードはできますよ?でもエクセルの関数まではできんとです。
足し算のSUMどまりなのです。
別に事務やりたいってわけではないんだけど、こういうスキル持ってたら働く分野も広がるかなあと思って、パソコン教室に通おうかと思っている。
英会話は通った事あるけど、パソコンは初めて。
調べてみると英会話学校より受講料は安い。なんか得した気分。
やりたい事決まってない時はスキルを上げる努力をするしかない。
だから、受講料を稼ぐ為に短期バイトも視野に入れて探してみよーーーっと。

2010年8月1日日曜日

入院記録⑨~祝退院!!~

そう!いよいよ退院間近!
ああ、東京からわざわざお見舞いに来ていただいたたくさんの友よ!
メールで励ましの言葉をくれたともよ!
既に退職したところの仕事の依頼(知り合いに協力してくれるかどうかあたってくれという内容)のメールを入院しているの知ってるくせにくれた昔の先輩よ!(結局、無理ですと返答したけれど)
皆さま帰ってまいります!
どうもありがとう!
最後の尿の管を抜いて終わりっていう。
素敵だ。この管が私の行動範囲を狭めていたので(っていっても病院内だけだけど)なくなったら羽が生えるのではないかと思った。
当日の回診で、先生が病室の前で看護師さんに尋ねている。
「ここの人の状況は?」
「○○さん、あさって退院です。○○さん、検査はこう出てます。」
「うん」
「Yattyさん、本日管を抜きます」
「わかってるよ(冷)」
ああ。。。相変わらず怖い先生。もちろん回診の言葉も、
「今日抜きますからね。何か異常ないですよね」
あっても言ってくんな的な雰囲気を120%出しながら質問してきた。
この先生、とってもいい先生でとっても感謝しているけれど、冷たい雰囲気が常に流れている。患者のおじいさんも、
「○○先生の回診は速いんだぁ」
と言いながら歩いていた。1室(4人)1分かかってないんじゃないだろうか。
まあ、それはおいといて、やっと管がとれるー!前回内視鏡の手術した時、とるのがちょっと痛かったけど、我慢できない痛さではなかった。今回はレントゲンで膀胱で漏れがないかを確認しながらとるとの事だった。名前が呼ばれ、それ専用のレントゲン室に移動する。薬品を扱うせいか、先生はかわいい迷彩柄のとても小さいエプロンをしていて、思わず頭の中だけで大爆笑だった。
ププ・・・あんなに怖い先生なのにカフェテリアの店員みたい・・・
笑いたいのをぐっとこらえ、どうして迷彩のエプロンなのかを聞いてみたら、
「別に意味ないです。ラメだってありますよ」
病院にラメのエプロンがあるとは知らんかった!!みんなで持ち寄ったんだなあ・・と思うと、かなり大きい病院なのに悲しく、でも家庭的な感じを受けた。
造影剤を管から膀胱に入れながら画像を見る。
よし!異常なし!
「じゃあ抜きますね」
ヤッターーー!力を入れると痛く感じるので、力を抜いた。・・・でも
「イターーーーーーいぃぃぃ!!!!」
女性の尿道は1センチ幅位?でもそこからまるで5センチのものが出てきた感じの痛さ!!!
痛さで座れない、トイレも怖い。でも造影剤入ってるからトイレに行って来いという。
バツか。。。エプロン笑ったバツか・・・
トイレに行ったら、ものすごい擦り傷のある場所から用を足しているような痛さ。
排尿痛には慣れていた私だったが、こんな痛さもあるのかとまた物知りになった。
前に隣のベッドにいたかわいい90歳のおばあさんが、看護婦に話していた、
「もう、おトイレに行くときとびあがっちゃう位痛いの」
これか・・・・・
前の内視鏡での手術の時は3日しか挿入してなかったけど、今回は2週間だったのでそのせいかもしれない。
ほんと、ごめんなさい。体よ。
そして、病室に帰り、水をとにかく飲んで何度も用をたすことで慣れようと思った。
あの、排尿時の膀胱がぐーっっっと縮まる痛みも重なり、なかなかの困難だ。でも病気が最高潮に悪かった時ほどの辛さはない。あの時は、痛さのあまりうずくまり、太ももをひっぱたきながら耐えなければいけないほどだったのだから。
でもこれで終わり!!!あとは経過観察だけだぜーーー!
先生から宿命と言われた膀胱鏡をし続けなければいけないのは地獄だが、でもこの辛さに耐えられたのだからだいじょーぶ!!!きっと前よりたやすくなってるはずだ!